「あー? わけわかんないけどまあいいや」
□種倉ありすの日常 B3-6
二人の間にしばしの沈黙が訪れる。ナルミちゃんもわたしに対し、どう言えば良いのかがわからないのだろう。わたしって本当に面倒くさい奴だ。
そんな中、ミサちゃんの元気な声が聞こえてくる。
「ナルミ!」
いつもだったら男子達と一緒にサッカーをやって遊んでいるはずのミサちゃん。午後の授業開始までまだ余裕のある時間なのに早々と帰ってきた。
「お願いあるんだけどさ。数学の宿題あったじゃん。あれ見せてくれない? 今日当たりそうなんだよ。さっきまですっかり忘れてて」
「アリスさん」
ナルミちゃんはミサちゃんではなくわたしの方を見る。そして微笑みながらこう言った。
「ここでミサさんの為にならないと、わたくしが宿題を見せてあげないことは善意でしょうか? それとも悪意なのでしょうか?」
「へ?」
急に話を振られて、素っ頓狂な声を出してしまう。
「宿題を見せてあげることは簡単です。でも、簡単に見せてあげることでミサさんはそれに甘えて自力で宿題をやらなくなってしまう可能性もあります。友達だから甘えさせてあげるってのは、わたくしは間違っていると思いますけど」
「あのー……ナルミ? 数学の宿題は?」
状況がわからないミサちゃんが、不思議そうに問いかける。
「今回は自力でやってください。まだ授業が始まるまで時間がありますから」
彼女にしてはめずらしく強く言い切る。
「あー? わけわかんないけどまあいいや」
ミサちゃんはそう答えると、自分の席へと戻ってノートを取り出す。たぶん、今日彼女が当たる箇所のみに絞って自力で解こうとしているのだろう。
「アリスさん」
呆気にとられていたわたしは、その呼びかけで我に返る。
「ん?」
「根本的にはありすさんの考えは間違っていなかったと思います。だからそこに『悪意』などあるはずもありません。でも、何かが間違っていたというならば、それはお互いを理解する為の話し合いがなされなかったことです。相手が悪意を持っているかどうか、自分に悪意がないかどうか、それらをきちんと確かめ合わなかった事自体が間違っていたのでしょう。悔やむべきはその部分です。それと、この問題で一番重要なのは二度と同じ過ちを犯さないという事ではないでしょうか? だとしたら、今のありすさんは十分それを理解していると思いますよ。でなければ、わたくしはありすさんを友人などとは思わないでしょうから」
ナルミちゃんの言葉には確固たる信念が込められていて強い意志を感じる。
わたしの曖昧な揺れる心を、時々こうやって諭してくれるんだよね。
だからこそ、キョウちゃんを優しく諭してやれなかった事を後悔してるんだ。
今の自分ならもう少しあの子の気持ちを理解してあげることができたかもしれない。
自分の気持ちを上手く伝えることができたかもしれない。
けど……時間はもう巻き戻ることはない。
そんな事を考えているとふいに創作のアイデアが浮かび上がってきた。
人物設定、情景描写、台詞、そして感情の流れ、……。
後悔の念に駆られている時だというのに不謹慎だ、ということは自分でも自覚している。
でもこれは自動的なもの。
時に自分自身の痛みさえ喰らう創作の虫は、恐ろしい速度で成長し始めていた。
最後にはわたし自身の人格さえも喰らい尽くすのではないかと恐怖するときもある。
目の前のナルミちゃんは、そんなわたしの内部を理解してくれるだろうか。
優しく諭してくれた彼女をまるで無視するような形で、この創作の虫は自分自身の制御を離れていくのだ。
なんて勝手なのだろうか。
それでもわたしは、物語を生み出す事を嫌いにはなれなかった。




