「わたしの一番の理解者」
□叉鏡ありすの真実 A7-10
刹那。
右手で握っていたラビが急に動き出し、そのままナイフへと突進していく。
「!」
ラビに突き刺さるナイフ。
その瞬間、そこから生み出された光の球がみるみる膨張してわたしと羽瑠奈ちゃんを包み込んだ。
視界が光に飲み込まれ、右も左も天も地も全ての方向感覚がなくなるというホワイトアウトにも似た現象がわたしを襲う。
「契約は受理したよ」
そんな言葉がどこからともなく聞こえてきた。
光しかない真っ白な世界はだんだんと薄れていき、再び現実の世界が戻る。見慣れた街並み、聞き慣れた雑音、木々の青臭い匂い。
現実に引き戻されたわたしは右手を前に掲げていた。
羽瑠奈ちゃんはそれに向かってナイフを突き出している。
そして、そのナイフの先にあるものはラビではなかった。
わたしが右手に持っていたのは一冊の本。
それは、ハードカバーの古臭い書物である。製本技術が発達する前に造られたのではないかと思われる、地金で綴じた頑丈で重々しい本だった。
ちょうどその本にナイフは突き刺さっているのだ。
「え? なにこれ?」
「叉鏡ありす」
なぜか聞き覚えのある少年の声が響いてくる。
わたしは声の主を確かめようと後ろを向く。
「え? え? 三和土くん?」
そこにはわたしと同じ年頃の少年の姿があった。顔は知っているけど、話したことは一度もない。
でも、彼だけはわたしを虐めることなくずっと傍観していたクラスメイト。
あれ? わたしって三和土くんといつから同じクラスだったの?
「ひ、ひぃー!」
前にいた羽瑠奈ちゃんの口から、おぞましいものでも見たかのような悲鳴がこぼれた。
「面白いね。その子には僕がどのように見えるんだろ?」
彼の表情は笑ってはいるが、そこには愉快な感情も穏やかな雰囲気もない。まるで少年の笑顔という仮面の下に恐ろしい何かが隠れているようだ。
「お願い……来ないで」
先ほどまでの殺意をまき散らしていた攻撃的な羽瑠奈ちゃんはもういない。
そこにあるのはただ怯えるだけの女の子。
「ふっ、キミの願いは叶えられないね」
「いやぁぁぁぁぁ……」
少年が一歩踏み出したところで、羽瑠奈はそのままばたりと気を失った。ニヤリと少年の口元が歪む。それはやはり笑顔とは呼べない。
「叉鏡ありす。キミは契約者だ。願い事があるなら言ってみるといい」
彼は視線がこちらを向く。普段わたしを傍観しているときのような冷めた目ではなく、鋭い眼光に捉えられる。
「願い?」
「その本と血の契約を交わしたはずだ。どんな願いも叶うだろう。例えその願いが世界を破滅させるものであっても。」
書物に刺さった羽瑠奈ちゃんのナイフ。それにはわたしの血が付いていた。
魔導書、血、契約……偶然なのか必然なのか。
なるほどね……けど、そんなことはどうでもよかった。
「ちょっと待って、ねぇラビはどうなったの?」
わたしが知りたいのは大切なパートナーの行方。
「ラビ?」
「そう、ウサギの形をしたぬいぐるみ。わたしの一番の理解者」
「ふふふ、なるほど、それは言い得て妙だね」
少年は嗤う。
「どういうこと?」
「キミの持っているその書物は、契約者を捜す為に人間の精神に僅かながらの影響を与える。ありす、キミは知らないうちに幻を作りだしていたんだよ。『一番の理解者』という自分の分身をね」
「自分の分身? ……じゃ、じゃあ、ラビは……」
「最初から存在しないよ。あえて言うならば、キミ自身。そう、ただの『妄想』ってところかな」




