負けられない戦いがそこにある
その日、バンキンス伯爵家は内輪だけの夜会が開催されていた。
招待されていたのは、バンキンス家と付き合いのある商人が中心で、貴族は極一部であった。
貴族を招くとなると、それこそ半年も前から準備が必要だが、
バンキンス伯爵家は年に数回、商人同士の会合をささやかに催している。
なので、朝からバンキンス家は準備で大忙しで、
人の出入りも激しいことから三馬鹿がこっそりと邸に侵入していることは誰も気づく余裕もなかった。
貴族同士の夜会ならば、
社交デビューを終えているフランやリリアンも参加するのだが、
これは商人同士の内輪の会でもあるので、二人は参加しておらず、
不良債権に至っては、部屋から出るなと厳命されている。
完全に後継者候補から外されいることに、アンリスタは静かな怒りを感じている。
前までは長男だ、嫡男だ、跡取りだと持ち上げていた両親は、
姉の肩を持つかのような言動が増えた上、
「お前には、伯爵位もバンキンス商会も継がせない」とまで言われてしまったのだ。
まるで用なしだという態度に、いらだちを隠せない。
簡単に盗めた金庫のお金も、
今では新しい金庫と取り替えられて、鍵ばかりか、
番号も変えられてしまい、遊ぶ金すらないのだ。
そもそも、不良債権は、
まだ、14才であるが、すでに大人顔負けのクズっぷりである。
その屑が類友の馬鹿達を自室に招き入れて、
よからぬ相談をしていたのは、両親がまさに内輪の会を始めた直後で、
邸の使用人達がそちらにかり出され、姉妹達の与えられている棟の侍女達もかり出された頃だった。
「で、お前の姉さんの部屋はどこだよ」
アンリスタは邸の見取り図を三馬鹿に見せる。
どの貴族もそうだが、襲撃や様々な事情から自宅の見取り図は他人に見せるなどありえない。
馬鹿はどこまでも馬鹿である。
「俺の部屋がここ。そして、フランの部屋がここ。リリアンの部屋がここ」
アンリスタの部屋の反対翼を指し示す。
「よし、俺は一番目に行く」
「おれは2番目に」
「じゃあ俺は見張りをして、頃合い見計らってどっちかに行く」
と 下卑た笑みを浮かべる。
アンリスタは屑である。
それは誰の目から見ても明らかだが、人を見る目もない。
幼い頃から一緒にいた侯爵家や伯爵家の嫡男などからは、
鼻つまみ者として省かれて、気がつけば、周囲には同じ年齢の友達は一人もいなかった。
数少ない友人と呼べた友達(同類)も、フランが箒でたたきのめしたため、疎遠になっている。
その矢先に近づいてきたのが、この3人だった。
皆、学園では落ちこぼれな上、実家からも手を焼かれ半ば放り出されつつある馬鹿だ。
年齢はアンリスタより上であって、彼らにしてみればアンリスタはただの金づるだったのだが、
そのことにアンリスタだけが気がついていない。
このときも、アンリスタは姉を脅すくらいの事だと考えていた。
なのに、リリアンの部屋の位置まで聞かれたときには、
軽い違和感はあったのだが、まさか三馬鹿が、
自分の姉二人を襲う計画を、立てていたなどとは知らずにいた。
逆に三馬鹿は、最初から姉妹を襲い、
既成事実をつくって、上手くいけば婿入り、
悪くても傷物にしたことを盾にして、裕福なバンキンス伯爵家から金をせびろうと考えていた。
ルイローゼの言う「屑は屑として成長し、想定通りの行動をするのだ」
そんな事になっているとは露とも思わないフランは、
リリアン相手に、刺繍の図案の相談をしている。
しているのだが、相談と言うより、一方的にフランがはなしているだけだ。
リリアンが先ほど「お姉様の言っている意味がひとつもわかりません。刺繍なんて色の違う糸を通すだけじゃないですか」とつい言ってしまい、
フランの「まあ、なんてことかしら。よく聞きなさい、リリアン」と、
長々と講義が始まってしまったのだ。
お世辞にもリリアンは刺繍が上手な方ではないが、
貴族令嬢としてたしなむくらいには、刺すことは出来るのであって、
姉のような芸術的な作品を仕上げたいとも思っていない。
なので、フランの長々とした含蓄を聞いているうちに、
だんだんと疲れはじめてしまい、
最終的には「ごめんなさい、お姉様。もう許して」と白旗を揚げた。
そこに至ってフランは当初の目的が、
マダムアレクシアンとの刺繍対決でどの図案にしようかと考えていたことを思い出して、
再び、紙に向かう。
いまのフランは、自分のお見合いの進捗具合より、
マダムアレクシアンとの一世一代の大勝負なのだ。
