148話 散り行く光の欠片
罠が起動し、激痛と共に衝撃が走ると体が動かなくなってしまう。
ミズキが踏まされたのは麻痺に重点を置いた強力な罠だ。
崩れ落ちると周りに格子状の光が展開されていく。
そして半球状の牢獄に捕らえられ完全に身動きが取れなくなってしまった。
「ギャハハハハ、残念だったなぁ!? オラ、お前らもさっさと起きるんだよぉ!」
「まったく、ほんと酷い目に会ったわ。杖も壊されるし散々よ」
「文句言ってないでさっさとあたいの腕を治すんだよぉ!」
「はいはい、わかったわよ」
長術杖の女がゴライアの腕を拾い切断面を合わせた。
詠唱し光がほとばしる。
時間を掛け腕が元通りになっていった。
「ああ、クソッ! 折角の射杖がオシャカじゃねぇか! 何か言ったらどうなんだ、ええ!?」
身動きの取れないミズキを男が蹴るとうめき声が漏れ出る。
一度では気が済まなかったのか何度も蹴り続けた。
「それでどうすんだよこいつ?」
蹴るのをやめた男が振り向きゴライアに尋ねる。
「チッ、今すぐ殺してやりたいところだけどよぉ、身包み剥ぐだけじゃ気が治まらないなぁ? ギャハハハ、いいことを思いついた」
ろくでもない考えを思いついたのだろう。
ゴライアが下卑た嗤いを見せ付けるようにしてアルフェイの下へと歩いていく。
「やめ、ろ……! アルフェイ君には、手を……出すな……ッ!」
「そう焦るんじゃないよぉ。安心しな、まだ手は出さねぇからなぁ」
そう言うとゴライアはアルフェイを吊るす拘束具を外した。
自由になった体が床に落ち、回復薬を無造作に掛けるとアルフェイの腹部を蹴り上げた。
「ゲホッ、ゴホッ……! う、うぅ……」
「お目覚めかぁ?」
咳き込んだことでアルフェイの意識が戻った。
しかし虚ろな瞳は今がどんな状況なのかを把握できておらず、力なく虚空を見つめ苦しそうに呼吸を繰り返すばかりだ。
そんなアルフェイの残った右腕をつかんで引き上げ女の近くに放り投げた。
「〈回復〉も掛けてやりなぁ」
「何でそんなことを?」
「回復させたらそいつにあの餓鬼をいたぶらせるのさぁ」
「ふふ、なるほどね。それは楽しそうだわ」
女は短く詠唱するとアルフェイに〈回復〉を掛けた。
赤い光と共にアルフェイの傷が塞がっていき、その目の前に緑色の小刀が放り投げられた。
「ぐふ、ぐふふふ……そいつは痛みを増幅させる効果のある小刀でなぁ、殺されたくなかったらそれであの餓鬼を殺るんだよぉ! それに死なないように適度に回復させてやるから安心しなぁ、ギャハハハハ!」
「ぼくが……ミズキを……?」
「やらなかったら分かってんだろうなぁ? お前に選択肢はねぇんだ、生きたかったらやるんだよぉ!」
顔同士が触れるほどに近づきアルフェイを脅迫する。
ゴライアの血走った目には怒りや愉悦といった感情が渦巻いていた。
そのあまりの剣幕にアルフェイが言葉を詰まらせる。
「やるんです! ボクのことは気にしないでください、多少の痛みは平気ですから!」
「で、でも……」
「さっさと小刀を拾うんだよぉ! それとも今すぐ死ぬかぁ!?」
ゴライアの恫喝にビクリとし、アルフェイが震える手で小刀をつかんだ。
そして今にも崩れ落ちそうな足取りで歩き、床に横たわるミズキを前に究極の選択を迫られる。
一度は死への恐怖から他人を傷つけてしまった。
しかし、凄まじい忌避感と罪悪感が襲い、生きることが辛くなるほどに胸が締め付けられたのだ。
それ以来、もう誰も傷つけたくないと強く思ったアルフェイだったが、またしても突きつけられた理不尽な二者択一が心を裂いていく。
死ぬか、死ぬほど苦しい思いをするか。
過剰な負荷が天秤をきしませる。
