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 いつの間にか、わたしたちは囲まれていた。

 わたしから直接見えるのは、十人程度でしかない。

 けど、見通しの悪い森の奥から沢山の気配が伝わってくる。

 どきどきと鼓動を早める心臓とは裏腹に、わたしは冷静に第一声を発する。


「我が名はナレイジス家当主、メルティナ・ナレイジス! トレヴェントの街を代表し、貴方たちと交渉を行う意思がある! こちらの言葉を解するのならば、ヴェルルの代表者の居場所へ案内されたし!」


 その声に、ヴェルルの人垣がざわりと揺れる。

 反射的に剣を抜き放つベルナス。

 緊張が一気に高まる。


「ベルナス! 剣を収めなさい!」

「だがこやつらが襲い掛かってこない保証は……!」

「貴方は……! 相手が殺気を放っているかどうかも分からないのですか!」


 言ってから、しまった、と思う。

 プライドの高い彼には逆効果だったかも。

 唇を噛むが、言ってしまったからにはもう手遅れだ。

 剣を構え直し、今にも斬りかかろうとするベルナスに対しヴェルルたちも身構える。


「ディセイド!」


 普段の音楽的な発音から一転、他を圧する威厳ある声が辺りに響く。

 背中に背負った竪琴を革袋から出して構えるシルールの姿が、そこにあった。


「メルティナ様の意志を僕が伝えます。このまま動かないで」


 視線はヴェルルに向けたまま小さく言うシルールに、黙ってうなずき。

 吟遊詩人がヴェルルの言葉で呼びかける様子を、じっと見守る。

 わたしやベルナスには意味の取れないいくつかのやり取りが交わされ。

 張り詰めていた空気が徐々に緩んでいくのを、わたしは肌で感じ取っていた。


「ベルナス」

 ひとまずこの場は収まりそうだと判断して、話しかける。

「剣を収めるか、街へ引き返すか。ここで選んで下さい」


「ですが私はトレヴェントを守る騎士として……」

「騎士として、トレヴェントを預かるナレイジス家の剣として。私が命じるか、自らの生命の危機を感じ取った場合のみ剣を抜くことを許します。誓えますね?」

「くっ……よいでしょう。しかしベルルどもがこのうえメルティナ様までも手にかけようとするなら、私は剣を振るうことを躊躇は致しませぬぞ」

「それは頼もしい。信じていますよ、ベルナス」


 そっと、ため息をつく。

 これは、事前にこのことを予想できなかったわたしの不手際だ。

 まだまだお父様の先見と気配りには遠く及ばないことを、改めて思い知らされる。

 とは言え、ここまで来てしまったらわたしがやるしかないのだ。

 ぎゅっと拳を握りしめ、決意を新たにする。


 話が終わったのか、シルールは微笑みを浮かべて振り返った。


「メルティナ様には、これからヴェルルの長と会って頂きます」


 うなずいて、先導するヴェルルとシルールの後に続く。

 ヴェルルの長との面会。そこで、トレヴェントの命運が決まるのだ。




 案内された場所は、思った通りの場所だった。


 ヴェルルたちは果樹林を抜け、背の高い針葉樹林が高い密度で立ち並んでいるため見通しの悪い森へ入っていく。なるほど、見張り塔からいくら探しても分からなかったはずだと納得する。これならよほど高所から観察しない限り居場所はばれないだろう。自分たちの視界も遮られることになるが、元々森の中はヴェルルの庭のようなものだ。斥候を増やすことで補っているのだと思われた。


 森に足を踏み入れてからは歩く道についても細かく指示されるようになり、至る所に罠が仕掛けられていることを想像させた。彼らは野蛮なイメージに似合わず周到で用心深い。あるいは森の狩人という側面を考えれば、それも当然のことなのだろうか。