もちろん、お見合いの行方も気にはなるが、
相手はあのグリーンフィールド家、絶対に断ってくると確信している(逆に気に入られているとは想像もしていない)。
そこに認識のずれが生じているが、フランの頭は刺繍の事しかない。
これが巷ではやりの小説ならば、
ローランドはマダムアレクシアンとの愛のために、
フランと白い結婚をして虐げるドアマットヒロインとなるのだろうが、
そのあたりの知識がフランはぼけているので、
「私ったら小説の主人公みたい~」などと思う思考はない。
何を置いても今は、刺繍対決を制しなければならない。
負けられない戦いなのだ、弟子入りのための。
そしてフランはダンスが苦手だ。
その苦手なダンスを人前で披露すると考えただけで、冷や汗が出る。
だからこそ、絶対に負けられない戦いなのだ。
ふたたび、デザイン画のために紙とにらめっこをしているフランの耳に
男の図太い悲鳴が飛び込んできた。
絹を切り裂く悲鳴ではなく、まさしく男の図太い空気を震わす悲鳴だ。
何事かと、部屋からリリアンとともに飛び出ようとしたフランは、
最近、刺繍対決の見届け人として侯爵家から派遣されてきた侍女に待ったをかけられた。
「お嬢様、外は少々騒がしいですが問題ございません」
「でも、もの凄い、音量だったわ…悲鳴だとおもうのだけれど」
侍女の制止をするりと交わして(運動神経が鈍い割には身のこなしが素早い)、
ドアを開けると、そこには予想もしていない人物が立っていた。
思わず、フランは悲鳴を上げかけた。
「ローランド卿…何故、こちらに?」
「いえ、悲鳴が聞こえたもので、駆けつけました」
「いえ、私の悲鳴ではありませんが」
「そうでしたか。これは失礼致しました。実は、本日、お父上にお付き合いのある商会のご紹介を頂くために会合に参加させていただいたので、ご挨拶をと思いまして」
何か腑に落ちないという表情をフランは浮かべるが、ローランドは何事もなかったかのよう笑う。
「……お姉様、今の、普通の悲鳴ではなかった気が」
部屋の奥からひょこりとリリアンが顔を出す。
「そうよね…」
「……ああ、さきほど、参加者の一人が階段で足を滑らせたようです。すでに手当を受けているので心配はありません」
「そうですか…我が家の階段は、祖父をも死に至らしめた代物ですから…」
「……そうでしたか…。私も気をつけねばなりませんね。ところで、あなたが、フランジェール嬢の妹君のリリアンジェール嬢ですね」
それはスマートに、女性受けする笑顔で挨拶をする。
顔で振られたとダメージを受けていた頃とは大違いだ。
一度、標的を決めたら、獲物は逃がさないあたりは、グリーンフィールドの血筋である。
なんといってもフランはローランドにとっては大好きな刺繍のライバルなのだ。
そのライバルたるフランは、またもやローランドの袖の刺繍に釘付けになっている。
そんな姉を押しのけて、リリアンが声をかける。
「ローランド卿にご挨拶申し上げます。妹のリリアンジェールです。お見知りおきください」
そう告げて、リリアンがきれいなカーテシーをする。
これがどこぞの世界では、姉の婚約者が美形であると知ると、
媚びたり、自分の者にするために画策するらしいが、
リリアンは男の顔の善し悪しにはあまり興味は無い。
見目がいいには超したことはないが、
あまりに良すぎる見た目はトラブルの元だと言うのが持論の現実主義者である。
もちろん、姉の婚約者を寝取る趣味もなければ、姉を妬む要素もない。
どちらかというと、身代のでかい家に嫁ぐ姉は、
自ら困難に立ち向かう勇者だと思って、ある意味では尊敬しているいる。
「そういえば、卿はアンリスタの姿をみていないけど、どうしたのかしら。アンリスタも挨拶くらいすべきでしょう」
リリアンが不満顔で近くにいた侍女に探してくるように告げる。
「いいえ、それには及びません。本日は会合に寄らせていただいたので、フランジェール嬢にご挨拶をとおもっただけですので、後日、改めてご挨拶に参ります」
と、こちらも綺麗な礼をする。
「では失礼致します」
「あの!」
フランがローランドの背中を呼び止める。
「階段気をつけてくださいね。祖父を死に至らしめた階段ですから」
ローランドがさり、リリアンが自分の部屋に戻り、
侍女に寝支度されるに至ってからフランはひとりごちる。
「あの子、またろくでもないことをしていなければいいのだけれど」
フランのその予感は、見事に現実となる




