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エピローグ

 わたしは街への帰途に就いた。

 隣には、吟遊詩人シルールの姿がある。

 赤く染まる夕焼けの中、二人だけで並んで歩む。

 ヴェルルの王は、わたしを送り届けると申し出てくれたのだ。


 その背には、ベルナスの剣がある。

 彼を、街を護って決闘をした騎士として遇することを、シルールは許してくれた。

 そのことにわたしは深く感謝する。


「騎士として、彼は彼なりのやり方で街を護ろうとしたのでしょう」


 シルールは、そのようにベルナスを評した。

 わたしも、そう信じたいと思う。

 彼が何を思ってお父様を殺めたのかは、今となってはもう分からない。

 分からないがしかし、そのように収めるのが最も綺麗な形だとわたしは思った。



「一つ疑問があります」

 歩きながら、シルールはそう口にする。

「なぜ、僕を信じてくれたのですか? あの問答にはどのような意味が?」


 本気で不思議そうな口調になるシルールに、わたしは思わず笑ってしまい。

「気付いてなかったの?」

 悪戯っぽく笑みを浮かべて、問い返してみる。

 するとシルールは考え込むような表情を浮かべ。

 それほど間を置かずに、答えへと辿り着いたようだった。


「ヴェルル・ヴェル、か」


 改めて、その言葉を口にしてみる。

 我が死を見よ。不思議な響きを持つヴェルルの言葉。

 シルールはその言葉をわたしに教える際に、最後にこう付け加えた。

 ヴェルル族はこの言葉を鬨の声として使う、と。

 あの質問は、そういう意味だ。



「ねえ、お話、してよ」

 不意に、そんなことを言ってみたくなった。

 その言葉に意表を突かれた様子のシルールが、少し可愛い。


「お話、ですか?」

「何でもいいから」

 そんなわがままを言ってみる。

 どうせ、誰も聞いてはいないのだ。


「そうですね……ではモノオクルスとオヴェリウスについてのお話をいたしましょう。このお話は地方によって細部が異なり、ある地では前半部分だけが、別の地では後半部分だけが語られていたりと謎も多い伝承なのです。僕が語るのは、そうした伝承を拾い集め、僕なりにこのようなことだったのではないか、と再構成したものであることを、お含み下さい」


 そんな前置きに黙ってうなずき、語り始めるシルールの声に耳を傾ける。


 大筋は、わたしの知るものと同じ。オヴェリウスは片目巨人の被害を憂えて、人々が安定して鉄を採掘できるように、モノオクルス討伐を決意する。片目巨人が住まう洞窟へ忍び入ったオヴェリウスは言葉巧みに巨人の眼を潰し、見事に討伐を成し遂げて街へと帰還する。そこまではわたしの覚えている通り。


 そして、街は滅びる。

 モノオクルスの守護を失ったオヴェリウスの街、良質な鉄の産地だった彼の故郷は周辺の国家に攻め入られて全滅の憂き目に遭った。オヴェリウスは戦いの中で命を落とし、もはやこれまでと悟った生き残りの人々は、故郷を捨てることを決断した。


 そこに現れたのが、聖女オヴェリアだ。

 彼女は生き残りの人々を導いて新天地を目指した。その道中には様々な困難があったが、彼女はときに剣を執って戦い、ときに知略を用いて危難を回避した。いつしか人々は旅を日常とし、新天地を探すという目的を忘れてしまったのだそうだ。


