145話 ミズキの遠い目
リディはそんな惨状を前に小さく頷いた。
やはり失敗か、その真意は彼女がアレンジ大好きなことに起因する。
料理が好きでありながらその腕は壊滅的。
そのうえ自分自身では味見をしないのだ。
そんな彼女の料理の味見役は、もっぱら同じ結盟に所属する者たちだったのだが、生か死かの味見など誰もやりたくないのは火を見るよりも明らかだった。
結盟員が味見を拒否するのは至極当然の流れであり、中にはリディの料理を見ただけで気絶する者まで居た程だとか。
そういった事情を持つリディがなぜこの料理大会に参加したのか。
それは審査員ならば絶対に試食をしてくれるからだ。
そんなリディの料理は劇物などという一言では片付けられない、そんな即死料理を口にしてしまった審査員たちはもはや痙攣すらせず、会場には何とも言えない静けさが訪れることとなった。
「おおおおっとこれはあああ! リディ選手、料理大会でまさかの毒を盛ったというのかああああ!?」
しかしエーヴィの実況によってすぐに騒然となり、審査員の胃からは無理やり毒物が吐き出されていた。
そして床に寝かされ回復魔法を浴びるように掛けられる。
ついでと言わんばかりに回復薬を口に流し込まれていた。
ただの回復薬ではない。
一本で全快するような代物だ。
「え~……場も落ち着きましたので審査の方をお願いしてもよろしいでしょうか~?」
回復した審査員たちが席に着いたところでエーヴィが申し訳なさそうに切り出した。
回復したといっても顔色は悪く体が震えているのだが、審査を途中で放棄することはない。
鋼の意思によってかろうじて審査が続けられた。
力が入らずブルブルと震える手によって点数が書き込まれた。
味部門はそれぞれ31、25、42、33、12と書かれ、合計で143点となっていた。
「あ、あれが私より高得点だと……」
アルガルトが崩れ落ちる。
続いてパフォーマンス部門の点数が発表され、書かれた数字は合計で246点と高得点であった。
アルガルトは虫の息だ。
「これで味部門とパフォーマンス部門、それぞれの点数が出たことでリディ選手が暫定トップに立ちました! 波乱があったことで時間も押しています! どんどん行きましょう! 次はイグナシオ選手です!」
「承知した」
イグナシオが審査員の居るテーブルへと向かい――キンキンという音が連続で響いた。
剣戟の音ではない。
イグナシオが置かれた皿へとおにぎりを置いた音だ。
およそおにぎりが出していい音ではないだろう。
「さぁ食べてみてくれ」
硬質な音を出したおにぎりを口に運び食べようとするが……
「か、硬すぎる……ッ!」
「ぬうううう……駄目だ!」
歯が立たなかった。
極限、否――限界を超えて凝縮されたおにぎりは何者をも寄せ付けない。
「これはどうしたことでしょうかああああ!? おにぎりのあまりの硬さにまるで歯が立ちません! 果たして、審査員の方々は無事にイグナシオ選手のおにぎりを試食することができるのでしょうかあああ!?」
シグナシオの握ったおにぎりを食べようとすることは、巨大な要塞を一人でどうにかしようとするほどに無謀な行いだ。
審査員たちが悪戦苦闘するもびくともしない硬度を誇る。
そんなおにぎりが、イグナシオが丹精込めて握ったおにぎりなのだ。
やがて誰しも食べることを諦め皿へと戻されていく。
「ちょっと失礼しますね~」
エーヴィが進み出てくると魔法箱からナイフを取り出した。
「〈魔力刃〉、ほいっと」
魔力の刃を纏わせておにぎりを寸断しようと試みたが、ものの見事にナイフが折れ飛んでいった。
「ありゃ~、歯が立たないけど刃も立たないか~」
ミズキは戦慄していた。
折れた切っ先が頬をかすめていったからだ。
頬からは一筋の血と、背中では滝のような汗が流れていた。
九死に一生を得たミズキを他所にエーヴィが実況を続ける。
その横では審査員たちが話し合っていた。
「大変お待たせしました! 審査員の方々も終わったようですので結果発表に移りたいと思います!」
味部門は点数の代わりに評価不能の文字が書かれていた。
「おおおおおおっとこれはああああ!? まさかの評価不能です! 前代未聞です! しかしこれは仕方がありません! 〈魔力刃〉を弾くものを食べられないからといって誰が責められるでしょうかああああ!?」
次にパフォーマンス部門では450という高得点であった。
しかしこの得点は当然とも言える。
パフォーマンス部門では如何にして会場を盛り上げることができたか、そういった要素を重視して点数が付けられるからだ。
音がヤバイ、刀を弾く、試食できないなどインパクトがありすぎる要素が多く、会場も大いに盛り上がったからこその高得点だった。
「これはすごいいいい!! とんでもない高得点が出てしまいました! まさに圧倒的です! しかし、それゆえに味部門の評価無しが悔やまれます! せめて食べられるものであったなら両部門での優勝を狙えたかもしれません!」
「ちゃんと食べられるぞ」
「え? それはどういう――」
バリンッ、ボリンッ!
