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 先導するトールトとそれに続くお父様を追って駆ける。

 しかし、広場を囲む群衆が見える距離まで来ても、覚悟していたような剣戟や悲鳴は一つたりとも聞こえてこない。そこに殺気立ち緊迫した雰囲気はあっても、争闘が行われている気配はないようだった。それを不思議に思いながら人垣の外縁まで辿り着く。トールトはすぐさまお父様の到着を告げる大音声を張り上げ、それによって人垣はさっと割れた。それで、ようやく事態を把握する。


 広場の中央で、剣を構えるベルナスと対峙する人影。

 身を包む衣服が闇に溶け込む藍がかった黒なら、その隙間から覗く肌は闇そのものの光なき黒。髪や瞳まで黒一色の姿は、彼らベルル族が形こそ同じでもわたしたち人間とは別種の存在なのだということを強く意識させた。ベルナスに向けて斜に構えられた剣は話に聞いた通りの黒刃であり、禍々しい装飾が施された刀身は牽制のためか軽く振られる度に不気味な風切り音を立てている。


「――!」


 ベルル族の男は、何か言ったようだった。

 しかしその声は酷く興奮している上に、二人を遠巻きにする群衆のざわめきと混ざり合って聞き取れなかった。ところどころにわたしたちにも分かる単語があったような気もするが、酷く訛っていたのであくまで気がするというレベルを出ない。ベルル族の名の由来となったベルベルという巻き舌めいた発音ということもあり、わたしでは理解不能だった。

「被害は! 死人は出ているのか!」

 お父様の問いかけに、何人かがいないと答える。

 そのことに、わたしはほっとする。

 なし崩しに戦端が開かれるという最悪の事態はまだ防げる。

 おそらく、ベルル族の男は単騎で忍び込んできたのだ。

 捕虜にすれば、情報が引き出せるかも知れない。

 いや、むしろこの機を上手く生かして交渉に持ち込む手を取るべきだった。

「剣を引け、ベルナス!」

 お父様も、同じ考えなのだろう。ベルナスに対してそう命じる。

「ですが、こいつは!」

 しかし、ベルナスには目の前の相手しか見えていないようだった。

 きっと、彼には衆人環視の中で手柄を上げるいい機会と映っているのだろう。

 今にも斬りかかろうとするベルナスを見て、女たちは血の予感に悲鳴を上げる。


「――! ――――!」


 再び叫びをあげるベルル族の男。やはり何を言っているかは分からない。


 いつでも抜けるよう剣の柄に手を置くお父様に、トールトが身を寄せる。

「レナート様……この騒ぎに乗じて侵入を試みる敵がいるやも知れませぬ」

「分かった。お前は行け」

「はっ」

 トールトとお父様の短いやり取り。

 そして、トールトがその場を離れるのと同時に、ベルナスが動く。

 両手で構えた剣を思い切り振りかぶり、踏み込むと同時に袈裟懸けに斬り下ろす。

 しかし、見え見えの剣筋は容易に回避されてしまう。

 ベルナスはそのまま斬り上げに移ろうとするが、ベルル族は素早く前に出る。

 そのまま右手に持った黒刃で切るのかと思いきや、ベルナスの腰に蹴りを見舞った。


 石畳に尻から落ちるベルナス。

 とっさに剣を握る右手を地面について身体を支えるが、ベルル族はそれを見越したように剣身を踏みつけ、右手の自由と反撃の手段を奪う。それは技を競い合う試合ではなく、命を懸けた殺し合いの渦中に身を置く者の所作。ベルナスは躍起になって右手と剣の自由を取り戻そうとしているが、それは素人目に見ても命取りとなる判断だった。

 それでも剣を捨てなかったのは、騎士としての自負ゆえか。

 しかし彼は剣を捨てて徒手での反撃、あるいは回避を試みるべきだった。

 お父様は、ベルナスが倒れた時点で助けに入るべくすでに走っている。

 だが、間に合わない。彼はここで命を落とすのだろう、とわたしは理解する。

 酷薄な笑みを浮かべたベルル族はことさらに構えることもせず、黒刃を無造作に振り下ろした。


 黒き刃の軌跡は滑らかで、ゆっくり動いているようにさえ感じられた。

 早まる心臓の鼓動と反比例するように、思考は冷え切っていく。

 ベルナスが死んだら、彼の仕事はどうなるだろうか。

 民兵の戦力化は、誰にでもできる仕事ではない。

 トールトが適任だが、ならばトールトの仕事は誰が引き継ぐか。

 それなら、何もすることのないわたしが適任かも知れないと思いつく。

 ファマンだけでは街方の反発を買うのは必至だから、ナレイジス家のわたしが間に入ればきっとうまく回せるはず。検討すればするほどに、それはとてもいい思い付きだと感じられた。そう、ならきっと、ベルナスが死んでも回していける。大丈夫。そのことに、わたしは少しだけ安堵し、目を細める。


