日常の記憶
ぼやける視界に映ったのは知らない天井。ゆっくり上体を起こす。あぁ。トーイの部屋だ。昨日の記憶が甦る。
「おはよう」
部屋のドアをノックして顔を見せたのは、マグカップを持ったトーイ。空いている右手で寝癖頭をガリガリと掻く。
私はまだ霞んだ景色を映す目を擦りながら「おはよう」と返事をする。差し出されたマグカップを手に取る。珈琲独特の香りが私の鼻腔をくすぐる。
「朝直ぐに珈琲を飲むの知ってたんだ」
ミルクとシロップの多い珈琲。珈琲の苦手な私の大人に近付く努力。インスタント珈琲ティースプーン1杯にミルク4杯。シロップ大粒1滴。これが私の黄金比だ。トーイが入れてくれた珈琲はその黄金比が守られていた。
「いつからの付き合いだと思ってるんだ。そのくらい知ってるよ」
トーイは 困り眉で笑いながら、寝室の壁に背中をあずけた。「早くベッドから出て朝飯食うぞ」と子供のように無邪気に笑って見せた。
飲み干して空になったコーヒーカップを片手にリビングへ。机にはサラダとフルーツ。チンっ、とトースターの音がした。食パンの上には半熟目玉焼き。「いただきます」と手を合わせたら、直ぐにフォークで黄身を刺してぐちゃぐちゃにする。
「はい、ソース」
タイミングを見計らったようにトーイが私の前にソースを差し出した。
「何でも分かってるんだね」
クスリ、と笑ってぐちゃぐちゃになった目玉焼きの上にソースをかける。
「伊達じゃないからな」
トーイは綺麗に食パンを6等分に切った後、醤油をかける。
「トーイは醤油派か」
不意に口から漏れた。
「そうだよ」
「何で醤油なの?」
「……小さい頃から醤油だったから?」
「ソースで食べたことないの?」
「あるよ。李夢が食えって食べた」
「え、そんなことあったっけ?」
「あったよ。2ヶ月くらい前?」
「嘘」
「本当」
全く覚えていない。
「本当に私、覚えてないんだ」
齧った食パンが上手く飲み込めなかった。
トーイは無言のまま私の頭を優しくくしゃくしゃと掻き回し、皿を片付け始めた。
何となく分かってきた。私は最近のことを忘れているんだ。
To be continued...