そのとき、アルフェイはかつての主の姿を思い出した。
厳しい日々が続き、何となくしか思い出せなかった姿が鮮明によみがえったのだ。
自分に向かって微笑む優しき魔女は、よくこう言っていたのだ。
「アルはほんとに優しい子だよね。私はそれが好きだよ」と。
アルフェイを手に乗せる魔女は嬉しそうにしていたのだ。
震える手から小刀が落ち、乾いた音を響かせ床に転がった。
「う、うぇぇ……やっぱり、ぼくには無理だよぉぉぉ……! うぁぁぁ……!!」
「ッ……!? アルフェイ君!? ルーナさんやオーヴェンさんに渡したいものがあるんでしょう!?」
世話になったルーナや、素材を盗もうとしたのに助けてくれたオーヴェン。
その二人にお礼がしたいと言っていたアルフェイに向かって叫ぶ。
プレゼントは借り物の金銭では駄目だと思い、自身の意思と行いによって購入した、アルフェイの思いが詰まった物だ。
それを渡すために今まで頑張ってきたアルフェイがここで死んでいいはずがない。
しかし、罠で身動きの取れないミズキにはどうすることもできなかった。
ここで自分が多少苦しむだけで済むのならと、何度も生き返る自分と、一度死んでしまえばそれまでのアルフェイでは比べるべくもないと叫んだ。
しかし。
「ルーナだと……? 今、ルーナって言ったかぁ? 何であのクソ女の名前がここで出てくるんだよぉ!!」
鬼の形相となったゴライアが怒りのあまり叫びだす。
「あの糞みたいな魔女の手先が何で出てくるんだよお! あたいから何もかも奪っていったあの女が……ッ! あの女の為に金を! 素材を! あたいがどれだけ苦労して集めてきたと思ってんだ……ッ! ああああああクソ! クソックソッ、クソォォオオ! あの女にかかわりがある奴なんざ皆死んじまえ! 目障りなんだよ!」
「ッ!? やめろおおおおッ!!」
突然叫びだしたゴライアが線剣を振り上げ一閃する。
それに気づいたミズキが叫ぶもアルフェイの背中へと線剣は突き刺さり、胸を貫通した刃が辺りに血の雫を降らせた。
線剣を引き抜かれたアルフェイがミズキの前に崩れ落ちる。
「やっぱり、痛いね……ごめんね、ミズキ……」
「アルフェイ君!?」
「最後の……お願いが、あるの……」
息も絶え絶えとなったアルフェイが死力を振り絞り、服の胸に縫われた魔法箱に手を差し込む。
かろうじて無事だった魔法箱から造花とペンダント、そして黒いスカーフを取り出した。
「まぁだ魔法箱を持ってたのかぁ? 服に仕込んでたのはどうせルーナの入れ知恵なんだろぉ?」
ゴライアの言うとおりルーナはふたつの魔法箱をアルフェイに渡していた。
なぜふたつの魔法箱をアルフェイが持っていたのか。
それは金銭や魔法箱そのものを要求されたとき、それらを渡すようルーナが指示していたからだ。
脅迫された際に、抵抗せずに渡せば無事である確立が高まることを期待して。
しかしその願いも空しく、手を差し出すアルフェイの体からは粒子が散り始めてしまっていた。
「これ、を……オーヴェン兄ちゃんと、ルーナ姉ちゃんに……ミズキ、ありがとう、ね――」
アルフェイの体が粒子となり散っていった。
着ていたぼろぼろの服と、手に握られていた贈り物が床へと落ちて。
「あ、あああぁぁぁ……」
それは転送による光ではない。
「ギャハハハハハ、ざまぁみろ! あの女に関わる奴は皆殺しにしてやるよぉ!」
「何で……何で、こんな……」
「それにその花はなんだぁ!? 隠してたからには余程大切な物なんだろうなぁ!」
放心するミズキの目の前で、花やペンダントがゴライアに踏みにじられようとしていた。
(それだけは駄目……!)
