128話 終わらない
一方で少し前のミズキはというと。
「あぼばばばばばば!?」
麦の海で溺れに溺れていた。
濡れ手に粟どころではなく、洞窟一杯に満たされた麦がなくなることはない。
理由は至極単純で、今もなおミズキの膨大な魔力が『麦の生る木』に供給されてしまっているからだ。
そうしたこともあり溢れ出る麦が止まることはなかった。
(息ができなぃぃぃ!)
最初に麦によって地面に叩きつけられてからというものの、抜け出すどころか全く身動きが取れないでいた。
(ど、どうにか脱出しないと……!)
咄嗟に思いついたものは魔法箱に自身の頭を突っ込むというもの。
しかしそんなことができるのかという疑問が残るがやるしかない。
魔法箱をどうにか降ろし、思い切り被れば呼吸はできるようになった。
問題はこの状況をどうするか。
アルフェイが言っていたように近づいてはいけなかったようで、まずはこの惨事を生み出してしまった自分が離れなければならないのだが。
(全然動けないよ!?)
(それに木にろくな思い出がないのは気のせいかな!?)
困ったと、カバンを被ったまま考えるもいい案などなく。
(ほんとにどうしよう……)
脱出しようにも身動きが取れないのでそれも叶わない。
うんうん唸っているとひとつだけ考えが浮かんだ。
この魔法箱で麦を回収しつつ移動できないかということだ。
(ものは試しだよね……!)
早速カバンから顔を出すと麦を収集していった。
しかし入る量に比べ生成される量のほうが圧倒的に多く、さしたる効果はなかった。
(全然駄目じゃん……!)
(ああ、もうどうすればいいのぉぉぉぉ……!)
『なんだか面白いことになっているわね!』
そんなとき、リティスの声が唐突に聞こえてきた。
「リティス様……!?」
『さっき魔法箱で回収しようとしていたわよね』
「そうですね?」
『発想は悪くないわ!』
「でも全然駄目でしたよ?」
『それなら魔法箱の機能を変えればいいのよ』
なんてことないようにリティスは言うものの、ミズキは戻ることさえできないのだ。
今必要なのはここから無事に出る方法だというのに、それでは順序が逆になってしまう。
『じゃあ早速やるわよ』
「え?」
言うや否や、カバンが輝き始めると洞窟内に満ちる麦がごっそりとなくなった。
後から生成される麦も同様にカバンの中へと吸い込まれていき、さらには洞窟の外に溢れていた麦までもが吸い込まれているようだった。
『これでもう大丈夫ね!』
「いったい何をしたんです?」
『単に魔法箱の収集範囲を変えただけよ。容量は多いから安心してね!』
カバンの口を広げたようなものだろうか。
しかしその規模が冗談では済まないほどに広くなっており、呆然とするミズキは麦の無くなった空間を見ていた。
「あの、あまり範囲を広げすぎると危なくないですか?」
今もなお麦を吸い続けるカバンはミズキの知るブラックホールを彷彿とさせる。
どういったものが収納できるかわからず、仮になんでも吸い込むのだとしたら危険極まりない。
『大丈夫よ、今は麦だけだし人は吸い込めないわ』
考えを読んだのか望む答えが返ってきたことにほっとする。
その横では溢れた麦を全て回収したのか、新たに生成される麦を吸い込み続ける奇妙な光景が続いていた。
「これからどうしましょう?」
『とりあえず離れればいいんじゃないかしら。魔力を吸われ続けているみたいだし』
「え、そうなんですか!?」
ミズキが『麦の生る木』から離れると麦の量が減っていき、しばらくすると麦が作られなくなった。
「おお、麦が止まりましたよ!」
『もう大丈夫なようね。私はもう一眠りするからよろしくね~』
それきりリティスの声は聞こえなくなってしまい、カバンの光も収まっていた。
そしてミズキはある重要なことを思い出した。
「あ、アルフェイ君は!?」
