フランは日々、学んでいる。
時は大きく遡る。
フランが邸に戻ってこない。
待てど暮らせど戻ってこない。
手に負えない悪童になってしまった跡取り息子が、学園でまたやらかしたため、両親が呼ばれたものの、そこは、両親のいつもの丸投げという得意技で聞き分けのいい都合の良いフランにすべてを押し付けた。
父にとっては待望の跡取り息子、
母にとっては愛人から夫を取り返した戦利品。
夫婦そろって、甘やかすだけ甘やかした結果の産物も、手に負えないとなると、投げ出してしまっのだ。
10歳を過ぎた悪童の躾など、並大抵ではないし、10代の娘にはほぼ不可能だ。
都合の良い長女のフランにだって手に余った。
それでも両親の「私たちは社交で忙しいのよ。お姉ちゃんが話を聞いてきて」と言われてしまえば、いつものようにため息をつきつつも、学園を訪れて、絞りに絞られるのだ。
フランの何かがプツンと切れて、逃亡したとしても、仕方のないことだった。
逃亡当日。
まずは、フランを乗せて学園を訪れていた従者が、フランが馬車に戻ってこないと半泣きで家令に告げた。
次に家令は人手を増やして街中を駆けずり回ってフランを探すも見つからない。
11歳にしてすでに放蕩息子の片鱗が見えているバカ君に学園で姉と合わなかったのかと聞くも「知らないよ、あんなの」と即答された。
あげくに「嫁にも行けない、どんくなさい女」などと抜かした時には、家令はさすがにぶん殴ってやろうかと思ったくらいだ。
誰のせいでフランが学園に赴いたと思っているのだ。
ほんとうに、このろくでなしの長男は、あの屑だった祖父によく似ている。
とにもかくにも伯爵家の令嬢が消えたのだ。
大騒ぎをするなというのが無理な相談だが、ことを大きくして大問題に発展しては逆に困る。
家令はひとまず、捜索の手を割きつつ、夜会に出向いて行った当主たる伯爵に至急邸に戻ってきてほしいと使いを出した。
フランの父と母がことの重大性に気が付いたのは翌日であった。
面倒ごとを何かと引き受けさせる両親ではあるが、子供に愛情がないわけでもなく、なにより娘を虐げていたわけでもない。
聞き分けが良すぎたために、ついつい、便利に使ってしまっただけだ。
(それだって十分問題が大ありだが)
息子からとにかく話を聞きだし、最後に「あんなの嫁のもらい出が~」と言い出すに至って、母はヒステリーを起こしてぶっ倒れ、妹は「あなた、気持ち悪いわ」と吐き気を催し、父親に至っては、初めて息子を殴りつけた。
その後は家族4人が阿鼻叫喚の状態で、さすがの家令もそのような姿を使用人に見せるわけにもいかず、その部屋への立ち入りを禁止した。
阿鼻叫喚なまま一夜が明けて、精魂尽き果てた家族が泥のように眠って起きても、事態は進展しなかった。
父親としては、娘の安否は気になるものの、伯爵家当主としてはことを大きくすることはできない。
よって、下した決断は、フランは病にかかり、養生のために領地に行っているという、ありきたりでお決まりの言い訳をすることにした。
あれから3年。
バカ息子は馬鹿息子のまま14歳になった。
2度も学園から停止処分を食らった立派な落ちこぼれである。
これが伯爵位を継ぐことになると考えるとうっすら寒い父親である。
(もっと早くから危険性に気づけあほがである)
母親はなぜか突然、母性に目覚めてフランの部屋でドレスを抱きしめて、泣く日々が増えた。
(もう少し早くに目覚めてほしいものである)
妹に至っては今までどんなわがままも聞いてくれた両親が突然、変わったことに困惑したうえ、どんなにわがままを言っても諦めつつ聞いてくれた姉がいないくなったことで、生活がしずらい。
なによりあれ以降、弟が怪物に見えるのだ。
そんなこんなで伯爵家は現在進行形で薄暗ーい空気に包まれている。
そんな二の核飛び越えて一の核に住んでいるフランは、今日も今日とて元気に仕事をしている。
以前に比べると時間配分を覚えたフランは、刺繍でもらえるお給金が増えた。
そして、金の計算を身に着けたので、ランプの明かりすら買えないという危機からは脱した。
なにより、一度、ぶっ倒れてマダムにげんこつを落とされてから(教育的指導)は、素直に助けが欲しい時に「助けてほしい」と言うことを覚えたのだ。
もちろんマダムも無条件に金を貸したりすることはない。
ただ、下宿させてもらっている身だとして、食費を削ってもやらっていた下宿費を半額にしてくれた上に、食事も提供してくれるようになったのだ。
そこは、フランの刺繍が話題になり仕立ての依頼が多く入るようになったこともある。
いまやこの仕立て屋は上質な刺繍を刺すお針子がいる店として、一の核でも有名になりつつあった。
今フランは、とある子爵家から生まれてくる子供のおくるみの刺繍を頼まれて、祝福を意味する花々を刺しているところだ。
金糸や銀糸を織り込む代わりに、白いおくるみに、色とりどりの糸を使っている。
生まれてくる子が男の子でも女の子でも構わない色合いだ。
自分が「男」ではなかったことで、落胆され、
自分が「美人」じゃなかったことでも残念がられた過去があることから、
