肉食獣からの召喚状
フランはその日、悪夢を観て飛び起きた。
「手紙が追いかけてくる…」
という、それはそれは恐ろしい夢だ。
手紙なんかと思うなかれ。
フランが今見た夢は、手紙に手足が生えていて、
「返事をよこせ」と叫びながらどこまでも追いかけてくる、大変理不尽な夢だったのだ。
うなされ続けて、恐怖で目が覚めれば全身汗だくの気持ち悪さ。
そんな調子で、ここ最近はほぼ毎朝、悪夢で目が覚めている。
朝から気分はどん底である。
公爵家(ルイローゼ邸)で次期侯爵を前に、
失礼にも脱兎のように逃げ帰ってしまったフランは、
自宅に着いてから、両親に打ち明けようかどうしようか散々悩んだあげく、
とりあえずは、急ぎ謝罪の手紙を公爵家と侯爵家に出すことにした。
数日後。
うっかり件の出来事を忘れ始めていたフランに、
公爵家からとどいた一通の手紙はバンキンス伯爵家を、
混乱の坩堝に叩き落とすには十分な威力を備えていた。
公爵家の使いが持ってきた封書は今までとは明らかに違っていた。
重厚な用紙。
裏には公爵家の家紋が蝋印されている正式なものだった。
なので、その段階でフランは「あ…ご立腹ではない」とまずは安堵したのだ。
フランはすでに両親には公爵家での出来事を語っていたので、両親もフラン同様胸をなで下ろした。
しがない伯爵家が侯爵家と公爵家に睨まれたら大変なことになる。
もっともその立派な封書を見て、
フランも両親も夜会の招待状だと勝手に思い込んだのだが、
父が手紙に目を通した後、顔色が瞬時に変わった。
何かを言っているのだろうがどもりまくりでまったく要領を得なかったため、
業を煮やした母が夫から手紙を奪う。
そして、今度は母が震えだした。
要約すると「フラン…い、いつのまに侯爵家のご子息と」である。
さっぱり意味が理解できない。
フランが母から手紙をうけとると、それは招待状ではなかった。
見惚れるほどの美しい文字で綴られていたのは、
「公爵家が媒酌するので、グリーンフィールド家の嫡男とお見合いをせよ」
という召喚状だった。
そこからは阿鼻叫喚が正しい表現かもしれない。
しがない伯爵家の行き遅れの長女に、
あろうことか現状においてはお婿さん候補の筆頭と行っても過言ではない、
名門家からお見合いの打診が届いたのだ。
騒ぐなという方が無理である。
そのうえ、これは打診であるものの事実上の命令であって、
伯爵家からは笑顔で「おことわり」など出来ない。
父は困惑を隠しもせずに、
まず返事を出さなければと頭を悩ませ、
母はまずドレスを作らないとと家令に仕立屋を呼ぶように叫ぶ。
そこに話を聞きつけたリリアンが飛び込んできた。
「お姉様、グリーンフィールド侯爵家のご嫡男とお見合いするって本当ですか」
何度も言うが、リリアンにとっては姉に先に嫁に行かれては困るのだ。
リリアンは夜会で見かけたローランドを思い出す。
スラリとした長身に、バランスのとれた四肢。
涼やかな目元に青い瞳と、薄茶色の髪。
いわゆる美形というカテゴライズに入る人物で、
いつも女性達に囲まれて、うんざりした表情を浮かべる少々気の毒でかなり残念な人だった。
世の中には、姉の婚約者やお見合い相手を横取りして、自分が高位貴族に嫁ぐ妹がいるらしい。
だが、生憎とリリアンはその手のことはお断りしたい。
世の中は、分相応というものがある。
商人や平民、一代限りの騎士爵に嫁ぎたいとは思わない。
貴族として育ってきた以上、同程度の生活水準は維持したいからだ。
けれど、そこに侯爵家という選択肢はない。
身代が大きければ、大きいほど政治的なしがらみが山積し、
なにより、妻の役割も大きくなる。
美しく着飾って夜会や舞踏会に行くのは好きだが、
身代のでかい高位貴族に嫁いで、苦労するのは御免被りたいので、
伯爵家か男爵家あたりに嫁ぎたい。
と、考えるほどの現実的な子なのがリリアンだ。
いかに顔が良くて、家柄もよくて、
全てそろえてる男であろうとも、身代の大きい家の男の嫁なんてなりたくはないので、
姉のお見合いを横取りしようとは欠片も思わない。
だが、姉が婚約者となっていま、嫁がれても困る。
なんでも、世の中には姉の結婚をぶち壊す性格の悪い「悪役令嬢」な妹もいるらしいが、
リリアンはそこまで思っていない。
ただ、姉が先に嫁に行ってしまうと、
不良債権ごと、自分が伯爵位を継ぐ可能性が高くなる。
確かにバンキンス伯爵家は、名門ではないが、古い家柄で、
大富豪ではないが、ドレスを何着も作れるほどには裕福だ。
よって婿養子希望の貴族は探せばいくらでもいるが、
商いをやっている以上、領地経営と並行して商いの手腕もある人物でないと困るというのが、
両親の談だ。
つまり、ある程度裕福で、貴族としても新興ではない、
バンキンス家に婿養子に入りたいというのがいたとしても、
その中から優秀さのある人物を絞り込むのは意外と骨が折れる。
貴族の結婚は政略的な意味合いが多くても、
それなりには幸せに暮らしたいので、リリアンにも好みや希望はあるのだ。
「公爵家の取り持ちではお断りできないではありませんか」と、
叫んだリリアンが何故かその場で泣き出した。
「お姉様、お願いですからお嫁に行かないで…」と懇願しつつ泣く始末だ。
混乱と動乱の坩堝な応接間に、アンリスタまで乱入してきて、
そこはもう外にはお見せできない状態だった。
そして、とうのフランはあの美形とお見合いなんかしたら、絶対に気絶すると思う。
美形だった。
それは間違いない。
けれど、ローランドの顔が今ひとつ思い出せない自分に唖然とした。
何度も思い出そうとするが、脳裏によみがえるのは、彼の袖口の見事な刺繍ばかり。
結局、その後も彼の顔を思い出せないまま数日が過ぎ、
指定された日が近づくにつれて、考えるのが面倒になり、
「ひとまず寝ましょう」と寝台に入るものの、
見事に毎夜、「お見合い」とデカデカと書かれた手紙に追いかけられる夢を見ている。
そして、今日もまた、ため息を吐きつつ目が覚めて、
今日がそのお見合いの日だと気がつくと、軽いめまいに襲われた。
「あ…とうとうこの日が来てしまった…あちらからお断りしてくれないかしら」
などと、フランは考えていたが、
半日後には自分が肉食獣に捕食され、
何故か、マダムアレクシアンと刺繍対決をすることになるとは想像もしていなかった。