 そうして辿り着いた、ぽっかりと開けた空間。

 そこには、簡易な防御陣地が構築されていた。

 その最奥、神秘的な雰囲気を漂わせる泉の前には玉座が据えられている。その座は木製だったが、曲げたり接いだりすることで形作られた曲線は製作者が優美な感覚を備えていることを想起させ、この森を支配する一族の王がかける玉座としてこの上ない逸品と言えた。


 しかし、その玉座にかけるヴェルルの王の姿は、そこにはなかった。

 空の座は、その主を待ち受けるようにただそこにあった。

 気付けば、ヴェルルたちは貴人に対するように両脇に分かれて膝をつき。

 わたしたち三人へと、その闇のように黒い眼差しを向けているのだった。


「どういうことかしら、シルール?」


 問いながら、わたしは。

 こうなることを、予感していた気もするのだった。

 するりと歩み出たシルールは玉座の前に立ち、それにふさわしい優美な所作で一礼して見せる。


「ヴェルルの長、シルール・ヴェルフィリアと申します。初めまして、ナレイジスのメルティナ」


 その光景のあまりの綺麗さに、まなじりに涙を浮かべそうになり。

 一度だけ、目をつむって気持ちを落ち着かせる時間を取る。


「あまり、驚かれないのですね?」


 再びわたしがシルールの姿を視界に捉えると、吟遊詩人――ヴェルルの王はそう問いかける。


「ええ。何となく、分かっていたから」


 そう推測する材料は、色々とあった。

 ヴェルルの使者がシルールを見たときの驚愕と畏怖の表情。

 流暢に過ぎるヴェルルの言葉。

 お父様がシルールに一目置いていた様子や、二人が示し合せたような言動を取っていたのも今ならうなずける。きっとシルールは自らがヴェルルの王であることを前もってお父様に伝えていたのだ。

 使者が訪れた騒ぎでそれっきりになってしまっていたが、あのときお父様がナレイジスの次期当主であるお前ならばと言いかけていたのも、そのことについてだったのかも知れない。


「そうですか。貴女には、本当に驚かされる。しかし、分かっていたのならなぜ?」


 告発し、吊り上げることもできたはず、と王は目線で問う。

 わたしは、泉のかたわらまで進み出てから口を開く。


「確証が持てなかったの」

 それに、信じたくなかった、と心の中で呟く。

「わたしが見張り塔から見たヴェルルは、身につけた衣服から肌の色に至るまで、人ではあり得ないほど闇に染まっていた。こうして間近に見ても、その印象は変わらない。だから、真っ白な肌を持つ貴方がヴェルルだなんて、思いつきもしなかった」


 いや、それは違う。

 わたしは、あえて考えないようにしてきたのだ。


「でも、考えてみれば簡単なことだった」

 思いとは裏腹に、口は冷静に推論を紡ぎ出していく。

 服の裾を押さえて泉へ手を伸ばし、澄み切った水面、その下にある黒い泥を指で掬い取る。

 そうして、唇に紅を引くがごとく頬に暗色の線を引き。

「顔の色なんて、こうして塗ればいいだけのこと」


 シルールは、湖面のような静けさの中に笑みを湛えている。


 もちろん、こんな泥で塗っているのではないだろうし、明るめの灰色の瞳とダークブラウンの髪を持つわたしでは完全にヴェルルになることはできない。しかし黒がかった灰の瞳と黒髪を持つシルールなら、後は肌色を黒くすればヴェルルへ溶け込むことは難しくないはずだ。

 というより、わたしの考えが正しければ、ヴェルルはみんなそうやって肌を黒く染めているだけなのだ。黒い肌は邪教崇拝の証なんていかがわしい説より、わたしにはその方がずっと納得がいく。


 そして、今なら理解できる。

 シルールはヴェルルに恐れをなして逃げたのではなく、王としてお父様を迎えるために姿を消したのだ。そして、お父様が一向に現れないことを不思議に思って再びトレヴェントへ戻り、いつの間にか自分の内通でヴェルルによって殺されたことになっているのを知った。