咄嗟に伸ばした手をゴライアの足が踏みつけた。
体は思うように動かせなかったが、意地でも言うことを聞かせた。
「ギャハハハハ! その花がそんなに大切かぁ!?」
そんなミズキの手をゴライアは何度も踏みつけ蹴っていく。
だが、ミズキは手にした物を決して離さなかった。
どうにか震える手を動かし、魔法箱の中へとしまった。
しかしゴライアは気に入らなかったのか、ミズキへの蹴りが苛烈になっていく。
蹴られ、踏みつけられ顔が砂に汚れていく。
何故、このような酷いことができるのか。
何故、アルフェイが死ななければならないのか。
アルフェイはただ日々を生きていただけだというのに。
涙に濡れながら微笑んだアルフェイの表情が、心に焼きついて離れなかった。
最初の出会いは決して良いものとは言えなかったが、共に過ごした日々はミズキを楽しませてくれた。
一緒に風呂に入ったこともあった。
一緒のベッドで寝た温もりは寂しさを忘れさせてくれた。
共に買い物に行き、オーヴェンたちにお礼をするために料理大会で賞金を手にした。
そんなアルフェイを助けるために大図書館へと向かい、どうにかできないかと有益な情報を探して回った。
そして試練の祠のことを教えてもらい、死に物狂いで『黒色の重ね鎧』と戦った。
大量に流れ込んでくる思い出はどれもアルフェイに関するものばかりで、最近まではアルフェイを中心に生活していたのだ。
帰ることができなくなったと、途方に暮れるアルフェイの姿はひどく寂しそうに見えた。
元の世界に帰ろうとする自分に重なり助けたいと思った。
ただ、助けたかった。
しかし、アルフェイの残滓である血まみれの服がもう手遅れだと主張していた。
激情に流れる意識の向こうで神経を逆なでするような、嘲りに満ちた笑い声が今も聞こえていた。
試練を乗り越えたことで強くなったと思っていた。しかし、思っていただけだったのだ。
幼い兄弟のような、友人のような存在だった。
そんな一人すら守れなかったのだ。
渦巻く感情の全てが、自分の無力さを罵り叩きのめしていた。
同時に悲しいのか、苦しいのか、それとも怒りか憎しみか、一言では表せない思いが胸中で荒れ狂う。
悔しかった。
あと少し、自分に力があればと後悔しても仕切れない。
もし、次があるのならば、どうしていれば良かったのかと。
そんな考えが頭の中を回り続ける。
気づけばアルフェイに覚えていた親しみなどの感情全てが、ゴライアたちへの憎しみへと移り変わっていた。
「許さない……絶対に、許さない……ッ!!」
「ギャハハハハハ、誰がお前なんかの許しがいるかよぉ!? 悔しかったらその罠から抜け出してみたらどうなんだぁ!?」
どれだけ力を入れようとも体が動くことはなく、それをゴライアが嗤い続ける。
(殺してやる……! 何度でも! 何度でも……ッ!)
この世界に来て始めて向けられた明確な悪意は、ミズキに仄暗い感情を抱かせた。
放っておいたら駄目だと。
このままではアルフェイのような犠牲者が増え続けてしまうと。
しかし、ミズキにできることと言えば呪詛を言葉にするぐらいだ。
何もできない無力さにますます怒りが募っていった。
そのときだ。
目の前に文字が浮かんでいた。
それは戦争の条件を指定するものだ。
(これは……!? そうか、これなら……!)
