173話 消え行く者と救われる者
箱庭の夜はいつの間にか明けており、上空では『全て慈しむ紫光』と『変転せし六光』が輝いていた。
日が灯ってから早い時間だというのに、突如として燦然と輝いていた紫光が失われ夜となった。
異変はそれだけでは終わらない。
巨大かつ硬質な六面を持つ『変転せし六光』が開いたのだ。
そしてミズキの負担を軽減するため、それぞれの面が反転し、全ての属性を強化する力が内側へと注がれ始めた。
その中心に向かい箱庭中の魔力が収束していく。
かつてミズキが見た、箱庭が朝を迎えるときと同じ現象が起こっていた。
魔力を収束させているのは『全て慈しむ紫光』だ。
しかしその規模は桁外れと言っていいだろう。
箱庭が不安定になるのも構わずに収束させ流し込んでいた。
衝撃を防ぐため、球状に広がる黒光が『変転せし六光』を包み込む。
備蓄していた膨大な魔力をつぎ込み内と外とを隔絶させた。次の瞬間。
光が解き放たれた。
『変転せし六光』が砕け散り、黒光の領域が急激に広がり同じように砕け散った。
そして凄まじい爆光が、光が箱庭を埋め尽くした。
変化は劇的であった。
創精霊たちは歪んだ箱庭の修復を望んでいた。
だがミズキはそれだけでは終わらなかった。
ミズキには光が見える。
光とは魔力であり魂だ。
自在法陣を起動したミズキには、箱庭全ての光が視えていた。
これはミズキだからこそ可能なことであり、箱庭を構成する膨大な魔力、その中に存在する意思が視えていたのだ。
意思ある魔力は魂の欠片であり、ミズキの中にも存在していたものだった。
世界の理を、不可能を覆し、魂の欠片を核に再生させていく。
最初は内にある三つの欠片だった。
赤い、『野海豹』の魂は赤髪の青年となった。
青い、『自在砲剣』の魂は白銀の髪が綺麗な少女となった。
そして黄色の、『泣丸鼠』の魂は騎士鎧を着た壮年の男となった。
アリガトウ――
そんな声が聞こえた気がした。
白銀の少女がミズキの魂へと手を触れた。
「手伝う」
瞬間、ミズキの輝きが増した。
それだけではない。
驚くべきことに負担も減り、力が増すそれは何度も経験したことのある感覚だった。
不器用ながらもミズキを支え続けた、『自在砲剣の魂』を取り込んだ後に感じたものだ。
その力が今もミズキを助けてくれていた。
「うお、なんだこりゃ!? 大変そうだが俺は回復くらいしかやれねぇぞ!」
赤髪の青年が手を触れ、さらに負担が軽減された。
「これは……どうやら世話になったようだ。ささやかな力だが手を貸すぞ」
壮年の騎士が手を触れ、知覚領域と精度が強化された。
これらは『虹』が予想すらし得なかった想定外の事象だった。
箱庭中の魂の欠片を核に、全ての魂を次々と再生させていった。
*
『摩天楼』内にある拠点。
その庭ではクロフが砕け散ったお守りを見つめていた。
手に持つそれはルーナとの戦いにおいて、ここぞとばかりにクロフを助けてくれた木彫りの硬貨だ。
お守りが光ったとき、声とすら呼べない何かを感じたのだ。
「あれはエルナ、お前だったのか……?」
その時だ。
砕けたお守りが輝いたかと思えばクロフの手から離れ、さらに光を集めていった。
光はやがて人を形作り、静寂がその場を支配した。
起きたことが信じられず、クロフは一切の身動きを取ることが、息をすることさえできずにいた。
光が収まった中から出て来たのは一人の女性だった。
その後ろ姿を忘れるはずがない。
悔やんでも悔やみきれず、クロフを絶望の底に叩き落とした張本人であり、最愛の人形。
女性も突然のことに何が起きたのか分からず呆けてしまっていた。
「エルナ……?」
その声に女性が振り向いた。
間違いない。
かつて失い、どれほど想おうとも再会することが叶わなかった相手だ。
「あれ、クロフ? 何で泣いて……それに、ちょっとやつれた? どうせまた根を詰め過ぎたんでしょ。ほんと、私が居ないとだめなんだから」
無駄ではなかった。
絶望から這い上がり、自分であり続けるために、救われるために戦い続けてきたことの全てが。
こうして抗い続けた人形が一人、救われた。
そうした同じような奇跡が至るところで、それこそ箱庭中で起こっていた。
世界の改変は終わらない。
光は箱庭の外にまで及んでいた。
広がった知覚を使い、切れたまま漂う糸を全て繋ぎ直したのだ。
そして人形が望めば魔女が箱庭に、一緒に遊べるようにと糸を包むように道を貫き通した。
一気に膨れ上がった人口に対応するため、とりあえずは影響のない空中に新たな都市を作り上げた。
