118話 光との交差路
『地の都』を重い足取りで歩くアルフェイの手には小刀が握られていた。
まさか必要な金額をさらに上げられるとは思わず途方に暮れる。
まだ換金していない素材がオーヴェンの指示で隠してあったが、どれほどの金額になるかもわからず焦りばかりが募っていく。
そうしながらも素材を回収した後、競売所に向かい換金すれば六万シリーグほどにはなった。
一回だけならば丸々支払える金額に僅かながらも安堵する。
しかし、二回目以降にはまるで足りない。
アルフェイが一日に稼げる金額は精々一万シリーグほどだ。
寝る間も惜しみ、どれだけ頑張ってもその金額が増えることはない。
今日を含め二日稼いでも二万ほど足りない。
そもそも探索に向かう人形たちでさえ一日五万はかなり厳しい金額なのだ。
到底無茶な金額からはよほどの殺意か、あるいはいたぶりたいのかはわからない。
しかし、相手の思惑がどうあれアルフェイは窮地に立たされていた。
以前から助け続けてくれた人物であるルーナや、先日知り合ったオーヴェンに相談しようとも思ったが、連絡が取れず今はとにかく動くしかなかった。
そして街の中での依頼や、比較的安全だと教えられた方法で懸命にお金を集めていく。
それからは早くも一日が過ぎ、もはや後が無くなってしまう。
手に握る小刀を暗い表情で見つめていた。
アルフェイは戦うこと、ましてやほかの人を傷つけることがどうしても嫌であった。
自分が殺されるかもしれない状況であったとしても躊躇してしまうほどに。
かつて可愛がってくれた優しい魔女は戦わなくてもいいと言ってくれた。
そんな幸せな時間を思い出し涙がにじむ。
しかし、もう会うことはできない。
「どう、すればいいの……?」
今ある金額は二万シリーグほど。
アルフェイが今日一日を使い地道に稼いだとしても指示された金額である五万シリーグまでは到底届かない。
相反する思いが胸中に渦巻いて身を焦がし、考えはまるでまとまらない。
そしてひどく重い足取りであったが、ゴライアに教えられた場所へとアルフェイはやって来ていた。
そこは森の中にある、いくつもの岩が合わさってできた地下への入り口が存在する場所だ。
入り口が一箇所であるため中に入った者を見失うこともなく、中には迷宮の主が居るが周囲には魔物も現れない。
そのため討伐を果たした者が油断しやすい条件が整えられ、実に襲撃に適した場所でもあった。
近くまで来ると中から音が聞こえビクリと震える。
すぐに木々の陰に隠れるが入り口から人が出てくる気配はなく、中から物音が聞こえ続けていた。
そうしていると音はしなくなり、おそるおそる入り口を覗き込んだ。
中は薄暗いがアルフェイに問題はなく、自身の存在を隠蔽しつつ慎重に進んでいった。
そして通路を進み大きい部屋へ出ると、辺りには凄まじい戦闘の跡が刻まれ、その中に血を流しボロボロになった少女が横たわっていた。
「むぅ、油断しました……」
少女がカバンから震える手で回復薬を取り出し飲もうとしていた。
襲うならばまさに絶好の機会と言えよう。
しかしアルフェイの体は石のように動かない。
自身が生き残るため、他者を蹴落とすなど本当にいいのだろうかと葛藤していたからだ。
嫌だという思いと死にたくないという思いが身体を引き裂きそうなほどにぶつかり合う。
何故、こんなことになってしまったのか。
答えなど出てこようはずもなく、ただあるのは優しき魔女との繋がりが途切れてしまい、全てはそこからおかしくなってしまったということ。
魔女の笑顔が脳裏に蘇り、以前の楽しい記憶が呼び覚まされる。
しかし、すぐにゴライアたちによる悪意によって塗り潰されてしまう。
その絶望の中でも支えてくれたルーナが居た。もう一度会いたいと思った。
しかし、自分にまた会ってくれるのかと不安にもなる。
