「落ち着け! まともに詠唱できてないぞ」
□叉鏡ありすの非日常 A3-5
砂が目に入りそうになり、わたしは右腕を顔の前にかざしその風を避けた。
「ありす!」
ラビが叫ぶ。同時に嫌な気配。この感じには覚えがある。
「うん」
わかっていた。ネコ耳はその為のマジックアイテムなのだから。
「左だ!」
風が流れていった先には、空中を浮遊する蛸のような物体がいた。そして今度はもう一匹、別の形の化け物を確認できる。
大きさは蛸と同じ全長が一メートルはありそうなそれは、巨大な虫であった。全体を硬い殻で覆われたダンゴムシのようなものである。
「どちらもスピードは遅い方だ。落ち着いて対処しろ!」
ラビの言葉が終わらないうちに、二匹の化け物は放たれた矢のような勢いでわたしに突進してくる。けして鈍い動きではなかった。
「やだ! 突っ込んでくるよ!」
咄嗟に右へとステップして躱すが、わたしの身体能力では限界がありそうだ。
「硬い方は攻撃されるときついぞ。気を付けるんだ」
「何をどう気をつけろっての!?」
わたしは二つの化け物を必死になって躱す。その心に余裕などなかった。
「汝の雷を死に浴びせよ。あぶらだぶら! あぶはらぶらだ!」
呪文に魔法など込めていられない。しかも、焦っているのかきちんと呪文が言えていない。まるで早口言葉の練習のようだ。
当然、魔法は発動しなかった。
「落ち着け! まともに詠唱できてないぞ」
「どうやって落ち着けっていうの。一つやっつけるのだって大変だったのに、いっぺんに二つもなんて無理だよぉ。昨日みたいに動きだけでも止めてぇ!」
「昨日は、ちょうど目視上に邪なるものがいたからタイミングよく魔法をぶつけることができただけじゃ。狭い空間ならともかくこの場所では動けない我は不利じゃ」
わたしは文字通り死に物狂いで逃げながらも、今ラビが言った言葉を頭の中で咀嚼する。
「じゃあ、目の前にいればいいのね」
「何をするのじゃ?」
「分担作業しかないでしょ。一時的に一体だけでも止めててくれれば助かるから」
そう言ってわたしはその場に立ち留まり、ラビを持った右手を迫ってくるダンゴムシタイプの敵へと向ける。
「ラビはあっちの方をヨロシク」
そして左手は蛸タイプの敵を照準に捕らえる。
「汝の雷を死に浴びせよ! 『Abracadabra』」
「汝の雷を死に浴びせよ! 『Abracadabra』」
わたしはラビと同時に呪文を唱える。
二本の矢がそれぞれの方向に飛んでいき相手を貫く。魔法が効いた事を示す二つの光の爆発が確認できた。
わたしが攻撃した方は消滅したはず。ならば、のんびりしている場合ではない。ラビの攻撃は時間稼ぎにしかならないが、それでも各個撃破する為の戦術にはもってこいだ。
閃光が消え、空中に停止しているダンゴムシタイプの敵に向かって今度はわたしの左手が向いた。深呼吸をして息を整える。
そして、もう一度呪文を唱えた。
「汝の雷を死に浴びせよ! 『Abracadabra』」
光が邪なるモノを貫いた。
魔法が放たれ敵を貫き光は爆発し、閃光の後にはもう何も存在しない。
気が抜けたようにわたしはその場にぺたんと座り込む。
「大丈夫か?」
たった一言気遣ってもらえただけなのに、なんだかその優しさが心に染みいる。
そうだね、ラビはわたしの事を見捨てたりしないもの。
「大丈夫?」
ふいを突く声。
それは少女のものだった。もちろんラビではない第三者のもの。