糸を繋ぎ直しはしたが、心無い魔女との縁を切ることのできる仕組みも作り、全ての人形と箱庭との間に新たな糸を繋げた。
これで魔女に怯えながら搾取されることは無くなるだろう。
人形を大切にしていた魔女はこれまで通りに。
使い捨てるような魔女は人形を失い、一切の手出しができなくなるだろう。
心無い魔女が居るから人形が追い詰められ、心が磨耗し、他者を貶めようとするのだ。
そんな魔女のことなどミズキの知ったことではなかった。
最後に世界を魔力で満たしていった。
世界の礎を強固なものにし、消し飛んだ『変転せし六光』も修復し終えた。
そうしたところで自在法陣が限界をきたし始めた。
あわよくば元の世界とを繋げる穴を作れればいいと、そう思ったがそこまで上手くはいかなかった。
それに、残念ながら繋げ直す糸の先がいくつか無かった。
どうかはわからないが、そうした魔女は亡くなっているのかもしれない。
しかし、糸を繋ぎ直すことのできなかった人形たちの中にジャラックの姿があった。
なぜと思うもわからない。
特別魔女との仲が悪かったと聞いたことはなかった。
しかし、何か言っていたような気がする。
主が素材は要らないと、確かそう言っていた。
主とは魔女だろう。
素材が要らないとは、目的を達成したのならそう言うのかもしれない。
しかし、糸が繋がらない現状とは合わず、これではまるで別れの言葉のようだった。
そのとき壊れかけた自在法陣から声が聞こえてきた。
「……これを聞いたとき、私という存在はもう居ないけれど、最後にこれだけは伝えたかった……。ありがとう、ジャラックの友人……。願わくば、あの子と親しくしてあげてほしい……」
それはジャラックの魔女、技巧の魔女と呼ばれた者からの遺言であった。
*
それは世界改変が始まる前にまでさかのぼる。
魔女ハノラ・フィロークスの領域では一人の魔女が倒れ伏していた。
その者こそ領域の主たる魔女、ハノラ・フィロークスであった。
黒と紫色の小さな領域は崩壊し、ただでさえ小さな空間が残り僅かとなっている。
そうした空間の中心には自在法陣が存在していた。
近くに横たわる体からは光る粒子が漏れ始め、体が崩れゆく最中であった。
自在法陣の材料は魔女の領域であり、そして魔女の領域とは魔女の魂そのものだ。
フィロークスは文字通り、力の全てを使い自在法陣を作り上げた。
フィロークスにはかつて親しい魔女が居た。
魔法が苦手なフィロークスに魔法を教えてくれた大切な友人。
魔女同士の争いに巻き込まれ死別した偉大なる魔女だ。
巻き込まれたのが自分ならばどれほど良かったか。
フィロークスは己の不甲斐なさを、自らの無力さを呪い、そして憎んだ。
ただ見ていることしかできなかったのだ。
死の淵に瀕し、光と共に散り行く友人の姿を。
何故、自分には魔法が使えないのか。
何故、彼女だったのか。
魔法が全く使えず、周りからも散々に馬鹿にされ続けた自分なんかのために、何度も訪れ根気よく教えてくれた。
そんな彼女に何もしてやれなかった自分の存在価値とはなんなのか。
馬鹿にするでもなく、蔑むでもなく、手を差し伸べてくれたのは彼女だけだったのに。
それからは贖罪の日々であった。赦されるため、また自らを赦すために魔法を、技術を磨き続けた。
失ったものを取り戻すために。
様々な理論を構築し、多くの魔法を作った末に完成したものが自在法陣の基礎であった。
しかし、起動には気の遠くなるような魔力が必要であった。
魔力量の乏しい身では望むべくもないほどの魔力だ。
希望は見つかったが、同時に絶望もした。
絶対に届くことはないと、意に沿わない事実を突きつけられたのだ。
そんな暗闇の中で一筋の光が差し込んだ。
創精霊たちが作り上げた箱庭だ。
そこでは希少なものが採れ、また魔力の塊である素材も持ち帰ることができたのだ。
箱庭には人形しか行くことはできない。
申し訳ないと思いながらもひとつの人形を作り上げた。
とにかく長く活動できるようにと。
事前に調べ、糸の特性を把握しての作成だ。
魂の半分を消費して自在法陣を作り、膨大な魔力を溜め続け、それらを維持しながらとなると、できることは限られてしまう。
魔力をほとんど持たない、およそ魔女たちの間ではハズレと言われる弱い人形だ。
それでもフィロークスにとっては最善の、唯一無二の人形だった。
そして最初に事情の全てを打ち明けたのだ。
自らのエゴのために、利用するためだけに作ったのだと。