 もちろんシルールは配下の者からそんなことがあったとは聞いていない。ヴェルルの王として迎えるはずだった大切な客人は、何者かに殺されてしまった。


「貴方にはお父様を無事に迎え入れる約束があったのに、それを果たせなかった。下手人を突き止めようとしていた本当の理由は、それね?」


「その通りです。そして、ここに全ての準備は整いました。始めましょう。我らヴェルルとレナートとの間に交わされた神聖な誓い、互いの命運をかけた決闘の機会を奪い去った卑劣なる輩の告発を!」


 立ち上がり、そう宣したシルールに応じてヴェルルたちが立ち上がる。

 二百か三百か、慣れないわたしには人数の精確な把握はできないが、そうとうな人数が半円状にわたしを取り囲んでいた。彼らまでの距離は約十歩。すぐ隣にはベルナス、そして前方には泉を背にしたシルールがいる。


 最初に動いたのは、ベルナスだった。

 剣を抜き放ち、地につばを吐き捨てる。

「蛮族どもめ……初めから私たちを殺すつもりだったのだろうが!」

 猛りを上げて、剣を振り上げるベルナス。それを見たヴェルルたちも腰に帯びた黒刃を抜こうと身構えるが、シルールが片手を上げてそれを制止する。


「実のところ、僕には初めから犯人が分かっていた」

 シルールはそう言って、口笛に短い旋律を乗せる。

 応じて進み出たのは、緊張した顔の年若いヴェルルの少年だった。

 少年はシルールに何事か問われ、ヴェルルの言葉で返してからベルナスを指差す。

「彼は貴方が老いた騎士を背中から襲い、反撃を受けて傷つきながらも仕留めるところを目撃したと言っている。少年はとっさに仲間を呼ぶ叫びを上げたが、貴方はそのまま逃げ去ってしまい、仕方なく遺体は勇敢に戦った騎士として手厚く葬ったのだそうだよ」


 そんなシルールの通訳に、ベルナスが激怒する。

「ふざけるのもいい加減にしろ! どうせ貴様が私を指差してそう言えとでも言ったに違いない! そのような茶番で私をレナート様殺しの犯人に仕立て上げようなどと笑止千万!」


 対するシルールは、あくまで穏やかに言い返す。

「彼はこの言葉に自らの命を懸けている。仮にその言葉が虚偽であった場合、彼は我々の掟に従って処刑されるのだ。それでも、その言が信用できないと?」


「信用できるわけなかろう! どれもこれも! 貴様が私を陥れるための策謀に過ぎん!」

 そして今度はわたしへと視線を向け。

「そうでありましょうメルティナ様! こやつは正体を偽り街へ潜入し、都合のいい作り話を騙ってレナート様をおびき出した挙句に惨殺を命じた張本人なのですよ! そしてこやつは今再び、お父上を亡くされたメルティナ様の一時の気の迷いにつけこんで、誤った判断に導こうとしている!」

 その必死さは、真実味を滲ませていて。

「どうか、どうか正しきご判断を! こやつの言葉が全て偽りであったとするならば、答えは自ずと決まるはず! たかだか一週間にも満たない付き合いの者と、主従の別はあれど相応の月日を共に過ごした私、メルティナ様はどちらを信用なさるのですか!」

 息も荒く敵を見据えるベルナスの姿は、確かに高潔な騎士の在り様を体現していた。


 そんなベルナスへ軽蔑の視線を向けるシルール。

 ヴェルルの王は、騎士を鼻で笑ってわたしへと視線を転じる。


「なるほど。ではメルティナはどう考える? 僕はベルナスを、ベルナスは僕を、それぞれレナート殺しの犯人として告発する。レナートの娘、ナレイジスの血を継ぐ貴女はどちらが正しいと判断する?」