もしかしたらこの麦の海で溺れてしまっていたかもしれない。
そのことに気づき慌てだした。
辺りを見回すもアルフェイの姿どころか人の影すらない。
それどころか壁のいたるところが崩れていたり、また穴が開いていたりと風景が一変してしまっていた。
ここへの入り口はひとつだったはずなのだが、もはやどれが元の入り口かわからないほどだ。
とにかく合流しなければと思い、ここが街の外なのかどうかはわからなかったが、ダメでもともと。
風の導き石を取り出しアルフェイの姿を思い浮かべる。
するとどうやら無事なようで大きく安堵の息を吐いた。
*
「アルフェイ君、無事だった!?」
「だいじょうぶ! ミズキもぶじだったんだね!」
「はい! まさか麦が降ってくるなんて思いませんでしたけど……」
そう話すミズキの周りには互いに目配せし合い、なんともいえない空気が漂っていた。
「あんたがミズキか。大変なことになったが無事で何よりだ」
声を掛けた者はアルフェイを担いできた男だ。
「それと気になることがあるんだが、麦が消えた原因は知っているか? 麦がこの街にまで迫ってきたからいよいよ逃げようかと話し合っていたら急に消えちまったんだ」
「それはボクの魔法箱ですね」
「魔法箱?」
男が怪訝そうに眉をひそめた。
「はい、魔法箱に全部入れちゃいました」
「……は?」
ミズキの言葉を飲み込めないのか、男が口を半開きのまま固まってしまう。
それは周りの者たちも同じで一様に固まってしまっていた。
「それは、あれか……? あの量の麦を全部回収したっていうのか……?」
「外はわからないですけど、少なくとも洞窟内にあったのは全部回収しました」
その言葉にざわめきが起こり、ミズキは何か不味いことをしてしまったのかとおろおろしてしまう。
「とんでもねぇ魔法箱があったものだな……いったいどういう容量をしてんだか……。んん! 何はともあれ大惨事は免れたし助かったぞ」
「大惨事ですか?」
事のあらましを知らないミズキは首を傾げてしまう。
「ああ、あのまま溢れる麦が止まらなければここの『地の都』にある都市が壊滅していたかもしれんからな」
「そ、そうなんですか!?」
あまりの重大さに思わず叫んでしまう。
まさかそのようなことになっているとは全く想像していなかったのだ。
「ああ、だが麦も止まり溢れた分も綺麗になくなったから問題なくなったというわけさ」
男が笑いながら説明する横でアルフェイは申し訳なさそうに顔をうつむかせていた。
「ごめんミズキ……ぼく、こんなに危険だなんて知らなくて……」
「アルフェイ君の所為じゃないですよ。元はといえばボクが何も知らずに近づいてしまったのが原因なんですから」
「でも……」
ミズキは今にも泣きそうなアルフェイを優しく抱き締めその頭を撫でていく。
「それにボクはアルフェイ君が無事で良かったですよ」
「ここに居る人たちが助けてくれたの」
「え、そうだったんですか?」
「おうよ!」
男が威勢よく答えると周りの者たちもそれに続いた。
「まさかあんなところに糸切れが居るなんて思わなかったが、力を出し合ってなんとかなったってところだ。まぁ助かって良かったってことだな!」
男がガハハと笑いながら話し、そのあたたかさにミズキは涙ぐんでしまう。
アルフェイを虐げる者が居る一方、助けてくれる者たちも居ることがわかったからだ。
この者たちなら信用できるかもしれないと、ミズキはアルフェイに事情を説明していいのかを聞いた。
「だいじょうぶ!」
その答えによってミズキは、アルフェイの置かれた状況をここに居る者たちへと話していった。
「なんだそれは……そんなもんぜってぇに許せるわけがないだろう!」
「同感ね。明日は我が身かもしれないのによくそんなことができるものだわ」
アルフェイの状況に憤りを感じた者たちが次々と賛同してくれた。
オーヴェンのことも話せば機会がありそうなら協力してくれるとのことだ。