どうするかは人形に託されていた。
しかし、人形は言ったのだ。
道具にも矜持はあるのだと。
人形は箱庭へと向かったが、しばらくは成果など無かった。
しかし、さらに年月が経った頃には、小さいながらも一歩ずつ歩めるようになっていた。
どれほど時間が掛かろうと、前に進む限りは終わりが見えるのだと、フィロークスは諦めなかった。
そうしたある日、人形のようなものが尋ねて来たのだ。
見た瞬間にそれがなんなのかが理解できた。
膨大な魔力を内包する箱庭の創精霊だ。
フードを被った創精霊は取引がしたいと言った。
必要になるかもしれないから自在法陣が欲しいと。
代わりに魔力を融通すると。
それをフィロークスは了承した。
そして、そのときが来たのだ。
残りの魂を使い自在法陣を作り上げ、その代わりに莫大な魔力が供給される。
渡した自在法陣には細工をするように、余剰魔力が送られてくるようにと創精霊は言った。
ならばと、ふたつの自在法陣に道を作り、魔力が供給される仕組みを追加した。
自在法陣を渡し、魂が消えかける中、そのときが来るのを待っていたのだ。
ついに箱庭で世界の改変が始まり、この空間の中心にある自在法陣も輝きだした。
願うものはただひとつ。
友との再会だ。
理を捻じ曲げ、不可能を可能へと覆す。
自在法陣の中で光が舞い、人を形作っていく。
そして役目を終えたふたつの自在法陣が光を失った。
そうして再生された人物が降り立ち目を開いた。
その瞳に映されるのは崩壊し、今にも消滅しそうな、それでいて見知った部分が残る魔女の領域であった。
「これは、どういうこと?」
変わり果てた友人の領域にはっとする。
狭い世界だ。
今も崩壊が続き、僅かに残る床には今にも消え去りそうなフィロークスの姿があった。
「ちょっと、何であんたが死に掛けてんのよ!?」
抱き起こすもフィロークスの反応は無い。
一刻の有余もないと、治癒の魔法を施したが効果はなかった。
「何でなのよ……ッ!? このッ、肝心なときに何で効かないのよ!」
死ぬ直前の記憶と今の状況が噛み合わず、混乱は増すばかりだ。
何が起こったのか。
何故、友人が死にかけているのか。
そしてどうすればいいのか。
ぐちゃぐちゃになる頭の中で必死に考えるも打開策など思い浮かばない。
そのとき、フィロークスの目がゆっくりと開かれた。
「やっと……会えた……」
「死に掛けてたはずなのに何であんたのほうが死に掛けてんのよ!?」
「最後に、会いたかった……ずっと、ずっと一人で……ずっと、辛くて……でも、頑張ったんだ……」
何を頑張ったというのか。
この不可解な状況を生み出したものがなんなのか。
領域が崩壊しているということは、何かしらの方法で魂を消費したに違いないのだ。
絶対に使うなと言っておいた方法を。
光を失った自在法陣が目に入った。
今は力が失われているが、見ただけでその異常さが理解できた。
魔法に精通する自分が一切理解できないのだ。
いったい何をどうすればあれが作られるのか見当もつかない。
しかし、ようやくこの状況も理解できた。
自身の魂を消費してまでも自分を生き返らせたのだ。
「何で、何でこんなことしたのよ……!」
ぐったりとするフィロークスは、瀕死でありながらも泣きながら笑っていた。
あのとき友を庇い、もう会えなくなると思うと寂しくはあったが、満足感と共に死んでいったはずだった。
しかし、これではまるきり逆ではないか。
「もう一度だけ……会い、たかった……声が、聞きたかったの……泣き顔だったのは少しだけ、うん、少しだけ心残り……」
「ほんと馬鹿……友達が死に掛けてたら普通泣くでしょ……」
そんなことを言われてしまえば笑うしかないだろう。
友人を見送る笑顔は及第点には程遠い。
しかし、そんなぎこちない笑顔でも救われるのだ。
今際の際に見た友の顔はどこまでも安心できるものだった。
ずっと、ずっと、それこそ永遠とも言える長い時間の中で求め続けてきたものだからだ。
「ありがとう……ごめんね……もう、限界みたい……」
光の流出は止まらず、透ける体にはところどころに穴が開き始めていた。
「……さよならは、言わないわよ。必ず迎えに行ってあげるから……それまで、待ってなさい」
「わかった、わ……待つ……は、得意……から……」
光の粒子が散逸し、魔女ハノラ・フィロークスの魂は完全に消滅した。
唯一無二の友を失くした魔女は、友との再開を望み、誰よりも不器用でありながらも決して諦めず、その全てを賭し、そして、願いを果たしたのだ。