「…………」

 唇を噛む。

 ここが分かれ目。

 わたしが判断を下すべきときだ。

 騎士ベルナスとヴェルルの王シルール。

 どちらの言を信用するのか、わたしは決めねばならない。


 ベルナスの言葉は、検討に値するものだろうかと考える。

 仮に、シルールの言葉が偽りであったとするならば。彼の口から出たベルナスに不利な証拠、その全て排除し、その上でなおベルナスを犯人だと指摘できる材料はあるだろうか。

 もしそれが一つもなく、それでもシルールの言を容れるのなら。それは、わたしがシルールの言葉を、シルールという人物の言葉を信じてそうするのだということになる。

 それでいけないという法はない。裁判というのは、ときに何が真実かは分からなくともどちらが真実らしいかによって決めていかなくてはならないものだということを、わたしはお父様の横で嫌と言うほど沢山見てきた。だから今同じようにしても、何も問題はない。


 問題はないのだが。

 それでもなお、そうする気にはなれなかった。

 わたしは、わたしの思考によって判断を下すべきだと、そう思った。

 だから、わたしは考える。必死になって、彼の、彼らの話や、わたしが見聞きしたこと、その全てを思い返し、検証していく。どこかに、真実を見い出すための糸口はあるはずだった。



 ふと。

 ヴェルル・ヴェル。

 我が死を見よ、というわたしの知るたった一つのヴェルルの言葉を思い出す。

 あの言葉を教わったとき、シルールは何気ない様子で最後に何か付け加えなかっただろうか。


「ベルナス。貴方に問います」

 考えのまとまらないままに、わたしはそう口にしていた。

「お父様をヴェルルが襲ったときのことです」


 口にしながら、閃きを頼りに考えをまとめていく。

 最初に聞くべきは、何か。


「ヴェルルは、お父様の不意を打って襲い掛かった。そうですね」

 うなずくベルナスを確認し、慎重に次の問いを口に出す。

「その様子がどうであったか、もう一度正確に教えていただけますか?」


 ベルナスの訝しげな表情に構わず、じっとその眼を見つめる。

 彼はなぜ今そのようなことをと言いたげだったが、渋々といった様子で話し始める。


「……果樹の中を私とレナート様が進んでいたときのことだ。やつらは音も立てずにいつの間にか忍び寄り、無言のまま一斉に襲い掛かってきたのだ。私たち二人はとっさに応戦したが、多勢に無勢で分断され……これらのことは、一度メルティナ様にもお話したはずですが」


「ありがとう。では、最後に確認を」

 普段通りの声音を意識し、何でもないように。

「ヴェルルは、物音を立てず、黙って襲ってきた。間違いありませんね?」


 ベルナスは、そんなわたしの問いに、ただうなずいた。

 それで、用意していた次の質問は出番を失った。


「……残念です、ベルナス。貴方だとは、それでも信じたくなかった」


 お前が犯人なのだと。

 もう、そうとしか思えないと。

 そんなことは、言えようはずもなかった。

 それ以上は、何も口にできず。

 ただただ悲しくて。

 お父様が死んでから初めて、わたしは子供のように声を上げて泣いていた。




「いったい、何を。そんなことで、何が分かると…………!」


 シルールへ剣尖を向けたままのベルナス。

 彼は、声を上げて泣くわたしを見て、ひきつった笑いを浮かべる。

 その声には、信じていたものに裏切られた絶望と怒りが滲む。

 ぷつりと、何かが切れる音をわたしは聴いた気がした。


「私には分からぬ! なぜ理解できぬのだ! 考えるまでもないはずだ、メルティナ! それとも、そうか、貴様この蛮族の王とできているのか! 私がレナート様に仕えながら捧げ続けてきた献身を袖にし、色香に惑わされてなびく女狐めが!」

 薄汚れた罵声は、ベルナスの口から発されたものだった。

「ああ、そうなのだな! はっ、ならばお前ごとき女にナレイジスの家督は任せておけぬ! この俺が! 恥知らずで高慢な売女の馬脚を現したお前に代わってナレイジスを継いでやろうではないか! 喜べ女、そしてベルルどもに尻尾を振ってどこへなりとも消えるがよいわ!」