ルーナもまたこんな自分でも好きだと言ってくれたからだ。
生きるためにほかの者を犠牲にした自分を嫌いになってしまうかもしれない。
(気持ち、悪い……)
あまりの吐き気に小刀を握り締める手に力が入り、呼吸が荒くなる。
涙がにじむ視界の向こうでは少女が回復薬を取り落としてしまっていた。
(やっぱり、無理だよぉ……)
目をきつく閉じ涙を拭う。しかし涙は止まることなく溢れるばかりだ。
どうすればいいのかわからない。
考えれば考えるほど底のない沼にはまっていくかのような感覚。
そのとき声が掛けられた。
「そこに、誰か居るの……?」
絞り出すかのような声に体が跳ね上がるようにして震えた。
そしてゴライアの言葉が蘇る。
『やらなきゃお前が死ぬんだよ』
『誰もお前なんざ必要としないよなぁ。それを優しいあたいが使ってやってるんだ。感謝しろよぉ?』
『魔女に会いたい? 気が向いたら会う方法を教えてやってもいいけどなぁ。あとは、わかるだろぉ?』
気づけば、小刀を振り下ろしていた。
「へ?」
肌を切り裂き体に刺さる感覚が手に伝わり、その生々しい感触に思わず柄から手を放す。
そして少女の体は光に包まれ消失してしまった。
「刺し、ちゃった……ぼ、ぼくが……うぅ、うぇぇぇぇぇ……!」
少女が消えたあと、アルフェイは大粒の涙を滝のように流し泣き叫んでいた。
手に残る感触と、短い時間だったが、少女と目が合ってしまったことが後悔する気持ちに拍車を掛ける。
少女のなぜ、という顔はもう忘れることなどできないだろう。
身を押し潰す罪悪感がアルフェイを苛みその心を蝕んでいく。
もう泣き止めないかと思うほどに泣き続けていた。
*
時はさかのぼり、魔女エマヴィス・リティスの領域にはミズキと魔女リティスの姿があった。
そこは薄暗い室内を吊られた丸い照明がぼんやりと照らし、物が机の上に乱雑に置かれるか、または床に散らかる落ち着きのない空間だ。
その机の上に居るミズキと机の前に居るリティスが何やら話し合っていた。
「やっぱり装備の充実は必須よね!」
「また何か作るんですか? 今度はもっと使いやすいものにしてくださいよ。前の『ふぃぐりん一号』でしたっけ? すごく使いにくくて敵にも全然当たらなかったんですよ」
顔の前で握り拳を作り熱弁するリティスにミズキは前に作った武器の不備を指摘する。
しかしリティスがそのようなことを気にする訳もなく、ミズキを無視してあれやこれやと自身の考えを垂れ流していく。
そもそも、事の発端はファティマとクーに譲ってもらった大量にある『青炎金剛竜』の素材によるものだ。
この素材を有効利用しようとリティスが思いつき現在に至る。
希少であると共に、強力無比な装備を作れるとなればリティスが興奮するのも無理はないだろう。
問題は未だに暴走するリティスがまたとんでもないもの、もとい扱いにくいもの……むしろ欠陥品に近い、ガラクタに片足を突っ込んだものを作らないかということだった。
ゆえにミズキは普通の装備を望んでいるのだが成果は芳しくない。
できれば前の有線式手榴弾などのキワモノではなくもっとシンプルな、それこそ剣や銃といったものが良かった。
「もうシンプルにしましょう? 例えば剣とか槍とか銃とか誰でも扱えるわかりやすいものがいいです。それに武器ばかりじゃなくて守りも重要なんじゃないですか?」
『ばとるん二号改』の〈魔力刃〉しかり、『ふぃぐりん一号』の〈爆破〉しかり、使用した際の威力や爆発にある程度は耐えられなければ使うことすら躊躇われる。
そもそも、そのように危険なものを使わないに越したことはないのだが。
しかしそんな普通、普遍、地味や凡庸などといったものにリティスは僅かばかりも興味がない。
それどころか今も前回を越えるものを作ろうと躍起になっていた。
