五年前・後編
明け方の空の色は、夏だと言うのに寒々しい。
足を忍ばせて四人部屋に戻ると、左上から春川君の声がした。
「亮介か?」
「ああ」
静まり返った部屋に、ギシギシとはしごのきしむ音が響く。ベッドから降りるなり、彼はオレを見て声を上げた。
「おまえ、それ……!」
「しっ」
慌てて一段目のオレのベッドに彼を引きずり込む。しばらく様子をうかがったが、ほかの二人が起きて来ることはなかった。
「それ血だろ。おまえ怪我してんじゃん!」
「オレのは浅いよ。引っかかれた程度だから」
「……ってことは」
春川君は、悟ったようにその先を言わなかった。
彼の思いつめたような顔が薄明かりに照らされ、濃い影の中でおぼろに浮かび上がる。
「もうすぐ、警察が来る」
まるで他人事のように言った。
現実感がないわけではない。ただ、不思議と気持ちは落ち着いていた。歩いてここに帰るまでに、覚悟が出来たのかもしれない。
「おまえは悪くねえよ」
「どうだろ。死んではいないだろうけど、かなり怪我させたからな」
「そんなもん自業自得だ!」
春川君は吐き捨てるように言った。
「証拠、残しちまったか? どっかに隠れてやり過ごせねえかな」
「無理だろうなあ」
もう、全てがどうでも良くなっていた。
やるべきことはやった。警察に捕まったとしても、厚木さんにされてきたことほどひどい目には遭わないだろう。
「あ……」
微かなサイレンが聞こえた。それは滲み上がるように、夜のしじまを少しずつ浸食していく。
「そろそろ行くわ」
「待てよ!」
隣の部屋に聞こえるほどに、春川君は大声を上げた。同室の二人も完全に起こされたらしく、ベッドの中でもぞもぞと顔を上げる。
「春川君、声が大き――」
「うるせえ、警察に売ってたまるか!」
「もう良いんだ。オレは逮捕されても仕方ないことをしたんだ」
「今からおれがみんな叩き起こしてやる。厚木にやられたやつらみんな集めて、あいつらに全部バラしてやらあ!」
荒っぽく部屋を飛び出し、サイレンをかき消すような声で叫び続ける。
「おらあ、みんな起きろ! タカヒコ、進、小木さん、出てこいコラぁ!」
廊下を走る春川君の喚き声に、次々とドアが開かれる。
「おめえらのカタキ取ってくれた亮介をサツから守れ! 眠い? 知るかボケが!」
死んだように静まり返っていた廊下が、とたんに騒々しくなる。事情を知って熱くなる人や、突発的なイベントに盛り上がる人、状況を把握できず周囲に声をかける人など、廊下はお祭り騒ぎだ。
やくざのように怒鳴り散らす春川君の背中に、ありがとう、と呟いた。