それから二人は見送られるようにして、最後の依頼を達成するために粉ひき所へと向かった。
あのようなことになってしまったが、ミズキの魔法箱の中には大量の麦が収納されており、あとは麦をひいて粉にすれば依頼は終わりとなる。
「ごめんくださ~い」
石造りの建物は粉ひきや保管ができる場所だ。
この建物には取引所も隣接し一体化している。
そして係りの者に粉ひき機の場所まで案内してもらい説明を受けていた。
「それでこの魔法の粉ひき機の上から麦を落としていただければ、あとは自動で行ってくれますよ。麦のほかにもいろいろなものが粉にできますので気軽にご利用ください」
「いろいろなものですか?」
ミズキが思う粉ひき機は麦やトウモロコシなどの穀類や、そば粉やコーヒー豆といったものだ。
「ええ、硬い鉱石から液体までなんでもできますよ」
精錬しやすくするために鉱石を粉状にしたり、飲み物を粉にしたあとに水やお湯を加えて飲むことができると説明された。
そして係りの者が一言付け加える。
「それと扱いには注意してくださいね。粉ひき機の中に落ちてしまうと粉になってしまいますから。前に人形の方が落ちてしまったんですよ……。その結果は見るも無残でした。すぐに転送されるとはいってもあまり見たいものではありませんね……」
「ヒェッ……!」
ミズキが短く悲鳴をあげる。
その顔色は悪くアルフェイも同様でその体は震えてしまっていた。
「まぁ、そのような事故があったので安全性は改良されています。安心してください。今は緊急停止しますからね」
そう爽やかに、笑いながら去っていってしまう。
「と、とにかく粉にすればいいんですよね!」
微妙な雰囲気を振り払うようにしてミズキが言葉を発した。
「う、うん!」
そうして金属の固まりのような、巨大な粉ひき機の上へとやって来たミズキが魔法箱から麦を投下していくのだが。
「いつまで出続けるんでしょうか……」
「ぜんぜんおわらないね……」
床に座り込む二人が言葉を漏らした。
それもそのはず。
粉ひき機に麦を投下し始めてからかなりの時間が経っていたが、全く終わる気配がなかったからだ。
最初こそ魔法箱を逆さに持ち麦を投下していたのだが、今は即席の台を作り魔法箱を固定し麦が流れ落ちるのを眺めるばかりだった。
「これ、いつ終わるんだろう」
「たくさんあったよね?」
「溺れるくらいには……」
麦は途切れることなく後から後から流れ落ち、粉になったものが専用の送り口から流れていくのを傍観する。
結局どうするか話し合った結果、規定量は余裕で超えているので依頼書へのサインをしてもらい、アルフェイが依頼所へと報告をしに行った。
ミズキは終わるのをずっと待っていたものの、結局夜になっても終わらなかった。
そして係りの者に一言断りを入れ、魔法箱をそのままにして家路についたのだった。
「ただいまぁ……」
「おかえりミズキ!」
家に着くとアルフェイが笑顔で出迎えてくれ、そのときミズキのお腹がくぅと鳴ってしまう。
思えば麦集めから何も食べておらず、気づかなかっただけで空腹は限界に達していた。
「ぼくもおなかすいた……」
アルフェイも空腹を訴え自身のお腹をさすっていた。
早速夕食にしようかと思い食事を取り出そうとしたのだが。
「ないよ! 魔法箱ないよぉぉぉぉ……!」
食料も全部魔法箱にあることに思い至り叫んでいた。
魔法箱がなければ何もできないことに愕然とする。
どうすればいいのかと絶望したのもつかの間。
「あ、買いに行けばいいですよね。アルフェイ君も何か欲しいものがあれば言ってね」
「ほんとに!?」
元気の無かったアルフェイが一変して飛び上がる。
そうして夜の『森の都』で美味しいものを求めて歩き、二人は無事に食事にありつくことができた。
やはりアルフェイは焼きメレンゲを笑顔でほお張っていた。