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侵略される世界。そして浸食されていく世界

 世界は終わろうとしている。


 世界の端は『黒』に飲み込まれていき、円状に大地を追い詰めていった。

 世界の淵を魔が蝕み、大地は汚染されていく。


 ――世界は終わろうとしている。


 抵抗する手段を人間は持ち合わせていなかった。原因がわからず、ただ滅びを待つだけだった。

 誰もかれもが救世主である『勇者』を望んでいる。

 だがそんなものが現れるはずもなかった。世界はゆっくりと死んでいく。


 ◇


 世界の寿命は推定であと百日。

 今日もどこかで罪なき人が死んでいる。村は『黒』に飲み込まれ、そこにいる人々は悲鳴を上げることなく死んでいく。


 世界の淵では魔物が発生する。動物に魔力が籠り、牙と爪がより発達した獣が魔物とされている。


 魔物に村人が殺されていく中、赤い髪の長身の戦士とその息子にも見える赤髪の少年が魔物と戦っていた。


「気怠いな」


 赤髪の長身の戦士はハードレザーに巨大な大剣、威圧ある肉体をかねそなえた人間の中で最も強いとされる戦士だった。その男は『人剣』と呼ばれる最高の人間兵器として、その心を汲み取られることもなく、今日も戦いに明け暮れている。


 その隣の少年は飢えた眼に殺伐とした気配を放っていた。戦い方はまるで獣のようで、人外めいた疾走を繰り返し、獣を屠る。


「アシュレイ、切り上げるぞ」


『人剣』がその弟子の名を呼ぶ。


「わかった」


 途端に少年の獣めいた雰囲気は霧散し、殺気が消えた。

 血臭広がる魔物の死体が点々とする大地を二人がゆっくりと歩いていく。


 魔物はまだ多く残っていた。けれど二人はあまりに強すぎ、二人に襲い掛かる魔物はいなかった。獣畜生とは言え、二人に歯向かうことは自殺と同義とわきまえている様子だった。


「アシュレイ」


『人剣』が弟子の名を呼ぶ。


「なに?」

「悔しいのか?」

「……なにが」


 今も人々の悲鳴が聞こえる。

 煙の上がった村では、血肉裂かれる音が、殺さないでくれと泣き叫ぶ声が、大切なものを失う者の慟哭が、いつまでも木霊している。


 残忍に魔物は人々の血肉を喰らう。そこはさながら終末世界。まるで地獄のような光景が、永遠と続いている。


「わかっているな? 意味のないことなんだ。俺たちは人々を守りに来たわけじゃない。魔物は殺しても殺してもキリがない。もうボスは倒した」

「……わかってるよ」

「アシュレイ」


 感情を抑えろ、と『人剣』は言う。少年は平静を保っているように見えた。しかし、その拳は血が出るほどに震えていた。


「お前は『半勇者』だ。人々の期待に応え、『魔王』を討つための装置だ」

「わかってる」

「肝に銘じろ。どうせ世界は浸食されていく。我々は多くを守れない」

「わかってるよ」


 でも、と少年は言う。

 耳に残るんだ、と彼は呟く。


 少年はいつもいつも、このような景色を見てきた。もう何度目だというのだろう。人々の苦しみの声。血の臭い。世界の淵が黒ずんでいき、世界がゆっくりと飲み込まれていく光景。


 耳に残るんだ、と少年は言う。


 苦しみ足掻く声と声が、耳から離れてくれないんだ。


 ◇


 一人は血みどろで戦い抜いた気配、一人は土煙で汚れているも返り血を受けた様子はない。

 そんなある種対照的とも呼べる二人が、古びた宿の戸を叩く。


 宿の中は寂れていて、人気がなかった。無造作に散らかる机と椅子が、まだ焚火として使われていない薪が散らばっている。


「旅人かね、珍しい」


 ただ一人、カウンターで腰かけている壮年の男が二人に声をかけた。血みどろの一人に宿を汚すなと声をかける様子もなく。


『人剣』はなにも言わずに階段を昇って行った。なんの申し開きもなく、勝手に宿を使うことに決めたようだ。片耳に揺れるピアスが怪しげな光を放ちながら、幽霊のように彼は姿を消した。


 残された少年は宿主と思われる壮年の男が座るカウンターの前まで移動し、今にも壊れそうな椅子に腰かけた。

 寒そうに彼は薄汚れたマフラーに口元をうずめる。


 壮年の男がぼんやりと少年の姿を見つめる。鋭い眼光、宝石の朱色をかき集めて作ったような綺麗な赤朱色の髪。体躯は少年の年齢で言えば平均よりも大きいほうだろうか。長剣の似合う、刺々しい雰囲気を持つ、やけに戦い慣れしているような少年の姿。

