序章 2話
〜序章〜
2話
暗い廊下を歩いている。足元に転がる無数の死体を見ても何も感じない。感情という機能はなく、ただ命令に従い動く人形。
それが自分の存在意義。
暗がりの奥で物音が聞こえる。そこにいたのは小さな女の子。その瞳は涙にぬれ、俺を見ると恐怖で顔が引きつり、必死で助けを求める。
だが俺に与えられた命令は皆殺し。そこに例外はない。何の迷いもなく手に持つナイフを振りかざす。何のことはない、また廊下に静けさが戻る。
何も感じない。自分は人ではない。
そこにいるのはただの殺人人形。
闇に落ちていた感覚が戻ってくる。どうにも深い眠りだったらしく、頭がぼんやりしている。時計を見ると時刻は午前5時になったばかり。どうやら昨日、帰宅してベッドに倒れこんでから今までずっと目覚めなかったようだ。昨日おろしたばかりの制服が、すでにくしゃくしゃになってしまっている。着替えずに寝てしまったのだからそうなるのは当然か。
まだ半分寝ている頭を起こすためにシャワーを浴びることにする。次第にしっかりと働き始める脳。続いて思い出すさっきまでの夢。
二日連続で見ることになるなんてな。
原因は言わずもがな、昨日のことだろう。魔術などという学校の、しかも教師からの説明。新たな生活への期待を裏切られたことへの混乱が、どこかしらストレスになり、それが夢の中へ悪い方向で現れたに違いない。
ずいぶんゆっくりと準備をしたにも関わらず、時刻は未だ7時を回ったばかり。家から学校までの距離はたいしたことはなく、10分もあれば到着する。ゆえにまだ家を出るにはそれなりに時間がある。
正直な話、あまり行きたくはない。昨日、何の確認もせずに帰ってきた後ろめたさもあるが、何よりあの学校が普通ではないのが一番の問題だ。
普通を望んだ結果がこれか。
なんとなく自分は不幸な星の下に生まれたのではないかと思えてくる。何しても準備をしなくてはならない。まだあの学校がおかしいと決まったわけではない。昨日のことは何かしらのジョークなのかもしれないし、今日行ってみれば、実は何事もなかったかのように授業が行われるのかもしれない。
むしろそれを望む。変なことは何もいらない。ごくごく一般で十分なのだから。
それでも最低限のものは持っていくことにする。いかに自分が望んだところで、結果は違うかもしれない。魔術なんてものを本当に信じ込んだいわゆる宗教団体みたいなものなのかもしれない。だから準備は怠らない。そこに待つものが普通だと信じて。
「これより昨日の選定の結果を発表します。この結果によりみなさんの魔術訓練のクラスが決まることになりますので、しっかりと確認するようにしてください」
望みは一瞬で砕け散った。教室に入った段階では、そこはごくごく普通の教室だったので少し安心もしていたのだが、チャイムが鳴り、入ってきた女教諭のその発言でその安心は脆くも崩れ去ってしまったのだ。
「昨日も言いましたが、これはきわめて重要なことです」
よく見てみればその女教諭は、昨日壇上で魔術についてあれこれ述べていた人物と同じだった。肩より少し長めのまっすぐな黒髪に、切れ込みを入れたかのような鋭く、それでいて綺麗な目。そこにかけられた眼鏡が、どこか一流企業の社長秘書を連想させる。スーツをきっちり着こなすその様子は、非の打ちどころがなかった。
まさに美人。
少し周りを見渡してみれば、クラスの男の大半は熱っぽい視線を教師に送っていた。
「その前に一応私の自己紹介をしておきます。これから一年あなた方の担任になります神崎要です。よろしくお願いします」
神崎教諭はそれだけ言うと一礼だけし、それ以上自分のことについて何かを語ろうとはしなかった。なんとなくその事務的な様子が、彼女の雰囲気を厳しい人と認識付けたのか、誰も何かを質問しようとはしない。教室は静寂に包まれている。
「それでは今から個別の資料を配布します。これからの時間割、並びに連絡事項などはそこにすべて書いてありますので」
神崎教諭の手には書類の束が握られている。どうやらそれが今言ったものらしい。もっとも昨日その選定とやらを退避した俺のものは入っていないだろう。だからと言ってそれが残念などとは微塵も思わない。それよりも今考えるべきことは別にある。一体自分はどんな場所に迷い込んでしまったのか。少なくとも外観はまったくの普通の高校だったはずだ。入学試験にしても、一般的に行われているようなテストと面接。そのどこにも入学後にこんな状況になるような要因はなかったはずだ。
神崎教諭はすでに資料を配り始めている。それを受け取る生徒は、だれを見ても自分のような疑問を抱いているものはいないようで、期待に満ちた表情をしている。つまり誰一人としてこの状況を問題とは感じていない。
どうしたものか?
