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8/10

 その翌日。ベルル族の攻撃開始まで一日を切った朝。

 わたしは、ナレイジスの当主として恥ずかしくないよう身支度を済ませてから自室を出た。


 昨日の失敗を踏まえてだろう。

 シルールも準備を済ませ、客室の前でわたしを待っていた。


「本当に、よろしかったのですか?」


 そんな風に、シルールは問う。

 わたしは、それにうなずいて答える。


「ええ。お父様の代わりに交渉へ赴くのは、ナレイジスの当主として当然のことですもの」


 その答えに、シルールは首を振る。


「そのこともですが、ベルナス殿の同行を認めたことです」


「反対なのですか、シルール?」


「いえ……ベルナス殿の人物を見極めるにはよい手段かと。ですが、それだけでは済まない可能性も――」


「いいの」

 シルールの言葉を遮って言う。

「お父様は、危険なことは承知の上で行くことを選ばれた。それによって分かったこと、見えてきたこと、放っておけば全て無駄になってしまうでしょう? わたしはそれを許せないし、許すべきじゃない」


 シルールの言葉が意味すること。

 吟遊詩人が本当に訪ねたかっただろう内容を、わたしはあえて無視した。




 街の南門でベルナスと合流し、街壁の外へと足を踏み出す。

 幼いころから見慣れたライプの果樹林が、今はどこか寒々しく見える。

 あるいはそれは冬の訪れを告げるものだろうか。


 歩を進めながら、昨日のことを思い出す。わたしが交渉へ行くと宣言して返ってきた反応は三者三様だった。グルトは戸惑いながらもそれが決定ならばと了承し、ファマンはわたしの眼に覚悟を読み取って黙ってうなずいてくれた。そしてベルナスは、しばらく眉間にしわを寄せて考え込んでいたが、


「一度は果たせなかった護衛の任、きっと果たしてくれると信じていますよ、ベルナス」


 そんなわたしの言葉に乗って、同行を申し出たのだった。


 そうして今、ベルナスはわたしとシルールの前を歩んでいる。

 時々こちらがついてきているかどうか確かめるように振り返る以外は喋りかけても来ないが、その背はこちらへと注意を向けていることが容易に読み取れるものだった。その様を見て、情けなく思う。さして武道の素養があるわけでもないわたしでもそうなのだから、心得のある者なら彼の心の動きなど手に取るように分かることだろう。

 彼には、剣術の才はともかくとしても実戦における戦士としての心構えがない。だから、わたしのような小娘を後ろに置いてびくびくしている。きょろきょろと左右を見回し、自身が小枝を踏み折った音にさえびくついている様子では、護衛の任など果たせようはずもない。

 これならまだ、竪琴を背に負っただけで泰然としているシルールの方が頼りになりそうだった。


「ねえ、シルール」

「なんでしょうか」

「ヴェルルについて、貴方の知ってることを教えてくれないかしら」


 いざ交渉に赴く段階になって聞くことではないような気もするが、聞かないよりは聞いた方がずっといいに決まっている。発音も、シルールに倣ってヴェルルとしてみる。もし彼らが自分たちのことをそう呼んでいるのなら、正しい発音で呼ばれた方が嬉しいだろうと思ったからだ。

 そんな思惑を知ってか知らずか、シルールは心なしか嬉しそうな表情を浮かべる。


「もちろん、構いません。何からお話いたしましょうか」

「ええと、彼らの習性や気質が知れればいいのだけど……」

「ふむ、それならば――」

 空を見上げて思案するシルール。

「――――ヴェルルを縛る掟についてお話しするのがよいでしょう」


「掟?」

 そんなものがあるのか、と少し驚く。

 しかし、考えてみれば当たり前かも知れない。

 一つの街を囲み、使者を送って交渉するような相手なのだ。

 わたしたち人間とは異なる、一族でのみ通用する掟ぐらいあってもおかしくはない。


「以前お聴かせした詩を覚えておいでですか」

 シルールの問いにうなずいて返す。

「ええ、覚えてるわ。けど、細部は忘れてしまっているかも」


 すると、分かりました、とシルールはうなずき。

「実は、ヴェルルの掟と気性については、あの詩を紐解けば分かるようになっているのです。……歩きながらですので、伴奏はなしで失礼いたします」

 そう前置いてから、軽く眼を閉じるようにして歌い始める。

 その声音は竪琴を抜きにしても、いや竪琴がないからこそ、その美しさを際立たせていた。聴く者を一瞬にしてここではないどこかへと誘うような響きに、知らず鳥肌立つような感覚を覚える。詩は梢を抜け、果樹の中に潜むヴェルルの者たちにまで届いているのではないかと思われた。