 マフラーで口元を隠し、腕を机にかける少年の姿はやけに様になっていた。


「なにか飲むかね?」

「いらない」


 そうか、と残念そうに壮年の男は言う。手持ち無沙汰の彼はだれも使う予定のないグラスを汚れた布で磨き始めた。


 日は暮れ、暗がりが宿を覆い始める。ただでさえ鬱蒼とした空気がさらに深みを増していくかのようだった。


 この世界に未来はない。この世界に希望はない。この世界に救いはない。


 それがこの世界に住まう人々の共通の認識であり、この村にもまたその認識が蔓延っている。それを象徴するかのように荒れたこの宿の空気は、とても陰鬱で息が詰まりそうなぐらいだった。


「なあ」と少年は言う。声をかけられた壮年の男は死にそうなぐらいにゆっくりとグラスから顔を上げた。


「なんで逃げない。ここはもうすぐ『黒』に飲まれる。魔がもう大地を蝕んでる。魔物がくる寸前だ。なのに、なんで逃げない」


 いつもいつも、世界の淵の傍では悲劇が起こる。そこから近い場所では魔が蔓延り、大地は腐り、魔物が発生する。そこは人の住めぬ土地。そういうものが世界をゆっくりと覆っている。


『黒』に飲まれた大地は消滅する。亡くなった世界にものを投げると、跡形もなく消滅してしまう。なぜなら、『黒』に飲まれた世界はもう消滅しているのだ。そこには空間というものがない。


 だから、村人たちがその故郷にとどまり続けるのは自殺と同じだ。留まることは確実な死と同じことだ。


「なんで逃げない。ここにはまだ多くの人の気配がある。酒に溺れて死んだように寝ている人たちの気配がある。世話を放棄された赤ん坊の寝息が聞こえる。耳に残るんだ(、、、、、、)。まだ生きている人たちが大勢いる。……この村、『黒』が迫っているのにもかかわらず、逃げたものはほとんどいないな?」


 壮年の男は死んだ目を少年に向けた。


ほとんど(、、、、)ではなく全員(、、)ですよ。『黒』が迫って逃げ出した村人など一人おりません。自殺を選ぶものはいましたが、ここからでていくものなどどこにもおりません」

「なぜだ?」

「なぜか?」


 故郷愛。郷土に骨をうずめる精神。自らが生まれ育った大切な土地で死んでいくこと。


「『半勇者』様。あなたは今まで多くの村を見てきたのではありませんか? どこも同じ答えを返したはずです。それでは足りませんでしたか?」

「俺にはわからない。意味が分からないんだ。お前たちにとってここが大切な場所だというのはわかる。でも、命より大切なものなんてないはずじゃないか?」

「あなたは若いんですよ。そして感情的だ」


 知ったような口を壮年の男は叩いた。少年は同じようなことを『人剣』からもよく言われていた。そして見ず知らずの人にも同じようなことを言われた。まるで世界の人間全員が、少年のことを知っているかのような口ぶりだった。


「だったら……なんなんだよ……!」


 人が死ぬこと。


 壮年の男は同情するような目つきを向けた。そして汚いグラスに酒を注ぐ。


「あなたが気にすることじゃないんです。我々はあなたのせいで死ぬわけではないんです。我々はあなたにとって人形のようなもの。土塊が人間のような動きをしているだけで命なんてないんです。魂なんて宿っていないんですよ」

「それは俺が『半勇者』だから、上位のものだからそれと比べればただの人間の命の価値なんてゼロに近いという話か?」


 世界は終わっていく。どうせどの命もゼロになる。価値はないに等しい。

 ただ『勇者』だけはその世界をひっくり返せるかもしれない。だから『勇者』の命だけはこの世界では価値がある。


 それがこの世界の住人の認識。


「いいえ、そういう話ではありません。意外と言葉通りの意味なんです。あなたは命が失われることに関して悲しむ必要はないんです」

「……意味が分からないな。いつも人々は俺に同じようなことを言う。でもその中でもあんたの言葉はとびきりわけがわからない」


 そして、俺に同情的だ。


 少年にとってそうした感情を向けられるのは珍しいことだった。


「なあ、あんたさ。昔戦士をしていたことがあるだろう。手が戦士のものだ。豆や肉のほつれ方からして弓使いか? それなら……俺たちについてこればいい。ここで死ぬ必要はない」

