一日峠で転んだものは一日きりしか生きられぬ
昔、昔のそのまた昔。ある峠にはそれは奇妙な言い伝えがあったそうな。一体誰が言い始めたかは分からぬが、曰くその峠で転んだものは一日で息絶えるそう。
「一日峠で転ぶでないぞ、一日峠で転んだものは一日きりしか生きられぬ。長生きしたけりゃ転ぶでないぞ。長生きしたくも生きられぬ」
そんな話は娯楽など無い当時の人々からは好まれ瞬くに広がり、しばらくすれば、件の峠の麓に住む人達からは一日峠などと呼ばれ大層恐れられてたそう。
これは、それにまつわるお話だ。
☆
ある日の夕暮れ。草鞋売りの男、甚太は帰路へとついていた。その日は思うように草鞋が売れず、早朝の町の市からでて、日が傾くまで粘り続けて売れたのはたったの四足。これじゃおっかさんにどやされてしまうな、なんて考えながら売れ残った草鞋を背の籠に入れて、トボトボとそれでいて着実に歩いていた。
しかし、甚太はふと峠の手前で止まる。そこは山の小さな下り坂。なだらかな勾配の峠であった。
甚太の家は山の向こうの直ぐそばの村にある。この小さな峠を下っていけば丁度日が暮れる前辺りには家へと帰れるだろう。しかし、甚太は動かない。それどころか時間にして二倍近くかかる回り道しようかさえ迷っていた。
それは、今下ろうとする峠に奇妙な噂がたっていたからだった。
曰く、「一日峠で転んぶでないぞ。一度転べば、一日きりしか生きられぬ」だそうだ。
甚太の頭に、今日、町で何度も聞こえてきた噂が反響する。甚太はくだらない、なんて思いながらも、やはり何処か気にしてしまって、この峠を下るのには気が引けていたのだ。
しかし、回り道などしたら真っ暗の中で山道を下る事になる。それは、毎日山を越えている甚太でさえも危険なことに変わりない。噂などに足を掬われて怪我などしたら、ましてや死んでしまうような事故にあったりするのは割に合わないだろう。
そうと決めれば、甚太は峠を気を張って、それでいて早々に下りてしまうことにする。
ザク、ザク、ザク
歩いた音が耳につく。甚太はふと疑問に思う。もし転んでしまえばどう死ぬのだ? そう思っても又聞いた噂はそこまで明細ではなかった。そもそも何故峠で転べば死んでしまうのだ? わからない。だからこそ甚太は余計に怖かった。生唾を飲みより一層気を張って歩く。
ザク、ザク、ザク
黙々と下っていくともう峠の終わりが見えてくる。なんだか、拍子抜けだったな。甚太は思う。そもそもこんな噂を信じてしまっていた自分が馬鹿らしい。そもそも、本当だとしてもこんな緩やかな峠で転んだことなどないのだ。
ドコッ
噂など大したことはないな。そう安心していた甚太は地面から飛び出ていた石に気づかず、凹凸に足を引っかけてしまって転んでしまった。
あぁ……! 転んでしまった……!
甚太はそれはもう大変に焦った。それもそのはず。表面上ではいくら強がって取り繕っていても本当の内心では怖さで満たされていたのだ。
甚太は震えからそのまま動けず尻もちをついたまま、思考を巡らせる。このまま自分はどうなってしまうのだ……? おっかさん残して死んでしまうのか? たった1日? ふざけるな! そんなことを考えていた時だった。
「一度転べば一日……?」
甚太は噂を思い出す。一度で一日なら二度目はどうなる? 甚太は立ち上がる。もしかすると二日生きられるのではなきか? いや、そうであってくれと甚太はその場でわざと転んだ。
甚太はどんどん転んでいく。三度転んで、直ぐに四度目、五度目……と。
何度も何度も転び続けた甚太はやがて、
転んだ際に石に頭をぶつけて死んでしまった。
一日峠で転んでから奇しくも一日で。
噂は本当だったのだ! 町では暫くその話で持ちきりだったそう。これにて一日峠のお話は終わりだ。
☆
さて、ここからは余談だ。やがてこの噂が消えた同じ峠で、また転んだ人がいたそうだ。だがその人は一日で死ぬどころか、天寿を全うしたという。
つまり、そういうことなのだ。
噂が、言葉が呪いとなって真実を作った。ただ、それだけのことだった。
これは現代でも、いや、言葉が溢れる現代だからこそ、安易に呪いが作られている。
☆
これはとある男の話だ。男はドアノブに紐をかけて、特殊な結び方をした。そうして縄の先に作った輪に首を通した。
それは、自殺だった。動機はネット上での誹謗中傷だったそうだ。
「死ね」「消えろ」そんな言葉が呪いとなって歪めた真実を作り出してしまった。ただ、それだけだった。