 ナレイジスの女として、この街の統治者を継ぐ者として、見届けねば。

 そんな覚悟が、彼の命を奪う黒き刃を克明に捉えさせた。

 人の死ぬ場面を目の前にして、わたしは。

 ただ、鼓動の速さだけを。


「ススコルファ・ヴェルフィーリアス!」


 瞬きを、一つ。

 それで、現実感を取り戻す。

 聞き慣れない語調、特徴的な節回し。

 それは、吟遊詩人シルールの上げた叫びだった。

 意味は分からずとも、その声に打たれて誰もが動きを止める。


 そのとき、わたしには。

 ベルル族が、震えたように見えた。

 その様子を、わたしは普段から見知っている。

 思い出したのは、お父様の叱咤を受けた者が畏怖する様子。


 わたしがその疑問に考えを巡らせる間もなく。

 いち早く自分を取り戻していたお父様が素早く二人に駆け寄り、皮一枚残して寸止めされていたベルルの黒刃を籠手で弾く。流れるような動きで腰に差した短剣を引き抜き牽制すると、ベルル族の男は後ろへ跳んで距離を空けた。お父様は、追撃することなく後ろに庇ったベルナスへちらりと目をやる。


「退け」

「私はまだ……!」

「二度は言わんぞ」

「……はっ」


 がちゃがちゃと起き上がったベルナスが退いたのを気配で感じ取ると、お父様はあっさりと短剣を鞘へ納めた。視線はあくまで自然にベルル族の男へ向けたまま、大声で呼ばわる。


「シルール! そこにいるな?」

「ここに」


 軽くうなずいて進み出るシルールの足取りは、ごく自然だった。

 数歩先で剣を構えるベルル族の男を前に、まるで動じるところがない。


「言葉が分かるのか」

「はい」

「こちらに敵意はないと伝えよ」

「仰せのままに」


 更に進み出るシルール。

 相手の間合いに入り、さらに進む。

 軽く剣を振っただけで斬られてしまいそうな位置。

 しかし、わたしにはむしろベルル族の方が気圧されているように見えた。


「クェスティル! シルール・ヴェルフィーリア!」

 たまりかねたようにベルル語で叫ぶ男に対し、シルールも何事か言い返す。

 相変わらず内容は分からないが、シルール、という言葉だけは聞き取れた。

 上手く聞き取れないいくつかのやり取りを、こちらは黙って待つしかない。

 それから、シルールはお父様の方へ振り返って言う。


「彼は、自分はヴェルルを代表して交渉しに来た、そうしたら突然剣を向けられた、と言っています」


 静かな動揺が、場に広がる。

 シルールの言葉は、驚くべきものだった。

 あのベルル族が交渉を望んでいるなど、にわかには信じがたい話だ。

 そして街の人間のシルールへ向ける眼が、驚きから得体の知れないものを見る眼へと変わっていく。無理もない。ベルル族と言葉を交わす彼の正体を考えれば、行きつく先は一つしかない。

 その不信が、シルールを街へ招き入れたお父様にまで伝播するのは避けなくては。そう思い、一歩を踏み出そうとしたところで視線に射抜かれた。

 お父様の、黙って見ていろという無言の命令だった。かすかにうなずいて、了解を示す。


「ベルルの言葉をどこで覚えた? 彼はお前のことを知っているようだが?」

「以前、旅の吟遊詩人として彼らの村に迷い込んだ際に言葉を覚えました。彼はそのときの村の出身で、僕のことを覚えていたそうです。……見知らぬ人々に囲まれて動揺してしまったが、お前に会えてよかった、落ち着いて話がしたい、と言っています」

「よかろう。では彼に要求は何かと尋ねよ」

 お父様の言葉にうなずき、ベルル族の男と会話を交わすシルール。

「……彼は、安全を保障するので、代表者一名を寄越すようにと言っています。その代わり、自分は捕虜となってここへ残ることを誓うそうです。しかし、三日以内に人を寄越さなかった場合は捕虜がいようとも攻撃を行う。この街は滅びへの道を辿るであろう、と」