 此度お聴かせするは恐ろしくも悲しき、古くも新しき話。

 知らんと欲するならば、影森の深奥に潜みし黒影を見よ。

 そは人型を持ちて人に非ざりし者、影森に住まいし一族。

 名はヴェルル、その者どもの言葉にて光と影を表すなり。


 我が声を聞く者よ、彼らを恐れよ、彼らを称えよ。

 汝らもまた影森の恵みを受けて生きる者なれば、彼らを嘲り侮るなかれ。

 彼ら幼子の一人に至るまで勇猛なる戦士にして影森の賢者であるゆえに。

 影森を穢しヴェルルの誇りを貶めんとする者、決して許さじ。


 影森の西の果て、トレナートに抱かれる小さき街にて事は起こる。

 人の幼子は道に迷いて心優しきヴェルルと出会う。

 ヴェルルは幼子を哀れに思いて人里へと連れ戻る。

 げに悲しきは、自らと異なる姿の者を受け入れられぬ人の矮小さよ。


 人々は心優しきヴェルルを罵り、ついには囲みて打ち殺しぬ。

 ヴェルルは黒き影の剣を手に取りて戦うも、背より打たれ倒るる。

 血に塗れ呪いて曰く、御身らの所業は獣に劣るる、汝ら滅ぶべしと。

 騎士レオハート人々を制するも、時すでに遅くヴェルルは息絶える。


 レオハート、焼き払うべしと叫ぶ人々を押し留めヴェルルを埋葬す。

 ヴェルルの黒き刃をその手に持ちて、影森へ一人分け入らんとす。

 人々は騎士を止めること能わず、さりとて追う勇気もなし。

 再び騎士が影森より戻ることはなく、ヴェルルもまた影森より現れず。


 汝、許しを請わんと欲するならば、強く賢くあるべし。

 ヴェルルは強きを尊び、賢きを欲するがゆえに。

 強く賢き者よ、我と思わなば汝の血を捧げよ。

 さすれば汝の血脈は時代へと受け継がれ、更なる力と賢さを得るだろう。




 じっと聴き入る。

 その途中、ふとどこからか視線を送られていることに気付いた。

 シルールでも、ベルナスでもない、誰か。

 その誰かとは、誰か。

 決まっている。

 ヴェルル族の誰かだ。

 わたしたちを、どこからか監視している。

 しかしシルールは歌うことに集中しているし、ベルナスが気付く様子はない。


 注意を促すべきだろうか。

 一瞬だけそう考え、すぐに止める。

 考えてみれば、これから彼らに会いに行くのだ。

 向こうから姿を現してくれるのなら、手間が省けるというもの。

 なら特別注意を促す必要はない。そう腹をくくって、シルールの声に集中する。


 詩は余韻を含んで終わり、森は再び葉擦れの音だけに支配される。


「影森の支配者である彼らは」

 と、再びシルールが話し始める。

「基本的にひとところに留まることはなく、常に旅をしてします。なぜそうするのか。その目的は、日々の糧を得ることであり、より強くより賢い血を欲してのことなのだと言われています」


「血……」

 思い浮かべたのは、客室にあった血の付着したシルールの衣服だ。

「彼らは、街や村に行きついてはそれを包囲し、その土地において最も強く賢い者との決闘を所望します。レナート様は『交渉』と表現を和らげていらっしゃいましたが、彼もまた決闘を行う覚悟をして街を出られたはずです」

