「わたしが選ばれた人間?」
□叉鏡ありすの非日常 A1-3
家に帰るとわたしは真っ直ぐに自分の部屋に向かう。
母親は仕事で帰りが遅いので、部屋の中で大声で話をしても不審がられることはないだろう。
図書館から借りた本や数冊の辞書とノートが散らばった机の上を片付けると、わたしは古本屋から連れ出したあのぬいぐるみの『ラビ』をそこに置いた。
「さて、説明してもらいましょうか?」
「うむ、よろしい。では我の存在について語ろう」
「あ、ちょっと待って。そういえば、どうしてわたしに声をかけたの?」
ふとした疑問を訊かずにはいられないのはわたし自身の性格。語り出そうというラビの出鼻を挫いたのは申し訳ないのだけど。
「待て! まだ何も話してなかろう。質問はそれからじゃ」
「えー、なんかそれが一番気になるんだよぉ」
不貞腐れそうになるわたしを見て、ラビは考えを改めたのか。
「わかった。まあ、それを先に話しても差し支えはなかろう。そうじゃな、汝には素質がある。汝は普通の人間には見えない我の姿を見ることができる。我の声を聞くことができる。そして、汝は我を恐れない。大抵の者は我の声を聞くことができても恐れおののいて逃げ出してしまうのだ」
その事を聞いてわたしはほっとする。自分以外に見えないのであれば、やはり目の前のぬいぐるみは商品として扱われていなかったようだ。これで万引き犯として捕まえられることはない。まったく関係ない件で安心するわたしは、ふと疑問に思う。
ラビの声が聞ける人たちはなぜ怖がってしまうのだろう?
「そうかなぁ、こんなかわいい声なのに」
どちらかというとコメディタッチのアニメに出てきそうな声質なのだ。プロの声優が吹き替えでもやっている感じである。実はスピーカーでも仕込んであるのではないかと疑ったぐらいだ。
「かわいいと云うな。我はグランドマスター、かわいいとは悪口雑言にも等しい」
照れているのか本当に怒っているのかはわからない。なぜなら動けないぬいぐるみの為に表情が読めなかったからだ。
「かわいいって言われるのが嫌なら、もう言わないけどさ。でもね、わたしがあなたの声を聞いて怖がらなかったのはそれだけが理由じゃないかもね」
視線を逸らしてわたしはそう呟く。
「どういうことだ?」
「わたしね、わりとその手の声とか日常的に聞こえちゃう人なんだよ。だから、慣れなのかな」
そう言って溜息を吐く。そういえば昔、友達に「霊感が強いかも」と言われたことを思い出した。
「そうか。だが、それは選ばれた人間の悩みでもあるな。案ずるでない。汝こそが我の求めていた者だ。我の力を託せるのは汝しかおらぬ」
「わたしが選ばれた人間?」
相手が何であれ「選ばれる」という言葉には不思議な魔力がある。そう「承認欲求」を満たされる甘い媚薬。何の取り柄もない人間ほど、この言葉に囚われる。
「そうだ。それを誇りに思え、己の素質を疎んじるな」
「うふ、なんか喜んでいいのかよくわからないな。そうか、考えてみたらまだ説明聞いてなかったもんね」
思わず苦笑する。ただ素質があると言われても、何をするために選ばれたのかを聞いていなかったのだ。
「そうじゃな、まず基本的な事から話そう。我が種族は太古の地球を支配しており、現在は地上からその姿をほとんど消しておる。旧支配者と呼ばれる古の……」
ホワイトラビットが語り始めてから数分後、わたしは夢の入り口だった。まるでつまらない授業でも聞いているかのようにうつらうつらとしていたと思う。
「……話聞けよ」
ホワイトラビットは呆れたように言い放つ。