そこにはルールがございます
姉が勝手に弟の嫁をハンティング、いやいや、どのようにスカウトしようかと考えているとは欠片も思っていない弟のローランド。
姉には令嬢には興味がないといったものの、それは令嬢本体にであって、彼女の刺す刺繍に興味はある。
どちらかといえば、すぐに出向いて行って、刺繍の話をしたいと思う程度には気になっている。
なんと言っても、あれほど緻密にであるのに、デザインの斬新さ。
色合いの鮮やかさ。どれをとってもローランドはないものだ。
是非とも話を聞いてみたい。
どんな令嬢があれを刺しているかではなく、どのような人物からあの刺繍が生まれているのかを知りたいのだ。
前もって言っておけば、ローランドの恋愛の対象は異性である女性である。
ただ、ローランドの周囲にいる女性陣が強烈すぎて、一般的な女性に対する「理想」が語れないのが現実だ。
まず、一番身近な異性たる母と姉。
これがまた、真逆にベクトルが向いている二人である。
母はどらかといえば、おっとりとした性格だ。
けれど、すべてを泣いて誤魔化そうというしたたかな策略家の一面がある。
次に姉である。
幼いころからじゃじゃ馬で強烈すぎる人物だ。
とにかくあれは対象外の生物である。
いとこ達に至っては、品よく人の足を引っ張ることを趣味としているし、姉の友人たちは大抵は、姉と根底がそっくりなのだ。
そうした女性陣に囲まれて育ったローランドの理想の女性像はブレッブレである。
それでも幼いころは理想があった。
姉が乱暴者なので、できれば母のように穏やかな女性がいいと。
けれど、穏やかでありつつも、泣くことで物事を解決し、裏で舌を出すような母親を見ていたら、それはどうなのかと思うようになった。
穏やかな女性は大抵は、何もできない人が多い。
無論、母が何も出来ないということはない。
母も公爵家で育った端くれ、それなりに侯爵夫人として社交界の荒波を笑顔と根性で乗り越える術はあるし、家宰を扱える人でもある。
優しい人はどうだろうと考えたこともある。
実際のところ姉は対外的には優しい人で通っている。
けれど、実態はあれだ。
論外だ。
よくよく深く考えて、今度は明るくて気立てのいい女性がいいとも考えた。
なんだろう、それはいとこたちにあてはまると気が付くと、駄目だ、ダメと思った。
探す時間が無駄である。
そんなこんなでローランドの好みはブレブレになり、いまだに理想とやらとはなんぞや状態で、両親にも「どのような女性が好みなのか」と問われても即答できない状態なのだ。
顔はいいに越したことはない。
女性陣から「所詮は顔か」と言われるが、人間見た目は大切だ。
はっきり言おう。
世の中に、美人やかわいいが嫌いな男などいるはずがないのだ。
特に貴族の男は美の基準に大差あれ、美人を見慣れている生き物だ。
性格は自己主張の激しいのは困る。
主張しないのも困るが、激しいのは問題を起こすからだ。
自己主張の激しい人間は大抵もめ事を起こし、自己愛が強すぎるので絶対に嫌だ。
なので、できれば穏やかで静かなのが好みだ。
多分…
多分?