「もし、そこで負ければ……?」

「街は蹂躙されます」

 シルールは即答する。

 気休めは言わないのが、この吟遊詩人らしいと言えばらしかった。


「では、わたしたちも決闘を求められるのかしら」

 そんなわたしの疑問に、しかしシルールは首を振る。

「いいえ。ヴェルルは強き者、また賢き者を尊びます。交渉にきたのがメルティナ様だと知れば、彼らもきっと無闇に決闘を挑んできたりはしないはずです」


「待たれよ」

 口を挟んできたのは、ずっと黙っていたベルナスだった。

「私が戦えばよいではないか。何もメルティナ様が前面に立つ必要はあるまい」

 それが当然だとばかりに胸を張るベルナス。

 なるほど、それが目的で誘いに乗ってきたのかと納得もいく。


「ねえ、シルール」

 ベルナスの言葉には応えず、わたしは問う。

「ヴェルルの使者は、彼らの中でも最強の使い手が送られるものなの?」

 シルールは、その質問の意図をすぐに察してこう答える。

「いいえ。あれは一族の中でも年若き者が任せられる任務です」


「ベルナス」

 そうして、彼へと言葉を手向ける。

「交渉はわたしがします。貴方には護衛に徹して欲しい。お願いできるでしょうか?」

 断りにくく、受け入れやすい提案をしたつもりだった。

 案の定、ベルナスは渋々といった感じでその提案を受け入れる。


「じゃあ、話を戻すけど……そもそも、彼らはなぜそんなことをするの?」


「それは、彼らが強く賢い者を尊ぶがためです。彼らは決闘によって、一族に新しい血を入れるべきかを占います。彼らにとって、一族の代表者が決闘に勝つのはヴェルルが未だ新しい血を欲していないと言う証であり、代表者が決闘に負けるのならばそれはヴェルルへ新しい息吹を取り入れよという証となるのです」


「……へえ。やっぱり、変わった一族なのね」

 浮かんだ感想は、そんな平凡なものだった。

 それは、わたし自身が武人ではなく野蛮な風習に思えてしまうから、なのだろうか。

 シルールは、そんなわたしに同意するような微笑みを浮かべる。

「血生臭い風習だと、僕も思います。あれだけは、いつ見ても慣れません」


「そうか、貴方は実際にそれを見て、彼らと話して言葉も覚えたのだものね」

 その事実に、わたしは感心してしまう。

 以前にも聞いたが、未だに信じがたい気もしていた。

 ヴェルルの内に分け入って彼らと交流しようなどと、他の誰が考えるだろうか。


 きっと、シルールはずっとそうしてきたのだ。

 詩を語り歩いてその地の人々の間に溶け込み、また新たな詩を作って次の地へと旅立つ。

 その辛さも楽しさもわたしには想像することしかできないが、ずっと街の中にいては決して触れられない知識、体験できない出来事が、そこにはあるのだろう。

 お父様も、若い頃はそうして諸国を遍歴していたと聞いたことがある。騎士と吟遊詩人という違いはあれど、そこで積み重ねたものがあってこそ、このトレヴェントを平穏の内に治めることができていたのに違いない。


 翻って、わたしには旅の経験がほとんどない。

 お父様が死んでしまった今、おそらくそのような旅をすることは許されない。情報は、本や旅人から仕入れるしかないのだ。そんなわたしが、お父様と同じように街を治めることができるのだろうか。悪い方向へ向かっていると分かっていても、そんな思考を止められなかった。

 冷静になって考えれば、高々十五年しか生きていないわたしが賢き者を名乗るなど、傲慢も甚だしい。今からでも間に合う。街へ引き返して、ファマンやグルト、トールトの教えを仰ぎながら街の防備を固めるべきでは、などという弱気が頭をもたげてくる。


「ご安心ください」

 そんな思考を、シルールの言葉が遮ってくれた。

「その者が賢き者かどうかを、ヴェルルはその者の性別や生きた年月で判別したりはしない。そして、僕が知る限りでは貴方は常に聡明で、そして強い心を持って事に当たってきた。歩を緩めず、真っ直ぐに進めばよいのです。もし許されるのならば、僕はその支えとなりたい」


 そんな言葉があったからこそ。

 いつの間にか無数のヴェルルに囲まれているという事態を、わたしは冷静に受け入れることができたのだろう。

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