「いいえ、私はここで死にます。でも、ありがとうございます」


 少年は頭を振って立ち上がる。腹が立っているように見えた。


「少し待ってください」

「……」

「『勇者』にふさわしい心を持っているんですね」

「……馬鹿にするな」

「だから一つ教えておきましょう。もう物語は動き始めていますから、私たちの口はもう少し動かせるようになったんです」


 村人が死んでいくの世界の摂理なんです、と壮年の男は言う。

 決められたことなんです。そういうものなんです。そういう道順をたどって、世界が完成していくんです。


 少年は師である『人剣』を追って階段を昇った。

『半勇者』の能力である超感覚で人の気配を察知し師を見つける。勇者は人を束ね、人の意思を集めるもの、象徴的存在。勇者は人の五感がひときわ発達しており、特に

 に人の気配に敏い。


『人剣』は大剣を騎士のように構え、瞑想していた。巨大な剣を持っているというのにその構えにはブレがない。彫刻のように動かず、気を高めている。


『人剣』の体には過去受けた多くの古傷があった。筋肉隆々としたその肉体は浅黒く、余裕を持つ赤い目は澄み切っている。

 巨大なマントを羽織り、皮鎧に全身を包む圧巻の戦士。やや長い赤の髪には黒が混ざっている。


「師匠、世界を救いに行こう」

「『魔王』を倒そうって?」


『魔王』。根拠なく名付けられた巨悪はそのように表現されていた。

 曰く、『魔王』は世界の中心にいる。円状に世界が『黒』に蝕まれていく中で巨悪はその中心で待っている。

 世界が円状に死んでいくには意味がある。その中心になにかがあるのだ。

 そこでなにかが待っているのだ。それが『魔王』だ。


 でもそれはなんの根拠もない噂話だった。それが本当なら、きっと誰かが魔王を殺しに行っている。中心に戦士がこぞって押し寄せて、世界の終焉を食い止めてる。でも、今現在そうはなっていない。誰かが向かったという話すら聞かない。


 たぶん、それは誰かが希望を持たせようとして作った作り話だった。みんなが憎むべき巨悪は現実のどこかにあってそいつを倒せば世界は救われるかもしれない、と絶望に包まれる世界に『敵』を作って結束を高めようという行為でしかない。


 だが少年の考えは少し違う。


「この世界のどこかに『魔王』がいる。中心にいないのかもしれない。でも世界が終わる原因を作っている巨悪はきっとどこかにいるはずなんだ」

「そんなものどうやって確かめる?」

「世界の中心に行く」

「無駄な行為だと思うがな。それにいいのか? ここを次に襲う魔物のレベルは四十はあるぞ」


 ここに来る前、倒してきた魔物のレベルは三十。

 世界が『黒』に侵略されるにつれて、魔物の強さは増している。人が殺されているせいなのか、世界を喰らっているからなのか、なんなのか。

 ともかく、『黒』から生み出る魔は日増しに濃度を増している。きっと、世界が終わる直前に生まれる魔に対しては『人剣』ですら歯が立たなくなる。


「同じことだ。どうせ村人たちはみんな死ぬ」

「大人みたいなこと言うじゃないか」

「……明日から、中心に向かおう」


『人剣』はため息をつく。どうぞ、と投げやりに少年に返答した。


「おい、アシュレイ。もう夜が更ける。火をつけてくれ」

「わかった」


 少年は地面に向かって魔法の火を放つ。魔法の才能はこの世界のほとんどの人間が持っているが『半勇者』である彼の才能はその中でも特に特別なものとされていた。


 地面に落ちた灯めいた炎は木製造りの宿を焼くことなく、その場にとどまって部屋の明かりの役割をした。


「ああ、休まるな。お前の灯、まるで人魂みたいだよな」

「でも青くない」

「そうだな。でも感情があるみたいな揺らめき方をする。『半勇者』の炎ってのはどいつもこいつもこんな感じなのか?」


 ぼんやりと少年は灯を見つめる。それをよく見ると、確かに師の言う通りその灯には人の魂が入っているかのように見えた。


 ◇


 アシュレイ、この世界には本質的には何の意味もないんだ。

 あの宿主はマクガフィンなんだ。あの宿主が弓使いだったとしても、その息子が狂死したとしても、妻が己を殺そうとした経験があったとしても、あまり意味のないことなんだ。

 それらの出来事は別のものに置き換えてもよかったし、彼が無個性でも剣使いでもどうせ同じ役割を果たしてたんだよ。

 わかるか? それは俺にだって言えることだ。

 お前にとって、この世界の人間はどれも「入れ物」のようなもので、中身なんて意味がないんだ。お前は魂だけを拾っていればいい。

 いいかアシュレイ。お前は怒ったり悲しむ必要はないんだ。

 囚われるな。お前が受け取った魂はストーリーを持っているがそれはリアリティを与えるための道具に過ぎない。


 お前にとって、この世界の人々には等しく価値がない。


 ◇


 あれから三十日たった。世界は滅びる前の半分にまで小さくなり、多くの村が滅びた。

『半勇者』であるアシュレイには多くの魂が集まった。

 勇者とは人々の象徴的存在、人の希望、人の意思を集める者。


 アシュレイはさらに強くなった。彼は順調に勇者に成ろうとしている。













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