 一度抑制を失った言葉は留まることを知らず、聞くに堪えない雑言を吐き出し続ける。


 わたしはそれを、感情の麻痺した頭で酷く冷静に受け止めていた。

 涙は、もう止まっている。

 わたしの言うべきこと。

 それを、口にする。


「シルール。貴方をわたしの騎士を指名します。貴方の名誉を、ヴェルルの誇りをかけて。我が父を殺した犯人、ヴェルルの客人としての待遇を受けることなく死んでいった騎士レナート殺しの罪を。卑劣なる騎士ベルナスに、彼に償わせなさい」


 シルールは、その言葉を予感していたかのようにその場で膝をつき。


「承知」


 そう、一言だけ述べる。

 ベルナスは、そんなシルールを憎々しげに見つめ、言い放つ。


「蛮族の王よ! そなたはベルルが誇りを重んじる一族であり、その地で最も優れた騎士との決闘によって物事を決めるなどとほざいておったな! その言葉、違えるつもりはあるまいな!」


「当然だ、背誓の騎士よ」


「ならば誓え!」

 シルールの涼やかな声とは対照的に、ベルナスの声は余裕を失い獣じみていく。

「これより以後、貴様らの汚らわしき眷族どもの助けは一切借りずに俺との決闘を執り行うと!」


「念を押されるまでもない」

 シルールは笑みさえ浮かべてうなずく。

「デペド、ディセイド!」

 ヴェルル語で発された王の指示に応じて、ヴェルルたちは下がっていく。そして、一人のヴェルルがシルールの側へと近づき、ヴェルルの特徴である黒刃が収まっているのであろう剣を渡そうとする。


「待て!」

 思わず振り向いてしまうほどの大声で、ベルナスがそれを制止した。

「蛮族の王よ。先ほどそなたは、以後助けを借りぬと誓ったはずではないのか」


 それで、彼が何を言いたいのか分かる。

 ベルナスは、シルールに剣を使うなと言っているのだ。


「そのような無体が通るとでも――」

 上げようとした非難の声を、シルールが片手を上げて封じる。

「ふむ。その機転の利かせ方、先に僕が『モノオクルス殺しのオヴェリウス』と貴様を例えたのは、あながち的外れでもなかったということか。面白い。その言、容れてやろうではないか」


 そう言うと、皮肉気に口の端を吊り上げて剣を差し出すヴェルルを下がらせてしまう。


「シルール」

 わたしが声をかけると、シルールは常と変らぬ微笑みを返してくる。

「ご安心を。僕は負けません」


 そう。

 そのときわたしが心配すべきは、勝敗についてだっただろう。

 しかし、わたしはそのときになって思い出していた。

 幼い頃に読んだ絵本、オヴェリウスの伝説を。


 あのときは緊張とその後に言うべきことで頭が一杯になっていて思い出せなかったが、わたしはそのお話を絵本で読んだことがあった。お父様の書室に紛れ込んだ、古い古い一冊の絵本。幼いなりに立派な後継ぎになろうと考えていたわたしは、絵本など馬鹿馬鹿しいとばかりに一度だけ読んで、それっきり忘れていた。

 あのお話は、そう、確かこんなお話だった。


 遠い異境。片目巨人モノオクルスの住む山のふもとにオヴェリウスの故郷はあった。片目巨人は鉄をもたらすが、その性質は残忍極まりなく、若い娘の生贄を求めたという。長じたオヴェリウスは、そんな片目巨人の残された眼を策略をもって潰し、その剣で喉を掻き切って殺したのだ。


 シルールは、おそらくそのことを言っている。

 上手く誓いを立てさせ、シルールから武器を取り上げたやり口はなるほどオヴェリウスを思わせた。しかし、物語では眼を潰された片目巨人は怒り狂い暴れ回ったが、シルールの泰然とした様子はそれまでと全く変わらない。わたしはそれを不思議に思うと共に、なぜか安心もしていた。


