夢の破片
時計の針が指すのは、午後6時50分。あと10分で約束の時間になる。いくら深呼吸をしようとも、私の心臓はドクドクと大きな音を立て続ける。時計を見る回数は増し、時が過ぎるのが遅く感じられた。あと5分、あと3分。緊張と共に温かくなる手で冷たくなった頬を温めた。
彼は私との待ち合わせはいつも約束の時間ぴったりに来る。時計の秒針が12を指すのと同時に「やあ」と子供が悪巧みをしたように笑って私の前に現れるのだ。
時計の針が午後7時を指す。私は彼がいるはずの前を向いた。
「あれ?」
いない。遠くも見る。すっかり暗くなった街の中は子供連れの夫婦や仲睦まじげな恋人が多い。けれども、その中に彼の姿はなかった。
「 」
彼の名前を呼んだ。賑わう街の所為か、私の耳には呼んだ彼の名前さえ聞こえなかった。
―私は、彼を何と呼んだ?
自分では認識できない彼の名前を耳に届かぬ声で言い続ける。
「李夢」
背後から私の名前を呼ぶ声がした。彼の声だ。振り返る間もなく、彼の温かな腕が私を包み込む。柑橘系の爽やかな香り。あぁ、彼の匂いだ。
「何かあったんじゃないかって、心配したんだからね!」
「悪かった。制作が長引いて」
「彫刻?」
「そう」
彼は私との同じ大学の同じ芸術学部の彫刻学科に所属している。彼とは私の所属する視覚デザイン学科と彫刻学科の共同個展企画で再会を果たした。それをきっかけに付き合い始めた。彫刻のこととなると他のものは目に入らなくなるのが彼の性格。
私はいつも肩をすくめてお疲れ、と彼に言う。
ふとイルミネーションに目を向ける。
「ただの電気なのに何でこんなに綺麗なんだろう」
夢の欠片もないことを言うと彼は私の頭をくしゃくしゃしながら笑った。
「ただの電気を人がここまで綺麗にするんだよ。俺が木とか石とか金属を手にするように、電気を手にする人もいる。使い方次第だよ」
「なるほどね」
素直に納得してしまった。全てのものは使い方次第で良くも悪くもなる。
イルミネーションの色が変わった。
「これを作った人はいい使い方をしたんだね」
彼は黙って頷いた。
「ねぇ」
彼の顔をよく見たい。彼の首に手を回した。彼の顔が私の方を向く。
「・・・・・・え?」
私の目に映る彼の顔は“真っ黒”だった。瞬間、私の周り全てが崩れ始めた。
あぁ、また、私は貴方の顔を見れなかった。
To be continue...