 それを受けて、重々しくうなずくお父様。

「よく分かった。交渉には私が向かうと伝えよ。通訳の任、ご苦労であった」

 そして、大仰にお辞儀してみせるシルール。

「もったいなきお言葉にございます」


 二人の様子は、どこか芝居じみていた。

 街の人間に聞かせるための、ややわざとらしい応答とわたしには思えた。

 しかし、一定の効果はあったのかシルールへ向けられる懐疑の視線はいくらか和らいだようだった。それを確認すると、お父様は群衆へと向き直って大声を張り上げる。


「聞いたな、皆の者! これより私はベルル族との交渉を行う! 兵は速やかに持ち場に戻り、向こうから仕掛けてくるまでは決して仕掛けぬよう、この場におらぬ者へ伝えよ! それ以外の者は自宅に戻って待機! 万一の時に備えて防戦の準備を整えよ!」


 兵たちが直立して声を揃え、持ち場へと散っていく。

 それを受けて、それ以外の一般市民も解散する雰囲気になっていく。

 兵たちによって半ば守られ、半ば監視されるように囲まれる後ろ手に縛られたベルル族の姿にはしばらくの間好奇の混じった視線が投げかけられてはいたが、それも長くは続かない。男が大人しくしていることで人の波は引き、後にはお父様とわたし、シルール、そしてベルナスと男を拘束する幾人かの兵のみが残された。お父様は、いくつかの指示を伝令の兵に出した後、話があると言ってベルル族の男を少し遠ざけた。

 閑散とした中央広場に、お父様とわたし、シルールとベルナスの四人だけが残される。お父様は兵たちに周りに人気がないことを確かめさせると、その場にいる者たちの顔を見回してから口を開く。


「多少状況に変化はあったものの、やるべきことは変わらぬ。ベルナス、メルティナ、お前たちは街を守れ。シルール、お前は通訳として私についてくるのだ。また使者殿の処遇についてであるが、念には念を入れたい。このまま帰し、こちらの意向を伝える役目を担ってもらいたい。ついては、言葉の分かるシルールにその任を……」

「お待ち下さい、レナート様! どうか、私に挽回の機会を!」


 大勢の前で決まり悪いところを見られたせいか、さっきまで神妙にしていたベルナスが顔を上げて叫ぶ。その声に、ベルル族を拘束している兵たちがこちらを向く。わたしが見つめ返してやると慌てて眼をそらすが、その顔触れには見覚えがあった。確か、いつもベルナスと仲良くしている者たちだ。

 お父様も、それに気付いたのだろう。少しだけ顔をしかめた。

 ベルナスは、あれでいて溌剌とした気性から若い兵たちに人気があるのだ。

 

 だから、仮にお父様がベルナスの提案を退けたとする。

 それが先ほどのような余人の耳のない場所ならば問題はなかった。ベルナスが個人的に恥をかく結果になるに過ぎないからだ。しかし、このように人の耳がある場所、しかもベルナスに強く共感する者の耳がある場所で真っ向からベルナスの意見を退けたとなれば。

 噂はすぐに伝播し、お父様とベルナスは不仲である、という事実がいつの間にか兵たちの間に形成されることは容易に予想がつく。今、この状況でそのような不和の種を蒔くのはどう考えても得策ではない。ゆえに、お父様はベルナスの提案を退けられない。


「……よかろう。くれぐれも問題を起こすことの無いよう、村外れまで送ったらすぐに引き返すのだ」

「はっ。お任せあれ」

 胸を叩いて請け負うベルナス。お父様はうなずきで返答に代え、シルールに向き直る。

「シルール。使者殿へこちらの意向を伝えるのだ。貴公を解放し、後ほどこちらからの代表者を送る旨を一族へ伝えよ、とな」

「かしこまりました」


 それから、お父様はふむ、と思案する様子を見せ。


「メルティナ」

「はいっ!」

「トールトには民兵の訓練に当たらせる。ファマンと協力し、街の防御を固めよ」

「は……はい!」


 そんな風に、声をかけて下さった。

 かけられた声、その内容に、わたしは喜色がこみ上げるのを押さえられなかった。

 お父様は、能力が不足していると思う者には絶対に仕事を任せないお方だ。

 わたしにそれだけの能力があると認められたことが、ただ嬉しい。

 絶対に、その期待を裏切るわけにはいかない、と思う。


「私も準備がある。後のことはお前たちに任せる」


 そう言い残して屋敷へと足を向けるお父様。それを機に、皆がそれぞれの仕事に取り掛かり始める。わたしも、まずはファマンと合流して今後の動きについて簡単な打ち合わせを必要をする必要があった。

 さて、彼はどこにいるだろうかと考え、ふと空が視界に入る。


 折からの曇り空は、今にも泣きだしそうな気配を漂わせていた。

 いっそ、早く降ってすっきりと晴れてくれた方が気分も晴れるだろうに。

 根拠も何もないが、先行きの不穏さを思わせる憂鬱な空を眺め、そんな風に思った。

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