バキン、ベキン!
ジャリジャリジャリ……。
およそおにぎりを食べる音とは思えない音を出しながら、イグナシオはあの超硬度のおにぎりを食べきってしまった。
それを見た審査員が点数をプラスしたのは言うまでもない。
続いてギャリッツの審査になったのだが、肉饅頭を口にした一人が爆発した。
放物線を描いて飛んでいき頭から落下する。
会場には再びの静寂が訪れた。
「こ、これはあああああ! なんということでしょう! ギャリッツ選手の作った料理を試食した審査員が爆発して吹っ飛んでいきました! 凄まじい威力です!」
床に横たわるボロ雑巾のような審査員を、ほかの審査員たちが唖然としながら見ていた。
そして、おもむろに食べる直前だった肉饅頭をそっと皿に戻してしまった。
「む、無理だ……私にはこれを食べる勇気がない……」
「わ、私もだ……」
「勘弁してくれ、家には妻と五歳になる娘が居るんだ……」
残りの審査員も同じでギャリッツの作った肉饅頭を食べられないと白旗を上げてしまう。
「まさかの試食拒否です! なんということでしょう! このようなことは恐らく前代未聞ですッ! タブン……んっんん! しかし、料理を審査する方々が料理人の作った料理を試食しないなど許されるのでしょうかああああああ!?」
「ならお前が食べてみるか?」
「あ、無理でーす」
見事な手の平返しであった。
しかし納得のいかない者が居た。
自身の持てる全てをつぎ込みこの料理を作り上げたギャリッツだ。
「何故だ!? なな、ななあああぜ、食べてくれないいいいいい!? この領域に至るまでどれほどの困難があったのか分かっているのか!? 何故理解されない!? 私の……ッ! 私が作り上げた究極の――!」
「ならまずはお前が食べてみろおおお!」
「ぐわあああああああああああああ!?」
エーヴィに肉饅頭を口の中に突っ込まれたギャリッツが吹き飛び会場の壁へと叩きつけられた。
「く、くふふふふふ……ッ! 流石だ……! やはり私の究極の料理、究極の芸術は間違っていなかったああああ……ッ!」
「まだ三つある!」
エーヴィが残りの肉饅頭全てをギャリッツの口に突っ込んだ。
ドゴオオオオオン!
ボゴオオオオオン!
ドゴオオオオオン!
