妙な質問
「あなた、お腹が痛いんじゃないですか?」
会社から駅へと向かう帰り道を歩いていると、若い女性からそう声をかけられた。わたしは一日の業務を終えて、ひどく疲れた顔をしていたのかもしれない。だがたしかにお腹は空いていたがまったく痛くはなかったので、わたしは心配してもらったお礼の言葉を添えてそう答えた。しかし女は引き下がることもなく、続いて質問を繰り出してきた。
「でも明日から、どうするつもりなんですか?」
そう言われても、どう答えて良いものかわからなかった。いま現在でさえ腹が痛くはないのだから、明日どうするもこうするもない。このあとで食う物にもよるだろうが、ただ普通に食事を摂って風呂に入って寝るだけで、きっと明日も無事に生きられるはずだ。わたしが首をひねって答えずにいると、女はまた次の質問を投げかけてきた。
「お部屋に綺麗な花を生けると良いとされていますが、花瓶はお持ちですか?」
良いというのはつまり、お腹に良いという意味だろうか? 「良いとされている」と言われても、花を見ることが腹痛に効くという話は聞いたことがない。広い意味でのリラクゼーション効果はあるのかもしれないが、だとしたら花でなくとも良いだろう。それにそもそもわたしはいま腹が痛いわけではないのだから、これ以上お腹に良くしてやる必要はないのだ。
とはいえ、質問はあくまでも花瓶の有無を尋ねるものであったので、わたしは花瓶は持っていないと素直に答えた。それを聞いてうなずいた女が言った。
「お風呂に入るのは、お腹の痛みが治まってからですよ。それはおわかりですよね?」
なぜ女はまだ、わたしが腹痛を抱えていると思い込んでいるのだろうか。わたしが無理をして元気なふりをしていると思っているのか、あるいは彼女にモテようとして格好つけているとでも思っているのか。だがモテようもなにも、声をかけてきたのはあくまでも女のほうであって、わたしがナンパしたわけではないのだ。
わたしは不審に思いながらも、訊かれているのは腹痛時に風呂に入るタイミングについてわかっているのかどうかという質問であったので、わかっていると答えた。
「よく噛んで食べないから、そういうことになるんですよ。わかりましたか?」
女はひょっとするとわたしのことを、子供だと思っているのかもしれなかった。だがスーツを着て白髪混じりのわたしを、子供と見間違える人間がいるはずはなかった。しかしここで「はい」とさえ答えればようやく解放される文脈になっていることを感じ取ったわたしは、面倒な反論はせずに「はい」と口にしようとした。
ところがわたしはその言葉を口にする前に、脇腹に刺すような痛みを感じてその場にうずくまってしまった。なんの気配もなく腹痛を感じたのは、生まれて初めてのことであったかもしれない。わたしはいまこそ女の助けが必要だと思い、冷や汗を流しながら顔を上げた。
しかし女の姿は、もうどこにも見当たらなかった。わたしの両脇を、家路を急ぐ人々がイヤホンで耳を塞いだまま、無言で足早に通りすぎてゆく。目が覚めるとわたしは病院のベッドにいて、そのサイドテーブルの上には空っぽの花瓶が置かれていた。ここに美しい花があると気が休まると思った。