「悪意ですか?」
□種倉ありすの日常 B3-5
それは昼休みのことだった。
クラスメイトの各々は友達と歓談したり、本を読んだり、体力の余った男子生徒達は校庭でサッカーでもしているのだろう。
図書館から借りた本を読もうとしたが、精神的にそれを行えるような状態ではなかった。ここ数日見る夢がわたしの心を蝕んでいる。
「悪意ってさ、自覚のある人より自覚がない人の方が酷いよね」
創作ノートから目を離し、目の前で写譜をしているナルミちゃんにそう問いかける。
彼女は音楽の先生から借りた練習曲の譜面を自分の五線譜ノートに写しているのだ。
楽譜くらい買えばいいじゃないかとわたしやミサちゃんは思うけど、譜面を覚える為に必要な事なのだとナルミちゃんは言う。
彼女にとって、ピアノは弾くだけではなく、その音符に触れることから始まるのだろう。
「悪意ですか?」
「悪意ってのは本来自覚があって他人に害を与えようとする心なんだけど、その『害を与えよう』という部分が麻痺して自覚がなくなってる場合の方が、より相手を傷つけることになるんじゃないかって」
「創作ネタ……とは違うようですね」
写譜をしていた成美ちゃんの手が止まり、心配そうな瞳がこちらを向く。
「うん。夢でさ、昔の事思い出しちゃってね」
ここ数日、朝方になると見る夢。ゆえに記憶に残りやすく、そして過去の記憶を引き出してしまう。
「もともと善と悪なんて立場によって変わるものじゃありませんか。それは、創作を行っているアリスさんの方がよくわかっているはずですが」
「でもさ、その時は自覚なくても後で『あれは悪意だったのかな』って後悔しちゃうんだよね」
後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
「悔やんでいるんですか?」
「例えばさ、誰かを虐めている人間がいるでしょ。虐めている方は悪意ではなくてただ『からかっているだけ』。でも、虐められている方は『悪意』以外のなにものでもない」
「それはそうですが……でも、ありすさんの悩んでいることはまったく別の問題だと思いますよ」
わたしの口調から何か気付いたのだろうか、ナルミちゃんは優しい笑みを浮かべる。
「そうかな? 根っこの部分は同じじゃない?」
「ありすさんが悔やんでいるのは、キョウちゃんさんの事じゃありませんか?」
ちょっとした会話だけで、ナルミちゃんはわたしの心を見透かしてしまったようだ。彼女の鋭い部分には頭が上がらない。
「よくわかったね。そうなんだけど」
隠していてもしょうがないと、素直に認めることにした。ナルミちゃんも事情を知らないわけではない。
「その事についてはもう十分苦しんだじゃないですか。自覚のない人はそんなつらい顔はしませんですよ」
「罪は罪だよ……自覚ができたからといってその罪自体が消えるわけじゃないよ」
わたしは深く溜息を吐く。




