イレズミドレスアップチューン③
「ワレェ、コラっ、離さんかい!
……彫りモンなんぞいらんわい!!」
イテマウドンの怒声が響く。
「あァ?テメェ、モンモンも入ってねぇ雑魚がイキがってんじゃねぇぞコラぁ!
……有難てぇ話じゃろうがい。ウチの兄貴が墨を入れて筋通しちゃるんじゃい。
でっけぇ声でありがとうございます言わんかいボケェ!」
そしてその右手を、まさとし君のクーラーボックスから出てきたゴクツブシがガッチリと押さえる。
百貫デブの豚に押さえつけられ、イテマウドンは身動きが取れない。
「ホンマ、羨ましい限りですわ。
そないな立派な太鼓腹、遠慮して龍なんて細長いヤツ入れんでも、面積活かして豚でも彫られたらええのんとちゃいますか?
いや〜、ワシみたいな凡人、腹の面積が足らんのが悩みですさかいに、あんさんホンマ、恵まれてますなぁ。」
左手は同じくまさとし君のクーラーボックスから這い出してきたヨロシオスが押さえる。
こちらはゴクツブシほどのガタイはないが、その属性を象徴するように、陰湿に関節を極めて身動きを取れなくする。
「テメェらあとで覚えとけよ!
この野郎、タダで済むと思うんじゃねぇぞコラァ!」
イテマウドンは二体の拘束を振り解こうと身を捩る。
「我慢してイテマウドン!かっこよくしてもらうんでしょ!
……それじゃ、お願いね。まさとし君。」
まさとし君は顔を引き締め、軽く頷く。
「行けッ!アルチュウ!イテマウドンをかっこよくするんだ!」
アルチュウは、ぬらりと前に出る。
「まずは……消毒じゃのォ。」
酒が入り、虚な目をしたアルチュウが、徳利に口をつける。
「やめんかいコラァ!テメェの口に入った酒なんぞ噴きかけよったら、首根っこ引っこ抜いてブチ殺すぞワレェ!」
イテマウドンは噛み付かんばかりにアルチュウを罵倒する。
それを聞いたアルチュウは、眉間に青筋を立てるとイテマウドンを怒鳴りつける。
「やかましいわいオラァ!男なら肚ぁ決めて、ガタガタ抜かしてねぇでどかっと腰を据えんかいこのヘタレがぁッ!
……酒がイヤなら、これでも食いやがれボケぇ!」
するとアルチュウはイテマウドンに狙いをつけ、勢いよく放尿する。
「ワレぇ!何さらすんじゃい!」
腹にビチビチと小便を浴びながら、イテマウドンは激昂する。
その様子をじっと見つめる洞括斎。ぽつりと呟く。
「……なるほど。消毒は甘えであったか。ワシもまだ未熟よのォ……。」
焼酎を吹き付けることによる身の清め。それは、施術後の感染症等を防ぐためのものだ。
しかし、彫り物を入れる行為は、渡世人として生きる覚悟を表す、ヤクザの成人の儀式のようなもの。
黴菌ごときに打ち克てぬものが、己に打ち克つことはできぬ。
清めの酒で黴菌を殺してやることは、心に甘えを植え付ける。
小便で身体を穢し、黴菌との戦いの中で己を磨かせてこそ、ヤクザとして大成する。
……その覚悟が、あの小さな生き物の魅せた魂を揺さぶるような彫り物に込められた想いだと言うのか。
洞括斎は、勝手にそう解釈した。
放尿を終え、金玉をプルプル震わせたアルチュウは、針を手に取り、イテマウドンににじり寄る。
ゴクツブシとヨロシオスは、イテマウドンの腕を押さえる手に力を込める。
「ほな、いっちょ、男前にしたろやないかい。」
アルチュウは徳利の酒を一口含む。アルチュウの眼が据わる。
針が、イテマウドンの腹をなぞる。そして、針先が皮膚に沈み込む。
「だーッ!痛ってェなコラァ!
何さらしとんじゃい下手糞がぁッ!
……ほへ?」
悪態を突くイテマウドン。その刹那、アルチュウの輪郭が青白く輝き、幾重にも重なりあって見えた。
一瞬後に、見事な龍の彫り物が彫りあがっていた。
「なん……だと?