同時に使い方やルールなども頭の中に流れ込んできていた。
――戦争終結条件――
両陣営の中心人物、そのどちらかが降伏し、了承された場合のみ終結とする。
期間は無制限とし、戦争によって生じた被害、損害を降伏した陣営が担うものとする。
条件を指定したミズキはゴライアに対して宣戦布告した。
「ギャハハハハ! は? 宣戦布告? マジかよぉ、この状況で!? いいぜぇ、やってみろよぉ! 何度でも殺してやるからなぁ、ギャハハハハハ!」
今のミズキには何もできない。
そう思ったゴライアが受けて立つと嗤い声を上げる。
そしてこの期に及んでミズキをなぶろうと線剣を振り上げた。
しかし、ゴライアの犯した最大の失敗はミズキと戦争状態になったことだろう。
オーヴェンたちを敵に回したことでもなく、周りとの軋轢など考えず傲慢な振る舞いをしたことでもなく、ミズキと親しいアルフェイを殺し、ミズキと敵対したことだ。
一度抱いてしまった憎しみの炎は簡単には消えず、その本人は止まる意思などかなぐり捨てていたからだ。
そして何よりも。
(絶対に、許さない……ッ!)
「〈起爆〉ウウウウウウ!」
リティス謹製の危険極まる爆弾が牙を剥くからだ。
人質であるアルフェイはすでになく、被害を与えるかもしれない親しい者も近くには居ない。
ミズキは躊躇なく使うだろう。
そのでたらめな威力となった自爆を。
紫光が解き放たれゴライアたちは装備ごと一瞬で蒸発する。
当然それだけでは済まない。
以前使用した〈起爆〉と比べ、『自在砲剣の魂』を取り込んだ今回の威力は桁違いとなっていた。
極限を越えてまで蓄積された魔力が文字通り全てを粉砕する。
ゴライアのアジトとその周りを、隠していた財産など瞬時に塵となる。
巨大な迷路のような洞窟が光に飲み込まれ、勢いは止まらずなおも広がっていく。
地下世界全体がその威力に震えていた。
離れていた『地の都』も例外ではない。
巨大な地下空間を誇る『地の都』の壁が次々と割れていき天井が崩壊した。
無数に存在する頑強なドームに覆われた都市が、降り注いだ瓦礫によって押しつぶされていく。
瓦礫がドームを貫き、都市の中に居る者と外に居る者とに訳隔てなく降りかかる。
いたるところで悲鳴と怒号が上がり、いくつもの人影が光に包まれ消えていった。
止まらぬ衝撃と光によって、被害はどこまでも広がっていくように思えた。
しかし、茶色の光が集まり人の形を作ると地下空間を覆うほどの障壁を張った。
そして割れ目にも光を注いでいきこれ以上の崩壊を防いだ。
そしてなおも落下を続けていた岩塊が、下から沸き起こった黒色の波動に飲み込まれていった。
岩塊は重力が無くなったように動きを止め、そしてごく緩やかに落下していく。
衝撃は地下だけでは終わらず、地上にある『森の都』にまで及んでいた。
街全体が激しく揺れる。
雑多なものが建物から零れ、剥がれ落ち、経験したことのない揺れに人々はパニックに陥ってしまっていた。
こうして凄まじい被害をもたらした〈起爆〉はようやく収まり、僅かな余波を残すだけとなった。
被害をもたらした張本人は『森の都』にある家に転送されていた。
戦争中は魔女の領域へ逃さない仕組みによる転送だ。
「うあああああ、ああああああああ! ああああぁぁぁぁ……!」
悲しみによる魂からの慟哭が部屋を満たしていた。
もう覆すことのない事実にどうすることもできず、手の温もりはもう戻らないと理解していても、泣き叫ばずにはいられなかったのだ。
悔しくて悔しくてたまらない。
もし、あのときアルフェイに着いて行っていたらと、後悔と罪悪感が心を締め上げていた。
しかし、子供のように咽び泣くミズキの周りには風が吹いていた。
そして悲哀の叫びは風に乗って飛んでいく。