20話 大事なものが無いですよ!
探索の準備を終えたミズキたちは、行き交う人々を避けつつ最寄のポータルへと向かっていた。
「大分買い込みましたが魔法箱は大丈夫なのですか?」
「えっと、どうなんでしょう? まだ入るとは思いますけど……」
「驚くほどたくさん入るのですねぇ」
「魔法箱ってたくさん入るんじゃないのですか?」
ミズキの感覚ではいくらでも入る、正に魔法の箱と言うべきものだった。
「ものにもよりますが私のはその半分も入らないですよ。あまりいいものを使っていても盗難や消失が怖いですからね」
「盗難ですか?」
物騒な単語を聞いたミズキが足を止めジャラックを見上げる。
「街中ではまずないですが別の人に襲われたりもしますからねぇ」
「襲われるんですか?」
「魔物を倒すよりもよほど効率的ですからね。もちろん相応のリスクもあるので実行する者は少ないですが……」
「怖いですね……」
不安そうに呟くミズキの頭をジャラックが撫でながら語りかける。
「今回は私がいますし大丈夫ですよ。念のため貴重品は保管しておくか換金しておくといいですが」
「わかりました」
移動を再開したミズキたちはポータルに向かい階段を降りていた。最後の段を下りる、そんなときだ。ミズキがその短い足をもつれさせた。
「わわ!」
とっさにバランスを取ろうとするも転倒してしまう。転んだことによってミズキのスカートがめくれ上がってしまっていた。
その姿を見たジャラックが驚愕する。
「ミ、ミズキ……下着はどうしたのですか?」
「え!?」
起き上がりスカートをめくって確認する。
「穿いてない! 穿いてないですよ! 道理でスースーする訳です!」
「と、とにかくスカートを下ろしなさい!」
「そ、そうですね……!」
たくし上げていたスカートが下ろされる。
「まさか下着を着用してないとは思いませんでしたよ」
「あ、あはは……あの、下着ってどこで売ってるんでしょう……?」
「服屋さん、でしょうか……?」
ミズキたちは急遽洋服屋へと向かった。着いた店は多くの女性が利用している洋裁店だ。店内はかなり広く女性客でにぎわいを見せている。
様々な服が並べられ色合いやサイズ違いも多く、なかには腰や背中が開いているものもあった。
細部のオーダーメイド承ります。という文言が書かれた看板がいたるところに設置されてもいたが、二人はそれどころではなかった。
女性が支配する空間に、居心地の悪さを感じていたからだ。
「ここの支払いも必要経費で出します。私は外で待っていますので決まりましたら呼んでください」
店の扉を隔て別世界となっている店内から、気後れしたジャラックが外に逃げようとする。しかし、その手をミズキが掴み引き止めた。
「あの、ジャラックさん……ボク、女の子の下着を買うのは初めてで……ジャラックさんも一緒に来てくれないですか……?」
「何を言っているのですか?」
「ジャラックさあああん! ボク一人じゃ不安なんです、お願いですからついてきてくださいよおおお!」
「こら、ミズキ。離れなさい……! 私だって女性物の店に入るのは嫌ですよ!」
しかし、必死にすがりつき懇願するミズキにジャラックは折れ、不承不承ながら付き添うことになった。
和服に似た服やひらひらした白と黒の服があるコーナーを通り過ぎ、下着売り場を探し歩くだけでも周囲の目線が二人に集中していた。
じろじろと値踏みするいたたまれない視線だ。ジャラックは今すぐにでもこの場をあとにしたいと思っていた。
しかし、びくびくと挙動不審に歩くミズキが、がっしりと手を掴み逃亡を許さなかった。
ミズキも手を離したら一人になってしまう気がしたのか、小さい手で必死に握っている。
少し奥まったところにある下着コーナーを前に、ミズキは顔を覆う手の隙間から恥ずかしそうに見上げている。
ジャラックにいたっては視界にすら入れていなかった。
「あわわわ、お、女の人の下着がたくさんです……」
「わざわざ言わなくてもいいですよ。周りの視線が心苦しいので早めに選んでください」
「う、上もあったほうがいいのかな……?」
「知りませんよ……それこそお店の人にでも聞いてください」
「え、選んで来るのでどこかに行かないでくださいね……?」
見上げながら懇願するミズキによって、ジャラックに特大の釘が打ち込まれる。
逃げられなくなったジャラックに周りの視線が突き刺さるが、ことここにいたっては早々に終わることを切に願うしかなかった。
一方のミズキも何を選んでいいのかわからず、近くへ来ていた店員に顔を真っ赤にしながらも、おすすめを聞き始めていた。
努力の甲斐あっていくつか選び終わるとジャラックを呼びに行き支払いを頼んだ。
「あ、あの……これ、ください……」
支払いをする際に店員がじろじろとジャラックを見る。その横ではミズキが腰の後ろに手を回し、恥ずかしそうにもじもじとしていた。
「……かしこまりました」
かなりの間があったが、店員はそれ以外を言わずに対応していた。
支払いを済ませ、二人は店を出てから着替えるためになるべく人気のないところへと向かう。
着替えるためにミズキが下着を取り出したが、手にしたまま固まってしまった。
「ミズキ、穿かないのですか」
「待ってください」
ミズキはジャラックの問いを即座に否定する。なぜなら今、人生最大の葛藤を前にしていたからだ。
尊厳と義務の狭間で揺れ動く心は悲鳴を上げ続けている。
それは嵐に翻弄され揺れる船の如く、振れては戻る振り子の如く、ついには時を刻む秒針の幻聴が聞こえ始めたころ、本当に必要なことなのだろうかと、そもそもの前提を覆しかねない考えに至りいよいよ収拾がつかなくなってしまう。
物事は単純で、一連の悩みはひとつの事柄へと収束する。
要するに。
「穿くべきか。穿かざるべきか」
「いや、穿いてくださいよ……」
しかし、本当にこの一歩を踏みだしていいのだろうか。葛藤する心の波は収まる気配がないどころか、心臓の音がうるさくなり続けているのだ。
だが、しかし、ジャラックが恥を忍び購入した縞模様の布、それを掴んだ手は動かず汗が滲むばかりなのだ。
悠久とも思える時間が一瞬で過ぎたが、ある発想が浮かんだ。悪魔の発想とも言えるかもしれない考えに身震いする。
そう、目を閉じているあいだにジャラックに穿かせてもらい、全てが終わっているというものだ。
一蓮托生である。だが、この方法には問題点があった。ジャラックが協力してくれるかどうかという問題が。
現にジャラックのほうを見ればあさっての方向を向いている。
これでは望みは薄いかもしれない。やはり、自分で何とかするしかないのかと絶望する。
覚悟するしかない。
ミズキは考えを終わらせ、縞々の布をじっと見つめながら深呼吸した。震える手で下着に片足を通す。もう片方も通すとゆっくりと上げていった。
「穿いてしまいました……」
「言わなくていいですよ」
「そしてボクの中の大切な何かが崩れ去りました。なにぶん初めてのことだったのでちゃんと穿けてるか確認してくれませんか……?」
「何でそうなるんですか。訳がわかりませんよ。というかスカートを下ろしなさい」
引きつった顔でスカートをたくし上げていた手が緩み、その布地がふわりと元に戻った。
なんともいえない空気のなか、遠くでは相も変わらず鐘の音が鳴っていた。




