第1章 5話
〜第1章〜
5話
誰もいない廊下を一人歩く。いつもならば生徒たちが教室を移動したり、友達と話している姿が見受けられるが今は授業中であり、自分以外の生徒は誰り見受けられなかった。校長との話はあの後すぐに終わったが、それはとても自分にとって満足のいくものではなく、どちらかといえば消化不良で終わったといった感じだ。
すでに自由時間であった魔術訓練の時間は終わり、一般教養である授業が始まっているが、そこでおとなしく授業を受ける気にはなれなかった。
校長に伝えられた事実。それによれば自分にはまったく魔力というものがないらしい。にもかかわらず自分はここにいる。なんらかの理由があるらしいが、それは教えてはもらえなかった。
「意味のわからないことだらけだ……」
普通の高校生活を求めてここに入学したというのに、待っていたのは魔術というオカルトなもの。そこで生活をはじめて1週間が過ぎ、それらしきものを見せられはしたが、未だ半信半疑な自分。さらにそこに突きつけられる新事実。もはや何がどういう向きで進んでいるのかさっぱりわからない。そんあ思考にとらわれていたからか、普段なら絶対に気付かないはずのない前からの人の気配にまったく気がつかなかった。
相手も他に意識をとられていたのか、お互いに真正面からぶつかる。
「「うぁっ!?」」
二人の声が重なり、続けて片方が盛大にひっくり返る。俺の方はかろうじで踏みとどまれたので、倒れたのは相手の方だ。
「いたた……」
「大丈夫ですか?」
「ああ、そっちは大丈夫かい?」
とりあえず手を差し出し起きるのを手伝うことにする。俺の手を借り、立ち上がったのは若い男だった。真新しいスーツに身を包み、きっちりと櫛をあてられた髪。その姿から新任の教師だと推測する。
「悪いね。少し考え事をしていたから」
「いえ、こっちも同じですから気にしないでください」
「そうか、じゃあ、僕は急ぐから」
それだけ言うと男はあっという間に立ち去ってしまった。それにしても―、いくらなんでも気を抜きすぎだ―、考え事をしていたとはいえ、前からの接近に接触するまで気付かないなんて。こんなことは過去に一度もなかった。いや、もしあったとしたら今頃自分はここにはいないだろう。そういう環境だったのだから。
それだけ俺自身普通に近づいているってことなのか……
また新たな思考の海に潜りそうになったが、それは途中で中断された。
「あなた!一体ここで何をしているんですの!?」
?、振り返った先にいたのは女生徒だった。しかしその姿はどこかで見たことがあるような気がした。
「今は授業中のはずです!!あなたのクラスと名前を言いなさい!!」
授業中と言いながら廊下の真ん中でどなり散らすお前はなんなのかと思う。赤みがかった髪に、縦ロール。どこかで、しかもつい最近見た気がする。
「聞いているのですか!?」
そこでようやく思い当たる。自分は今さっきその人物と話をしたばかりではないか。
「校長……、のそっくりさん?」
そう、その姿は月影学園校長『夕凪命』にそっくりだった。しかしあっちが20代前半のような(実年齢は不詳だが)様子に比べて、こちらはさらにそれよりも若く感じる。しかし何より違ったのはその目つきだ。校長の目つきは柔らかい。その端々に何かしらのたくらみがあるように思えてならないが、基本的に優しそう、というイメージが先行する。だが目の前の女生徒にはそれがまったくない。というより180°正反対と言ったほうがいいだろう。現在怒っている性もあるのだろうが、その目つきは相当に鋭い。三枝が怒ったときの目つきも鋭いが、これはそれ以上だろう。その目からは校長のような柔らかさはひとかけらも感じ取れなかった。
「誰、あんた?」
ゆえにこれは校長とはまったくの別人と結論付ける。人の性格というものは容易に変わるものではない。表情や目つきもまたしかりだ。表情というのは、性格というものとの連動性が極めて高いのだ。短気な人の眉間にはよくしわが寄っていたり、逆にのんびりした人はどこか落ち着きが感じられるといった感じだ。片側がそう簡単に変わらない以上、連動するもう片方もそう簡単には変わらない。それが目の前のそっくりさんを校長と別人と断定した主だった理由だ。
「誰ですって!?」
しかし女生徒はこの答えがお気に召さなかったらしい。それでなくても鋭かった目が、さらに鋭くなる。
「あなた、この学園の生徒でありながら私をしらないというのですか!?」
「そりゃ全校生徒の一人一人を把握しろって方が無理な話だろう?」
「このっ……!?」
この返答もお気に召さなかったらしい。なんだか肩をわなわなとふるわせているあたり、どうやらとても怒り心頭の様子だ。
「いいでしょう。それならば今この場でその脳に刻みつけなさい!!」
女生徒は思いっきり息を吸うと、
「私はこの学園の生徒会長、夕凪リリア・ハーツです!!以後、覚えておきなさい!!」
ズビシッ!という効果音とともに指を突きつけてくる。自分の自己紹介の余韻に浸っているのか、生徒会長と名乗った女生徒は何も言ってこない。
夕凪?
夕凪と言えば、校長と同じ姓だ。ということはやはり校長と何か関係があるのだろう?容姿もそっくりだし、その可能性は高いのではなかろうか。
「さぁ、次はあなたの番ですわ!おとなしくクラスと名前を述べなさい!!」
さっきからやたら高圧的で命令口調なのが非常に気にかかるが、下手に刺激して余計なことになっても面倒だ。だからと言って、正直に聞かれたことに答えてしょっぴかれるのはもっと面倒だ。だとすれば、
「逃げるが勝ちってか?」
「え?」
すぐ横にあった窓を一瞬で開け、そこから身を投げ出す。後ろで生徒会長が何かを叫んだ気がしたが、落下の際の風圧で何も聞こえない。今俺が飛び降りたのは5回の廊下から、普通に着地すればもちろんタダでは済まない高さだが、
ふわっ…
着地の際に出るはずの音は起こらない。理由は単純、着地の際にかかる下向きのベクトルを今俺はうまく打ち消しただけ。地球に存在するあらゆるものには問答無用で重力がかかる。それゆえ人は常に下向きの力を受けているわけだが、その力は力を受ける物体が地面に接触しているかぎり常に一定だ。しかし、飛び降りるとなるとそれは変わってくる。
落下する物体には、毎秒9.8m/sec2の力がかかり続けるのだ。それゆえ落下する物体の落下速度どんどん上がり続ける。それは高さが高くなれば高くなるだけ早くなり、地面に接触する際の衝撃もあがるわけだが。今俺はその落下速度を地面に接触する際に、足のクッションで限りなく0に持っていたのだ。言うのは簡単だが、それは不可能の次元に等しい。足を曲げる角度、タイミング、筋の一本が少しでもタイミングをずらせば足への衝撃は大変なものになるのだから。
それでも自分はそれをこともなげにやってのける。何の問題もなしに。
まったくもって化けものだな。
半ば自嘲気味に自分が飛び降りた窓を見上げる。そこからは生徒会長が心配と驚きの混じった顔でこちらを見ていた。
俺はその場から急いで立ち去ることにする。これ以上の面倒は心から御免こうむりたい。
とりあえず三枝と合流するべく、自分の教室に向かうのだった。