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too colorful

作者: 睦世
掲載日:2013/03/05

 ソファカバーを変えた。

 一昨日お気に入りの雑貨屋で見かけたキャラメル色のテディベアのように、ふさふさした美しい毛並み。顔を埋めると、少し息苦しくなった。


「サリ」


 閉じた瞼の向こうが薄暗くなる。

 恭二の気配を感じて目を開けるまでのもどかしさが、最近の生活で最も楽しみなこと。

 目を開けてしばらくは光を取り込む量を上手に調節できない。眩んだり、揺れたり。

 あと少し、というところでうまく届かない光は、まるでこの男のようだ。


「サリ」


 なに、という言葉を視線に込めて見上げると、静かな視線。僅かに伏せられた瞳にかかる睫毛。無表情なのにどこかやさしくも感じられるその顔に、拍子抜けする。


「電話」


 このひとは単語しか喋れないのだろうかと少し呆れつつ、寝そべったまま手を差し出す。ひんやりと重い受話器がてのひらに心地良く馴染んだ。



- - - - - - - - - -


 レースのカーテンがひんやりとした風に揺れている。掴みたくて手を伸ばしてみるけれど、レースのざらりとした感触は指先を掠めて窓に張り付いた。


『ねえ、聞いているの?』


 うん、と気のない返事をする。目を擦ったら、うっすらと滲んでいる涙が目尻に伸びて、消えた。

 涙は悲しくなくとも分泌される。生理的現象。一日の終わりを予告する赤い空。鮮やかな世界。


『もう。ちゃんと聞いてってば』

「聞いてる聞いてる」


 もう、とため息混じりに呟いてからすぐに気を取り直したように喋り出す。

 ヨリの声はいつも歌っているかのよう。


『明日。そっちに帰るからね。スコーンを焼いたから、いつものジャム買っておいてね』


 ああ、と声が漏れた。ヨリのなあに? という軽やかな声を、ほんの少し鬱陶しいと思ってしまった。自慢の、うつくしく聡明な姉。


「昨日、恭二が買ってた」


 失望にも似た気持ち。自分の思い通りにならないこの感情が、憎くてたまらない。

 ヨリは気付いているのだろうか。気付いていないはずがない。恭二の気持ちも、私の気持ちも。全て分かった上で、それならよかったわ、と歌うように言うのだ。


 うつくしく聡明で、残酷な姉。

 それでも誰もが彼女を愛さずにはいられない。

 私も、恭二も、あのひとも、誰もが皆。



- - - - - - - - - -


「ヨリ、何て?」


 ぎし、とソファが沈む。私の頭から数センチ離れて座った恭二の低い声。その甘く優しい響きの向かう先に泣きそうになる。

でもこれは悔しさだ。悲しさや淋しさなんかじゃない。


「スコーン焼いたからいつものジャム買っておいてって言うから、昨日恭二が買ってたよって言っといた」

「それだけ?」


 微かな期待の込められた声の調子に、苛立ちが募る。ゆるゆると髪を梳いてくれる手を、振り払いたくなる。どうせできやしないけれど。

 振り払ってしまえば、恭二は何も言わず何もしないだろう。それは怖い。

 そして、どんな形でも触れてほしいと思ってしまうことに傷つく。


「ママは? って聞くから、地中海の見えるどこかって言っておいた」


 そうしたら、残念だわって。と私が言った時、恭二の手が一瞬強張ったのを感じる。そしてその僅かな強張りは、再び髪を梳き始めた後も私の全身にひたひたと浸透していく。


 ざまあみろって心の中で呟いた。その言葉は誰より私を傷つけて、だから恭二を傷つけたくて、傷ついて傷つけたその先が怖くて、言葉が喉の奥に引っかかって止まった。


「それで話は終わり?」


 祈るような問いかけ。だから私は、ううん、と言った。

 みんな、うんと傷つけばいい。そうしたら涙を流すのは誰だろう?


「あのひとと結婚するんだって」

「へえ」

「半年後には、子供も生まれるんだって」

「…へえ」


 今度こそ、恭二の手ははっきりと強張った。


「ねえ、悲しい? 悔しい? つらい? 淋しい?」

「……いや」


 こんな悪趣味な問い、口にしたくないのに。何かから逃れるように言葉を放つのを止められない。

 私が彼なら、泣き喚きながら暴れて恭二の胸を何度も殴りつけるかもしれない。けれど、彼は何も言わず、私の額にキスをした。

 腹が立つ。腹が立つ。腹が立つ!


「言っちゃえばいいのに」


 急に起き上がったせいか、視界がかすむ。脳内に映し出されるヴィジョンはぶれている。後頭部の辺りから警告音が鳴り響く。やめろ、と微かに自分を諌めてみる。


「好きだって。結婚なんてするなって」

「…子供ができたんだろう」


 初めての遠回しな肯定に、愕然とした。恭二は苛立って、動揺しているのだと。

 いつもなら俺が好きなのはサリだよと言ってくれるのに。お互いに、それが嘘だと分かっていても。


「そんなのどうにでもなるよ」

「馬鹿なこと言うな」


 抑え付けようとするような声に泣きたくなった。


「だって、馬鹿だもん」


 泣きそうなことを悟られたくはなかった。くだらない自尊心を守るために。でも、どうして泣かずにいられるというのか。こんなにも好きだ。傷ついてしまえ、と思うほどに。

 向き合って座っていた恭二から、穏やかな気配を感じた。彼はいつも私より先に冷静さを取り戻し、ひどく無神経になる。


「大丈夫だ」


 手のひらにぐっと爪を立てて、彼の顔を睨み上げる。


「俺達は馬鹿だから、大丈夫だ」


 その声はとても悲しい。けれど、愛しい。

 古文の授業で、「かなしい」は「愛しい」と書くのだと教わった。遠い昔を生きた人も感じていたのだろうか。愛しさは、とてもかなしいものだということを。


 覆い被さるように抱きしめられた。痛い、と呻くと、腕の力はじりと強まった。

 息もできないほどに好き、なんてとても陳腐。だけど、この男が丸ごと私のものになるのなら息なんて止まってしまえばいい。時計なんて砕けてしまえばいい。全てなくなってしまえばいい。


「やさしくしてよ」


 漏れた声は掠れ、弱々しかった。言葉が頬を伝ってぽつりと零れ落ちる。

 首筋に押し付けられた唇から移る体温が苦しい。やさしくしてよ、と繰り返した。


 いつも恭二を全部自分のものにしていたい。

 抱きしめられてももどかしさは募るばかりだし、身体を重ねるだけじゃ足りない。

 世界はいつも、鮮やか過ぎる。

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