子爵家に生まれた子がどちらでも祝福を受けられるようにとの願いを込めている。
「フラン、お昼だよ」
頭上からマダムの声が響き、頭を上げかけたフランは、首の痛みに顔をしかめる。
「まったく、その集中力は素晴らしいけど、寝食を忘れたり、首が痛くなるまで、やるもんじゃないっていつもいつてるのに、この子はいつになったらそれを学習するんだい」
説教モードに入ったマダムに笑ってごまかす。
フランはマダムのお小言が嫌いではない。
はっきり言えば好きだ。
今までフランにこのように接してくれる人はだれ一人としていなかった。
あまりにもよくできた都合のいい娘だったため、
両親は「いい子ね」という言葉でフランの感情を封じ、
家庭教師も「よくできたお嬢様」ということで、
フランを真剣に心配をしてくれる人はほぼゼロだった。
説教をされるのは、その人を思ってのことだし、
教育的指導も、本当に命の危機や、何度も繰り返す過ちの時に繰り出されるものだと知った。
好きにやるには自分で責任をとること。
人に迷惑をかけるのは、自由ではない。
その線引きが大事だったのだと、今のフランにはわかる。
困惑した弟の接し方も、ガツンと一発ひっぱたけばよかったのだ。
我儘が通じるのは家族だけだ。
それを人前に持ち出した段階で、教育的指導が必要だったのだ。
家でなら許されることも、外では許されないことを教えないのは、不幸なことなのだと理解した。
人は教えられて、大人になるのに、
その機会を奪うことは、その人間を否定することでもある。
それをフランはここにきて、学んだ。
何より、ここにきて、本をたくさん読むことで、世界が広がったのだ。
恋愛小説は自分には肌が合わないが、巷の女性たちが白馬の王子様にあこがれる気持ちは理解した。
庶民には庶民の規律やしがらみがあって、貴族のように厳格ではないものの、結婚は当人同士だけではできないことも知った。
もっとも、貴族と違って婚約者がいないだけで、壁の花だのとバカにされることがないのはうらやましい限りだ。
人が恋愛小説にあこがれを持つのは、自分ではできないことを小説の主人公ができるからだと思う。
ただし、恋愛にこれっぽっちも興味のない年頃を超えたフランには、良さが一つも理解できない。
まあ、それは良い。
ただ、歴史だったり、神話だったり、地方の本だったり、
世の中にはたくさんの本が存在していて、フランの知らなかった知識を教えてくれるのだ。
そういう意味では、刺繍を刺すことも本を読むことも好きだ。
そして大抵、本は自分に刺繍デザインの参考を与えてくれるのだ。
これほど素晴らしい相乗効果もない。
と、日々を楽しんでいるフランは、実家のことはすっかり忘れている。
若いのに凝りまくった首をもみながら、食卓に着くと、マダムが煮込みスープと盤を出してくれた。
マダムは最初「貴族のお嬢様には人相かもしれないけどね」と言っていたが、家を飛び出してから、祖母の異母妹と住んでいた折から、それほど裕福な生活はしてこなかった。
というより、ろくな料理を作れなかったのだ、フランが。
何より、食について、自分はそれほど執着があるわけではない。
腹に入れば何でもよいのである。
ということも、覚えた。
人は飢えさえしなければ、贅沢は望まないのだ。
「そういえば、フラン。子爵家の刺繍はどうなってるの」
「明日には出来そうです」
「なら、別の仕事を入れてもいいかい?」
「勿論です。今度はなんですか」
スープをすすりつつ問いかける。
「今度は男爵家の仕事なんだよ。男爵家といっても、もとは豪商で、爵位をもらった新興貴族だからね。
お貴族様の仕立て屋に門前払いをくらったそうなんだ」
「まあ…ひどい」
これも家を出て知ったことだが、仕立て屋にも、様々なランクがあるのだ。
同じ一の核にお店があっても、貴族が利用するのは大通りにめんした高級店。
フランたちはその大通りから、左右に存在する通りの店。
そこには、大きな溝がある。
フラン自身はマダムの仕立ての技術は、自分が利用してきた貴族専門店と遜色などないし、なにより斬新なデザインは貴族の店にはないものだ。
もったいないこと、この上ない。
なので、時々、マダムは貴族の仕事も受けている。
貴族といっても伯爵以上の高位貴族ではなく、男爵家や子爵家、騎士爵やなどの家が中心だ。
最近、やとたらと貴族の仕事も増えだが…。
「男爵家のお嬢さんが、結婚するので、そのドレスとヴェールの仕立てを受けようかとね」
「マダムはどんなドレスにするのかもう考えているんですか」
「男爵家のお嬢さんは小柄でかわいらしくてね。ドレスにピンクのガーベラを中心にした刺繍を考えているんだけど」
デザイン画を見せてもらって、フランが感嘆の声を上げる。
「素敵です」
「だろ。刺繍できるかい」
「勿論です。こんな素敵なデザインがあるなんて」
うっとりとデザイン画をみつめる。
この男爵家の結婚式が、フランの人生を変えることになるなんて、まったく考えていないフランである。
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