優しくて残酷な世界
あんな事のあった直後だもの。家になんか帰る気になれなかった。
静かな場所を求めていつもの公園に向かい、ベンチに座る。
そしてたぶん、思い詰めたような顔でわたしは膝の上にある創作ノート……ううん、妄想ノートね。これをずっと見つめていたと思う。
羽瑠奈ちゃんに追いかけられてバックの中身をぶちまけてしまった時、わたしは真っ先にこれを拾った。
おかげでノートも身体もボロボロ、本当に傷だらけ……。
けど、身体の痛みはあまり感じない。
ただ、心の痛みだけが化膿しかけた傷口のようにじくじくと疼いている。
膝に抱えているボロボロになった一冊のノート。
わたしだけのセカイが詰まった大切な……。
けどさ……
これを守る為に何を無くしてしまったの?
これを守った事でわたしは何かを得たの?
わたしはさ……本当はただ憧れていただけかもしれない。
守った事に意味を持ちたくて。
守るべきものがあることを誇りに思いたくて。
『こぉら!』
懐かしい声を聞いたような気がする。空耳だろうか。
その時、風向きが急に変わり、強風がわたしの座っている場所を吹き抜ける。
頭上にある小枝が大きな音を立ててがさがさとその風に煽られた。
「痛っ!」
こてん、とわたしの頭に何かが直撃する。
そのまま地面に転がったそれは、見覚えのあるウサギのキーホルダー。
ずいぶん前に無くしてしまったもの。
量産品なので、自分の物だったかどうかは一目ではわからない。けど、確認する方法はある。
裏には文字が刻んであったはず。それはオーダーメイドで彫られたもの。
『わたしたちだけ』のもの。
願うように、祈るように裏返す。
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何があってもわたくしたちの友情は変わりません 成美
未来永劫、この出会いに感謝 美沙
明日も明後日もまた会えるよね ありす
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忘れていたわけではない。悲しみに沈み、二度と起きあがれなくなるからと心の底に閉じこめていたもの。
三年前のあの日、永遠にも続くと思われた日常は突然終わりを告げた。
その日、ショッピングモールに三人で遊びに来ていたわたしたち。
「あ、さっきのお店に忘れ物してきちゃった」
カフェでお茶をした時に、大切な創作ノートを忘れてきてしまった。
たぶん、ネタを思いついて書き込んで、その後二人との話に夢中になって置きっぱなしにしちゃってたんだ。まったく大切なノートだっていうのに、ドジッ子にもほどがあるぞ。
「慌て者だなぁ」
「いいですわ。ここでお待ちしておりますから」
親友である二人を残して、さきほどの店に戻ったわたし。ちょうど店の人が気づいてノートを預かっていてくれたために安堵する。
その直後だった。
モール内が激しく揺れ、轟音が響きわたる。気づいたときには辺りに煙が充満し始めていた。。
わたしは急いで二人の所に戻ろうとしたが、彼女たち二人が立っていた場所は瓦礫の山と化していた。
天井が崩落し、あちこちでうめき声が聞こえてくる。火災も発生しているようだった。わたしは不安になって二人の名を呼ぶ。
「ミサちゃん?」
「ナルミちゃん?」
返事が無く呆然としてるわたしの目に、あのウサギのキーホルダーを持った右手が見える。でも、それは血だらけ……身体はすでに潰されていた。
「いやぁぁぁっぁぁぁぁ!!」
天災とも人災とも噂されたあの日以来、わたしは変わってしまった。
現実を拒み、物語を創ることさえ拒んだ。
逃げるのを嫌っていたわたしは初めて逃げることに躊躇をしなくなる。
そして『妄想』を生み出し、その混沌とした泥の中にどっぷりと浸かってしまった。
ふいに聞こえてくる懐かしい声。
『ゼロからにせよ、何かをベースにするにせよ。アリスは物語を組み上げているじゃない。根拠のない誤った世界、それを妄想と言うんだろうけど、そんな無責任な世界は創らないじゃない。そこがね、なんか凄いなって思うんだ』
ミサちゃん?
『でも、アリスさんが物語を大好きなことには変わりはないですわね』
ナルミちゃん?
『もう、一人でも平気だよね?』
『もう、一人でも平気ですわね?』
二人の声がユニゾンする。
懐かしいその声は空耳なのか、自分が生み出した幻なのかはわからない。
よくわからないのに、涙が溢れた。
その滴はノートにぽたぽたと落ち、シミを作っていく。
それを見て、自分が何をすべきかようやく理解した。
わたしは躊躇わず、手にしたノートを一気に破る。
でも、まだ半分に引き裂かれただけ。だから、今度は一ページ一ページ、丁寧に細かく刻んでいく。
風で空に舞い上がるノートの切れ端。その一つ一つには、自分の想いが込められた文字がびっしりと書き記されてある。
けど……それはもう、どうでもいいのかもしれない。
だって、わたしはこんなものを守りたかったんじゃない。こんなものを誇りたかったんじゃない。
誇るべきはあの二人と出会ったこと、そして一緒に過ごした時間。
失ったことを悔やんでもしょうがない。
自分に影響を与えてくれたことを感謝しなくちゃいけないんだ。
それがわたしが今、生きてここにいる理由。
優しくて強くて活動的で、それでいて大らかなミサちゃんに憧れていた。
優しくて気高くて優雅で、それでいて親しみやすいナルミちゃんに憧れていた。
どれだけ裏切られても、
どれだけ痛めつけられても、
諦めることができないのは、自分の中に残る『憧れ』のせいなのだろう
。
一度知ってしまった『優しさ』というぬくもり。
いっそのこと憧れることなどなければ良かった。
そうすればこの世界に未練など持つことはなかった。いつもそうやって悔やんでいた。
けど、本当は知らないよりはマシなのかもしれない。
こんなにも心を純粋にして憧れてしまえるほど、それは尊いものなのだから。
一度知って、それがかけがえのないものだと気付いてしまったのだから。
それだけは胸を張って幸せだったと思える。
だから、この残酷な世界にもう一度憧れを芽吹かせよう。
優しい世界を取り戻そう。
それがわたしのささやかな願いなのだから。
本編はこれで終了。残り二話はおまけのエピローグです。
ここまで読んでいただいて余韻に浸っていただくも良し、この後のお話を読んで彼女たちの行く末を考えるのも良し、最後までお付き合いいただければ作者としてはこの上ない幸せです。