『真空波動彫り』だというのかッ!?」
洞括斎は、カッと目を見開き、信じられないものを見たかのようにガタガタと震えている。
──この世界にあるおおよそ全てのものは、まやかしである。
実体というものは悉く幻であり、結局はこの世の全てのものは量子の波動である……これは現代の量子力学の基本的な立場である。
この量子の世界では、全ての事象は重なり合って存在しうる。
そう、脇下に入れた針、腹のど真ん中に入れた針、金玉に打ち込んだ針……すべてが、起こり得た事象であり、観測によってその結果が確定する。
ならば、この『観測』を、驚異的な精神力を以て、『すべて重なりあった状態そのもの』として観測し、その結果を確定させたらどうなるか……。
これこそが、1000年の歴史を持つ和彫りの究極奥義、『真空波動彫り』である。
針の一刺しは、その体の何処にでも入った可能性がある。
その可能性の『全て』を精神力を以て確定させることで、彫り物は一瞬で仕上がるのだ。
膝をつく洞括斎。
「し、信じられん……。
あの伝説の彫師、芭統仙の書は、後世の弟子による脚色だとばかり思っていたが、あの技法、実在したのかッ!
ワシは……ワシは、今まで、一体何を追ってきたというんじゃッ!」
洞括斎の慟哭が、部屋にこだまする。
「うわーっ、すごいや!かっこいい!ありがとう、まさとし君。アルチュウ。
よかったね、イテマウドン!」
立派なモンモンが入り、惚けたような顔をしながらも満更でもなさそうなイテマウドンに、しげはる君は大はしゃぎだ。
……なるほど、ワシは少し、自惚れておったようじゃ。ゼニというものに囚われ過ぎておったわ。
洞括斎は、見違えたような迫力を纏ったイテマウドンに歓喜の声をあげているしげはる君を見ながら、修行時代を振り返る。
墨鬼・京伯に弟子入りした日。手のつけられない不良で、親にも見放されて部屋住みに居着いた組事務所。そこを訪れた京伯の技法に、目を奪われた。
自分はあの日、兄貴分の背中に彫られた不動明王に純粋に惚れ込み、あれを超える彫り物を、正当に評価してくれる人の背に入れることのみを目標としていたはずだ。
いつしか自分も墨鬼と呼ばれるようになり、数知れぬ渡世人の背に、注文に忠実に墨を入れてきたが、その過程で当初の純粋な目標は、名声を高めて効率的にゼニを稼ぐと言うものにすり替わっていた。
……いやはや、ゼニというものは恐ろしいのォ。いや、恐ろしいのはゼニではなく、己の心の弱さか。
洞括斎は立ち上がると、作務衣を脱ぎ捨て、褌一つになる。
師である京伯に彫ってもらった不動明王の、厳しく力強くも、気位と慈悲の滲み出る、迫力ある立ち姿が堂々とさらけ出される。
洞括斎は道具箱から針と墨を取り出すと、自らの胸にあてがい、目を閉じて集中する。
呆気にとられるまさとし君達の視線を受けながら、呼吸を整える。
柱時計がカチリと鳴ったその刹那、洞括斎の手が青白く輝き、幾重にも重なり合ったように見えた。
そして、その胸に、力強い行書体の『信』の文字が現れた。
墨鬼・洞括斎は、信墨鬼として覚醒した。
「ありがとうよ、坊ちゃん方。
ええモンを見せてもろた。お陰でワシも、目が覚めたわい。
……どら、礼というわけではないがのォ。まだ墨の入っていない、そのちっこい生き物を連れて来んさいや。
ワシが一人前の男にさしたるけぇ。」
その言葉に、馬鹿でかい態度で今までイテマウドンを押さえつけていた暴言結晶ズは、ビクリと身を震わせると、クーラーボックスにコソコソと歩いてゆく。
その首根っこを、イテマウドンがガッチリと押さえる。
「ワレェ、良かったやないかいコラァ。
おどれらも立派なモンモン入れてもろて、一人前の男にしてもらえるやろがい。おォ?」