暗いよりは明るいほうがいい。
家に帰ってきて陰鬱なのはいやだし、侯爵家夫人として社交のできないのは問題外だ。
と、突き詰めて考えていくたびに、やはり理想がわからないローランドだ。
ただ一つ、相手に望めるのであれば、自分の趣味をバカにせず、逆に一緒に刺繍をさせれば最高だ。
そもそもローランドの嫁取りは、次期侯爵としての資質を親に判断される材料になるし、貴族同士のパワーバランスなども考えると、より慎重になるのだ。
少なくとも、王城で他の令嬢の脚を引っかけるように女性は論外だし、扇で顔を隠しつつ人様を悪しきざまに言うような令嬢達だって論外だ。
親の地位の高さをひけらかしたり、笠に着たりする令嬢だって御免被る。
で、結局、ローランドは未だに「これが理想だ」というものにたどり着けていない。
こんなくだらないことを(自分に嫁取りをくだらないと言い切っているあたりで、ローランドも大概である)考えているくらいなら、次の刺繍の事を考えたい、という結論にローランドが至ったころ、男爵家令嬢のドレスに刺繍を刺していたフランが大きなくしゃみをした。
あやうくドレスにしぶきをかけるところで、顔をそむけたが、なぜかまだ鼻がむずむずするし、背中に悪寒すら感じる。
風邪でも引き込んだかと考えたが、熱はなさそうだし、喉もいたくない。
きっと誰かが私の噂をしているのねと考えて、ドレスの刺繍を再開する。
すっかり自分が家出娘であることは忘れているフランである。
「進み具合はどう、フラン」
と、自分の雇い主が声をかけてきた。
「はい。順調です。この分なら、予定より1日ほど早く仕上がると思います」
「見てもいいかしら」
「勿論です」
自分の座っていた場所をマダムに譲る。
彼女は刺繍の終わった部分を手に取ると、感嘆の声を上げた。
「フラン、素敵じゃない」
「はい。お嬢様は可憐な花が似合うと思って」
ピンクを中心に鮮やかな花が刺繍されている。
白い絹のドレスに派手過ぎず、けれど、美しい色合いだ。
そのピンクもドレスの裾は濃いピンクで、上に行くほどに、ドレスと同化する色合いになっている。
「素敵ね…あなたのアイデアにはいつも驚かされるわ」
「褒めて頂けてうれしいです」
満面の笑みを浮かべる。
「私は出来ればいつまでもここにいてほしいと思うし、ここにいるなら、お店をフランに譲ってもいいと思ってる。けれど、それはフランが平民になることが、条件であって、あなたはまだ、貴族籍のお嬢様よ、いつまでもこんな生活できないわよ」
「……それはそうなのですが…」
「一度はちゃんと話さないとって思っていたのよ」
それが今なのか…と若干、腑に落ちないフランであるが、自分の命の恩人のマダムを無視することはできない。
「私は何があったのかはわからないけど、家を飛び出してくるなんて余程のことでしょ」
「それは…」
「言いたくないなら深くは聞かないけど」
言いたくないわけではなく、なにをどう話したら伝わるのかわからないだけだ。
フランは伯爵家の長女として生まれて育ってきた。
幼いころから「お姉ちゃんなんだから」という言葉で自分の感情を封じられた。
両親に甘えたくても「もう、お姉ちゃんになったのだから」と言われて、妹にすべてをとられた。
妹が嫌いなわけではない。
でも、両親の愛情が妹に行ってしまったときに、嫉妬したのだ。
自分だって甘えたいと。
だけど、それすらも「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われてしまって、フランは望むことをあきらめた。
今は、ここで大好きな刺繍をしていられるのが幸せなのだ。
そう、自分はこうして好きな刺繍をして、誰かに喜んでもらえるのがうれしいのだ。
家族のようにそれを当然としてではなく、喜んでお礼を言われるのが。
けれど、確かに伯爵家を飛び出して3年がたつ。
貴族の娘として一番やってはいけないことをしてしまったのだ。
今まで良くできた長女としての自分を全部壊してしまった。
今更、伯爵家に帰るのは怖い。
今の自分が家族の中で今までのように我慢ができるとは思えなくて。
「フラン、いいえ、フランジェール。自分のこれからを一度は考える時期よ。今回は新興の男爵家だから、あなたの顔を知らなかったけれど、もし、知っている人が現れたら、大変なことになるわよ。あなたも、お家もね」
マダムが言葉を紡ぐ。
「私もあなたを手放したくはないけど、貴族のご令嬢がいつまでもこんな生活は許されないでしょ。庶民には庶民の、貴族には貴族のルールがあるのよ。いいところだけを摘まむことはできないわ」
その言葉は静かにフランの心に落ちた。