きっちり三回鳴った凄まじい爆発が、上にある観客席ごと会場の一部を吹き飛ばした。
辺りにはもうもうと粉塵が立ち込め、その威力の凄まじさを物語る。
「恐ろしい料理だった……。料理など作らず錬金術で魔道具を作っていればまた違った道もあっただろうに……」
視界が悪い中、そうエーヴィが呟いた。
これほどの威力のものを作りあげることができるならば、爆弾系の魔道具を作っていたならば、それはさぞ高性能なことだっただろう。
しかし、悲しいことに料理という道に突き進んでしまった。
もし、全く違った道を歩んでいたならば――
「えほっえほっ! ほんとになんなんですかこの大会は……! あっ! アルフェイ君は無事ですか!?」
「だいじょうぶ。ふたしといてよかったね」
アルフェイはアイスクリームの入った容器を抱え起き上がるところだった。
「はぁ、ほんとに命がいくつあっても足りないですよ……それにこれじゃ大会も中止になっちゃうのかな」
「それでは結果発表をお願いしましょう! 果たしてギャリッツ選手の点数はどうなるのでしょうかああああ!?」
「うえええええ!?」
ミズキの心配など吹き飛ばすかのようにエーヴィが実況を続けていた。
そして審査員はこれが当たり前と言わんばかりに滑らかに筆を走らせていた。
味部門、評価不明
パフォーマンス部門、320点。
「やはり味部門は評価されませんでした! これは試食できなかったのですから仕方がないでしょう! しかし! パフォーマンス部門はイグナシオ選手には及ばないもののかなりの高得点だあああああ!!」
ちなみに、唯一試食した審査員はぼろぼろになりながらもしれっと復帰していた。
その上で評価無しであるからして、味も何もあったものではなかったのだろう。
「さぁ次はいよいよ最後です! アルフェイ選手の料理の試食を行いたいと思います!」
あ、続けるんだ……とミズキが遅まきながらに思う前で、アルフェイは審査員たちのお皿に抹茶アイスクリームをよそっていた。
しかし、なかなか上手くすくえないようで時間が掛かってしまう。
どうにかミズキがやっていたのと同じように丸い形状に盛り付けられ、アルフェイがやり切った表情をしていた。
「これは?」
「抹茶アイスクリームって言うんだって。ミズキが教えてくれたんだよ!」
審査員たちが息を飲み込んだ。
抹茶と言えば緑色だがこれは赤色をしている。
そして震える手でスプーンを使ってすくい、意を決して口に運んだ。
それまで食べた? ものが即死級の刺身から始まり、うりゅりゅんのスープ、硬すぎるおにぎり、そして先ほどの爆発する肉饅頭と、ろくなものがなかったのだから相当な覚悟が必要だったのだ。
それらを経て普通の抹茶アイスクリームを食べた審査員はと言えば。
「お、ぉおおおおおぉおおお……ッ! 食える! 食えるぞ!?」
「何!? おお、確かに食える! そして美味い!」
「まさか、まさかこの大会でまともなものが試食できるとは思わなかった……ッ! 痛んだ体に染み渡るような美味さだ……!」
審査員たちは号泣していた。
一方のミズキは放心し達観していた。
どこか焦点の合っていない目を遠くへと向け、もう何も思うまいとしている。
しかし審査員たちの反応も仕方がないだろう。
大会には基本、パフォーマンス部門に振り切れたような料理人しか居ない。
もとい残らないからだ。
本大会の構造上、まともで堅実な料理人はそれらに駆逐されてしまい、最後まで残ることは奇跡と言っても過言ではないからだ。
咽び泣く審査員が次々と100を書いていく。
「ああああっとこれはすごいいいいい! やけくそのように満点が記されていくぅ!! しかしこれで決まりました! 味部門優勝者はアルフェイ選手に決定です! そしてパフォーマンス部門はどうでしょうか! 二部門同時優勝できるか否かがもうすぐ明らかとなります!」
そうして書かれたパフォーマンス部門の点数は合計で78点というものだった。
わかっていたことだがパフォーマンス部門の性質上仕方がないだろう。
如何にして目立ち、暴れ、派手に振舞えるかが鍵となる部門だからだ。
ひたすら普通にアイスクリームを作っていたのではやはり地味であり、高得点を得ることは難しい。
「これで決まりました! 味部門優勝者はアルフェイ選手、そしてパフォーマンス部門優勝者はイグナシオ選手です! 会場の皆様、今一度の拍手をもって優勝者を称えてください!」
会場には割れんばかりの喝采が叫ばれた。
そしてそれぞれの優勝者には賞金として五○万シリーグと、偉業を称える文字の掘られたペンダントが手渡されたのだった。