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第6話 衝突


 駐車場の空気は、冷たかった。

 車の熱も、人の気配も、土曜の昼前なのに薄い。風がコンクリートの隙間を抜けて、音だけを運んでいく。


 前方。

 手を引かれている女の子が見えた。髪の揺れ方、長さで分かる。神田さんだ。


 俺たちは車の影に身を寄せて、距離を詰めた。

 10メートル。近いのに遠い。心臓の音が、自分の耳の中でうるさい。


 神田さんは項垂れたまま、男に引っ張られている。嫌々なのが分かるのに、抵抗できていない。

 男の手には、神田さんのスマホが握られていた。ピンクのラブブの人形が揺れる。あれがあるだけで、「誰のものか」が残酷なくらいはっきりする。


 返してもらえない。

 完全に、男の支配下だ。


 男は30代くらい。白と紺のボーダーのセーターに黒いスラックス。小太りで、顔にニキビ跡が目立つ。

 薄い笑みを貼り付けて、神田さんの手を引いている。


 笑ってる。

 状況を「自分のもの」だと思っている顔だ。


 男がポケットに手を入れた。

 次の瞬間、少し離れた場所で白いプリウスのハザードが点滅した。


 あれで逃げるつもりだ。


 男は神田さんを助手席側へ押し込むように座らせる。

 神田さんの肩が跳ねた。声が出ない。出せない。


 助手席のドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。


 数秒後には、男は運転席へ回り込んで発進する。

 発進されたら終わる。追いつけない。呼んでも、ここには誰もいない。


 どうする。

 どうしたら。


 横を見ると、美桜の唇が震えていた。

 目が遠い。今じゃない場所を見ているみたいだった。怖くて、身体が置いていかれそうになっているのが分かる。


 それでも、美桜は俺を見て小さく頷いた。

 大丈夫、って言うみたいに。


 そのくせ、握る手の力はどんどん強くなる。爪が食い込むほどに。


 そして。


 手が離れた。


「……美桜!」


 声が遅れる。俺の頭が追いつかない。

 止めろ、無理するな、と身体の奥が叫ぶのに、足が固まって動けない。


 男は助手席側のドアを閉めたところで、車の前を回って運転席へ向かおうとしていた。

 その背中へ、美桜が一直線に飛び込む。


「うぁぁぁぁ!」


 叫び声と同時に、細い体が男の胴にぶつかった。


 男は驚愕の顔のままバランスを崩し、その場に尻もちをつく。


 美桜は倒れない。

 よろけた足を踏ん張って、すぐ体勢を立て直した。


 そのまま迷いなく助手席へ走る。


 ドアを開けた。


「神田さん! 出て!」


 美桜が神田さんの腕を掴んで引っ張る。

 でも、神田さんの身体が動かない。怖さで、シートに縫い付けられたみたいに固まっている。


 その一拍で、背中が凍った。


 男がもう起き上がっている。

 目が血走って、声が獣みたいに荒い。


「なんなんだよ!」


 男は助手席側にいる美桜へ向かって踏み込んだ。

 覆いかぶさるように腕を伸ばす。


「美桜っ!」


 俺は胸を押さえながら走り出した。

 走るな、無理するな。分かってる。分かってるのに、止まれない。


 肺がすぐに熱を持つ。視界の端が揺れる。

 それでも今、ここで止まったら、美桜が間に合わない。


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