「吟遊詩人は吟遊詩人らしく」

 そう言ってシルールは背負っていた革袋から竪琴を取り出し。

「これでお相手いたしましょう」

 挑発するように、かき鳴らしてみせるのだった。




 戦いは、余裕を崩さないシルールに対するベルナスの猛攻によって始まった。

 もはや交わす言葉はないとばかりに面頬を下ろして表情を隠したベルナスの突進。

 竪琴を構えるシルールを一片の容赦もないけさ斬りが襲い、常にない技の切れで追撃の切り返しが叩き込まれる。ヴェルルの王は、一歩引き、竪琴で剣の側面を叩くことでそれをかわす。何か仕込まれているのか、あるいはシルールの技量が優れているゆえか、竪琴は見事に剣を弾いてベルナスの腕を叩いていた。

 しかし、鎧を身にまとったベルナスは大して堪えた様子もなく、そのまま踏み込んでさらに距離を詰めていく。鋼鉄をまとった人間の体当たりは、それだけで常人の骨を砕き戦意を喪失させる武器となる。軽装のシルールは、それを警戒して回り込むような動きで距離を取る。


 戦いは、一方的なものと見えた。

 じっくりと確実に、そしてときに大胆に攻め入るベルナスに対して、シルールの竪琴による打撃はほとんど通らない。加えて、鎧を身につけていないためにベルナスの一撃が致命傷と成りかねないシルールの立ち回りは、わたしでさえ回避を重視したものであることが分かる。


 思えば、ベルナスは訓練でも自分よりも弱い者に対して力を発揮する傾向があった。

 かさにかかった猛攻は、しかし同等か自分よりも劣る相手に対しては有効なのだ。

 そうして十数度に渡る攻撃と回避が繰り返され。

 勝負の秤は、ついに片側へと傾いた。


「はあ……はっ!」

 気合と共に振るわれた剣は、その実オトリでしかなかった。

 本命は、肩鎧からの全身を使った当て身。

 胸の辺りに一撃を受け、シルールは後ずさりながらひざをついてしまった。


「終わりだ……!」

 激しい戦闘に息を上がらせたベルナスが、面頬を跳ね上げて剣を振り上げる。

「――ふっ!」

 鋭く吐き出された気合は、いずれのものか。

 一瞬後、血飛沫を上げながら絶叫した者。


 それは、手で顔を押さえて後ろへ跳ぶベルナスだった。

「ぐっ、があっ! き、さまぁっ!」

 両手で剣を構え直すベルナス。

 その顔に刻まれた、横一文字の傷が彼の視界を奪っていた。


 そんなベルナスを、シルールは。

 右手に竪琴を、左手にはやや短めの黒刃を携え、厳しい目で見据えていた。

 黒刃の柄頭には王冠を象った彫刻。よく見ればそれは、竪琴の頂点を飾っていたものだ。


「仕込み剣……」

 誰にともなく、つぶやく。

 恐ろしいまでの機の捉え方、そして剣の冴えだった。

 おそらく、ベルナスの眼が光を取り戻すことはもうないだろう。

 シルールは一撃で戦闘力を奪い、かつ彼が騎士として再起する道を絶ったのだった。


 そして、シルールは。

 気付けば、あたかも判断を仰ぐかのようにわたしへと視線を向けているのだった。

 何を判断しろというのか、などと言う気はなかった。

 わたしは、ベルナスに対して。


「俺がぁっ! こんな、ところでえっ!」

 発するは人の言葉でも、響きは獣そのもの。

 咆哮を上げたベルナスは、無茶苦茶に剣を振り回しながら、突進を開始した。

 狙いはシルールただ一人。気配だけを頼りに、騎士は最後の突撃を敢行する。




 わたしは、かすかにうなずきを返し。

 慈悲は、速やかに下された。

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