判断はつかない。期待していた高校生活を最初から壊されたせいか、今の感情は怒りというよりもむしろ落胆のほうが強かった。ようやく手に入れたと思った普通が崩れていく。そのときだった。今まで興奮に満ちていながらも、保たれていた静寂が破られる。
「いい加減にしなさいよ!!」
怒りに満ちた声が教室に響く。
「さっきから魔術だかなんだか知らないけど、あんた本気で言ってるわけ!?」
声の主に全員の目が集まる。軽くウェーブのかかった茶色っぽい髪。その大きな目は今は怒りでつりあがっている。神崎教諭とはまた違った美人なのだが、今は般若も逃げ出したそうな表情だ。まさに怒髪天をつくといったところだろうか。
「どこの高校に魔術を教える教師がいるのよ!!というか馬鹿じゃないの!!」
決して小柄ではないが大柄でもない彼女なのだが、あまりにもすさまじい怒りのせいか、その威圧感のせいでとても大きく見える。
そんな彼女の怒声に、どこか安堵していた自分がいた。少なくとも彼女のおかげで同じ思考をもった仲間があいることがわかったのだ。こういう状況でのその一人は何よりも大きい。
「彼女と同じ意見の方はいますか?」
しかし、怒りをぶつけられた本人である神崎教諭はといえば、その表情を崩すわけでもなく、さっきまでと変わらないトーンで他の生徒へ確認をとる。どんなに注意して見ても、その顔からは何の感情も読み取ることはできない。
「いませんか?」
再度神崎教諭はどう問う。もちろん彼女に賛同するものは皆無。それはそうなのだろう。教室内の様子を見る限り、彼女のことを疑問視しているものはたくさんいるが、決して理解をしているように見える人間は誰もいない。そんなことはさっき自分自身で結論づけたことでもある。だからと言って彼女がそれで納得するわけがない。その眼はますます厳しくなり、それこそ怒りで光っているようにも見える。視線で人が殺せるのなら、全員すでに何回殺されているだろう?現に、彼女の周りの生徒はその怒りに気圧されて小さく縮こまってしまっている。
「うそでしょう!?まさか誰もいないわけ?!」
彼女の表情に若干焦りのようなものが見え始めた。どんなに自分が正しいと思っていても、大多数の相違意見が自分の意見を上回れば、人は自分を信じることが難しくなる。集団心理なぞそんなものだ。例にもれず、今の彼女もそういった感じなのだろう。
何にしてもこれ以上黙っていてもしょうがない。何が正しいのかわからなくなっているこの状況をどうにかしたいなら、行動するのが一番だろう。きっかけは彼女がつくってくれているのだから。
「俺も彼女の言う通りだと思う」
静かに席を立つ。さっきまで彼女に向けられていた視線が、今度は自分に集まってくる。どの目も、やはり言っていることが理解できないといった感じだ。
「魔術なんてものはこの世にはない。宗教活動がしたけりゃよそでやれ」
魔術なんてものは存在しない。そんなものはありえない。仮に存在したとして、それが一般によく想像されるようなものだとしたら、とっくにこの世はおかしくなっている。すべての物理法則は崩壊し、それこそ世界のバランスが崩れる。だがそんなことは起こっていない。証明材料はそれだけで十分だ。
彼女のほうをちらりと横目で盗み見る。自分の意見に同意してくれたものがいた安心感からだろう、少しだけ怒りが薄らいだような気がした。
「三枝さんと八雲さんですね」
神崎教諭はクラス名簿と思わしきものに目を通し、俺たち二人に目を向ける。やはりその眼に何の感情をも読み取れないのは変わらない。八雲は自分の名字だから、彼女の名字はどうやら三枝というらしい。
「少し席をはずしますので皆さんはこのまま教室で待機していてください。すぐに代わりの者を呼びます。それからお二人は、」
教卓の前から教室前方の扉に移動する神崎教諭。
「私についてきてください」
扉を開ける。今まで張りつめていた教室の空気があいた扉から抜けていくような錯覚を覚える。
しかしどういうつもりだろう。あからさまに怪しんでいる人間がついてこいといったところで、それにはいそうですか、と応じる人間がいるとでも思っているのだろうか。少なくとも自分はそんなことはしたくはない。あまりにもリスクが高い。
「いいわ!あんたたちの化けの皮はがしてあげるんだから!!」
盛大にずっこけそうになった。
言うが早いか、三枝は机を倒さんばかりの勢いで神崎教諭が開けた扉に突撃していく。さながら闘牛士に向かっていく牛のようだ。
「何してんのよ!!あんたも早く来なさい!!」
呆けて立っている俺に向かってそう怒鳴る三枝。一体あいつは何を考えているのだろう。どう考えても危険なとことに自ら飛び込もうとしている自覚はあるのだろうか。いや、そこまで深くは考えていないのだろう。今三枝が考えていることは一つだけ。魔術などと言っているこいつらに、そんなものはものはないと認めさせることだけ。
なぜ上から目線なのかは、この際置いておくとしよう。
「どうしました?」
静かに問う神崎教諭。さっきまで何の感情もなかったその眼に、今はどこか挑発めいたものが見えた気がした。体はさきから警鐘を鳴らしっぱなしだ。一刻も早くこの場を離れるべきだということはわかっている。それでも、今自分が一人で逃げれば三枝はどうなるだろうか。関係ないと言えばそれまでだが、何かあっては目覚めが悪い。それに、
『前を見なさい』
あの約束。
『あなた自分が正しいと思ったことをすればいい』
片時も忘れたことのない言葉。
ゆっくりと席を立つ。おもむろにポケットの中を探る。固い感触。最低限のものを準備してきて本当によかったと思う。
仕方がない。ここまで来たら付き合うことにしよう。
そう決意を固め、三枝の後を追った。