「! シンプルに剣とか槍とか銃とか、誰でも扱えるわかりやすいもの……! なるほどね!」
腰に手を当て大仰に頷くリティスの様子から、ミズキは嫌な予感しかしなかった。
またそぞろ、ろくでもないことを企んでいるに違いない。
今度はいったいどんな無茶なものが出来上がってしまうかと先が思いやられる。
「いい案も浮かんだことだし、まずは以前からやりたかった魔法箱の強化ね!」
「魔法箱ですか?」
見た目は薄型のランドセルみたいであれだが、今でも十分過ぎるほどに便利な魔法箱に強化する余地などあるのだろうか。
ミズキが首を傾げているとリティスは話を続ける。
「前に魔法箱が破れて中身が出ちゃったことがあったわよね?」
『青炎金剛竜』との戦いのときにそんなこともあったと、そうミズキが思い出していると。
「あれでは駄目だと思うのよ!」
机に拳が叩きつけられた。その衝撃でミズキが跳ね上がり胸から落下する。
机に叩きつけられるミズキなどお構い無しにリティスはまくし立てる。
「折角ミズキちゃんが苦労して手に入れた素材がポロリしちゃうなんて許せないわ! ましてやほかの魔女の手先に奪われるかと思うと場外でわからせたくなっちゃうじゃない! ああ、私の可愛い素材――ミズキちゃんに手を出すなんて許せないわよね! 素材をおもちゃにしていいのはこの私だけなのにッ……! ミズキちゃんもそう思うわよね!?」
「えっと、はい……」
もう何から突っ込んでいいのかわからず、生返事を返すことしかできなかった。
それに素材と自分を言い間違えたようにも聞こえたし、そのあとの素材とおもちゃうんぬんが直前に言い間違えられたことで、何か含みがあるようにも聞こえてしまっていた。
「という訳で! 魔法箱に無敵化を施すわ!」
「無敵化ですか?」
何やらまたとんでもない言葉が出てきてしまった。
無敵のカバンとはどうなってしまうのか。
想像するものはどのような攻撃も弾き返す盾にもなるカバンだったが。
「それはね、攻撃を透過させればいいのよ!」
リティスが言うには攻撃を受けなければ絶対に壊れることが無くなるというものだった。
魔法箱の中は極めて都合のいい空間が広がっており、基本的には時間が停止しながらも有益なものだけは動き続けるというものだった。
その機能のおかげで魔法箱に収納したままでも装備の修復が進んでいたのだ。
その都合のいい空間を外部にまで広げ、応用すれば攻撃を透過しつつミズキが触れることのできる、なんとも都合の良すぎる魔法箱の完成になるというものだった。
それを可能にするのが『青炎金剛竜』の素材であり、相反する属性を同時に宿すという特性が生きてくるとのことだ。
ミズキは半分も理解できなかったが、リティスは一切気にすることなく力説していた。
「それにね! 副次効果として自爆してもカバンだけは無事なのよ! 前のままだと自爆すれば中の素材諸共に消失してしまったけれどこれからは自爆し放題よ!」
便利な機能が追加されるかと思ったらやはりとんでもないことを口走り始めた。
自爆し放題などと言われてもちっとも嬉しくない。
それになぜカバンを強化する話から自爆の話へと飛んだのかもわからない。
「では早速強化しちゃうわね!」
そう言うや否や、リティスがミズキの魔法箱を摘まみ『青炎金剛竜』の素材を宙に浮かせる。
そして素材の周りを光る輪が回り始め収束していく。
その光が魔法箱へと吸い込まれ、最後に一際眩しく輝けば魔法箱の強化は完了した。
「あとついでに魔法箱を中継しての装備などの転送もできるようにしておいたわ」
「よくわからないけど使い勝手が変わらなければなんでもいいです……」
フフンとどや顔で自慢されれば褒める気力すら削られてしまう。
思えばミズキの望んだとおりにしてくれたものといえば、『ばとるん二号改』の〈魔力刃〉くらいのものだった。