辻占の裏側
にこっと笑った直後のお話です。
「いたた、いたたたた、母ちゃん!!」
耳を摘み上げられた少年は涙目になっている。
「あれほど言ったのにまだ身に染みてないようなら、山へ戻すよ?」
年の頃は二十歳前と言っても通じそうだ。吊り上げた目は巴旦杏の形をしているし、黒々とした髪はその場と服装と容姿に相応しい程度にまとめられているが、整った顔立ちは不思議と少年とはあまり似ていないようだった。それでも街を歩けば十人に七、八人くらいの男が振り返りそうではある。
「ちょ、待ってくれよ! あのくらいじゃ何も変わらねーよ。……ありゃ、支天の月だ」
ぴた、と母の動きが止まる。
「それは……、本当なのかい?」
窺うようなまなざしは少年のみならず少女のことも案じているようだ。
「ほんと、ほんと。あと…そうだな。四年ってとこか」
「そこまで判ってるならいっそちゃんと占ってやりゃ良かったのに」
少年がそれを言い出す前に姿を消させて耳を摘み上げた事実はどこかへ消失したらしい。しかしこの母にそれを言っても無駄なことは少年自身が身を以って良く理解していた。
「んー。あの姉ちゃんとはまた会うと思う。はっきりとは言えないけどさ。なんとなくだけど、鼎の名を持っている気がするんだ」
片方だけでも面倒なのに大変だよね、と他人事のように呟く。
「面倒なことに巻き込まれないといいんだけど。厄介だねぇ」
母は、その母親が官吏の愛人として本妻に迫害され不遇のうちに亡くなったために、不幸な女性の存在を殊の外嫌がる。
「大丈夫だよ。母ちゃん。約束したろ? 不幸な女の人を減らすために俺はいるんだから」
にっ、と笑った顔には陰りの欠片もない。
少し楽観的過ぎる息子に呆れつつも、その気持ちだけは嬉しいものだった。
「そうだね。お前が助けておやり。初対面で年下の癖に女を口説くなんて十年早いけどね」
軽く額を細い指先で弾くと、大仰に仰け反る。
「え、口説いてねーよ。事実しか言ってねーじゃん」
本気で心外だといわんばかりの顔をしている。正気か、とつっこみそうになったのは、少年のせいで間違いない。
「……」
「母ちゃん。頭痛か? 薬手許にあったかな」
誰のせいだ、と言う前に何かとてもおかしくなってしまって、思わず笑い声が漏れる。
「まあ、いいさ。本人の気持ち次第だろうけど、叶うなら、助けてやりな」
まだ母の身長には届かない。そっと頭を撫でると、懐かしい匂いが風に揺れた気がして、母は目を細めた。
その母の表情の意味は、少年にはまだ判らない。ただ、普段はのほほんとしたところのある母が、苦しむ女を見る度に力のこもった目をするとき、母を守りたいという気持ちが強まることを自覚している。まだ幼い自分に出来ることは多くはない。ならば、手の届くところから、出来ることから、少しずつやっていくほかはなかった。
「母ちゃん、俺が守るよ」
声に出さずに、心の中でそっと誓った少年の背を、風がそっと撫でていった。
あのあと裏ではこんなことがあったのでした。