 しかしそれは決して後ろ向きな決断ではなく。

 旅という日常の中に、彼らは新天地を見い出したのだろう、と吟遊詩人は結んだ。


 特に感想を述べることはしなかった。

 そのまま並んで歩きながら、とりとめもない会話を交わす。

 わたしはもう決して訪れることの無いだろう、遠い異境の香り漂う話の数々。

 ずっと聞いていられたら、どんなに素晴らしかったことか。



「シルール?」

 そろそろ街が近い。

 そのことを察してか言葉少なになる吟遊詩人へ向き直り。

「最後に、あの詩を聞かせてくれないかしら」


「詩……ですか?」

「そう。ヴェルルとレオハートの詩、わたしの曾祖父の英雄譚を」


 行きがけに聞いた時は、伴奏がなかった。

 だから、別れる前にきちんと竪琴の旋律も付けて聞いておきたかったのだ。

 そんなわたしの願いに対して、もちろん、とシルールはうなずく。

 吟遊詩人は手近な切り株に腰掛けると、竪琴を構えて歌い始める。




 此度お聴かせするは恐ろしくも悲しき、古くも新しき話。

 知らんと欲するならば、影森の深奥に潜みし黒影を見よ。

 そは人型を持ちて人に非ざりし者、影森に住まいし一族。

 名はヴェルル、その者どもの言葉にて光と影を表すなり。


 我が声を聞く者よ、彼らを恐れよ、彼らを称えよ。

 汝らもまた影森の恵みを受けて生きる者なれば、彼らを嘲り侮るなかれ。

 彼ら幼子の一人に至るまで勇猛なる戦士にして影森の賢者であるゆえに。

 影森を穢しヴェルルの誇りを貶めんとする者、決して許さじ。


 影森の西の果て、トレナートに抱かれる小さき街にて事は起こる。

 人の幼子は道に迷いて心優しきヴェルルと出会う。

 ヴェルルは幼子を哀れに思いて人里へと連れ戻る。

 げに悲しきは、自らと異なる姿の者を受け入れられぬ人の矮小さよ。


 人々は心優しきヴェルルを罵り、ついには囲みて打ち殺しぬ。

 ヴェルルは黒き影の剣を手に取りて戦うも、背より打たれ倒るる。

 血塗れ呪いて曰く、御身らの所業は獣に劣るる、汝ら滅ぶべしと。

 騎士レオハート人々を制するも、時すでに遅くヴェルルは息絶える。


 レオハート、焼き払うべしと叫ぶ人々を押し留めヴェルルを埋葬す。

 ヴェルルの黒き刃を持ちて、影森へ一人分け入らんとす。

 人々は騎士を止めること能わず、さりとて追う勇気もなし。

 再び騎士が影森より戻ることはなく、ヴェルルもまた影森より現れず。


 汝、許しを請わんと欲するならば、強く賢くあるべし。

 ヴェルルは強きを尊び、賢きを欲するがゆえに。

 強く賢き者よ、我と思わなば汝の血を捧げよ。

 さすれば汝の血脈は時代へと受け継がれ、更なる力と賢さを得るだろう。




 静かな余韻を残し、詩は終わりを告げる。

 竪琴を仕舞い、ここで別れましょうと言いかけるシルールを遮り。


「この詩の本当の意味」

 わたしは、そんな風に切り出していた。

「ようやく分かったの」


 その言葉に、シルールが目を瞠る。

 思えば、この吟遊詩人のこんな表情を見たのは初めてかも知れない。


「考えてみれば、わたしはもっとずっと前に疑問を持つべきだった。この詩の最後の段落『さすれば汝の血脈は時代へと受け継がれ、更なる力と賢さを得るだろう』という部分。ここでいう汝とは、いったい誰のことなのかしら?」


「……単純に読み解けば、英雄を差し出した街のことと取れますが」


「けど、それは違う。貴方はヴェルルの掟についてこう言っていた。貴方たちは強く賢い者を尊ぶがゆえに決闘を行う。決闘に負ければそれは新しき血を入れよという証であり、決闘に勝ったならまだそのときではないという証となるのだと。これは間違っているかしら?」


「いいえ。貴女の記憶力は本当に素晴らしい」


「だったら。血脈を受け継ぎ、更なる力と賢さを得るのはヴェルルでなくてはおかしい。けどこの詩は英雄側の視点から描かれ、英雄の血が受け継がれることを示唆している。つまり」


 続けようとしたわたしの唇を、シルールの指が塞いだ。

 それ以上言うな、ということだろう。

 シルールはわたしが何を続けようとしたか、完全に理解している。


 だからこそ、わたしは続ける。

 そうせずには、シルールとは別れられなかった。

 わたしは、唇を塞ぐ白く柔らかな指をそっとどけて、言う。


「子供だと思って、馬鹿にしないで欲しいものね。わたしだって、もう女なんだから」


 思い浮かべたのは、客室で見たシルールの服。

 血の付いた、彼女の服だった。

 それだけ言えば通じるとわたしは信じ。

 事実、シルールはそれで全てを察したようだった。


「ねえ、わたし、貴方のことを心から尊敬してる。たった一人で街から街へと渡り歩いて見聞を広める、一族の長。そんな生き方、わたしには決して真似できそうもないから」


 視界が滲む。

 頬が濡れ、伝い落ちた水滴がシルールの胸を濡らす。

 そのままシルールに優しく抱き留められながら、わたしは声を絞り出す。


「お願い。帰ってくるって、またわたしと会ってお話してくれるって、約束して。そうしたら、わたしもきっと貴方みたいに頑張れるって思うから。女でも、ちゃんと皆のことを護れるんだって信じられるから」


 そんな情けないわたしを抱く手にぎゅっと力を込めて。

 シルールは、静かにうなずいてくれた。

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