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水からの暴言  作者: 叡愛禅師
ボウゲンジム所攻略③
33/56

狂気系のボウゲン④

バイショックスは、先ほど叩き割ったジョッキの破片の上に腰を下ろしているイカレヴィシャスに躙り寄る。

「あ〜、痛ってぇ!

……ワレぇコラぁ!テメェ、意味も無くコップ叩き割りよるけぇ、破片が足に刺さったやろがい!

どう落とし前つけるんじゃいボケェ!あァ?頭地面に擦り付けて詫びいれんかいコラァ!

一丁前に座っとらんで、羊羹の一つも持って来いやァっ!!」

バイショックスの足元に、代紋魔法陣が浮かび上がる。

バイショックスの、脅迫系とは方向性の違う『いんねんをつける』口撃が炸裂する。

代紋魔法陣の黄色い光が、小便色に透き通ったバイショックスの巨体を際立たせる。


「バイショックスは『被害者系』のボウゲンじゃ。

相手の責による被害を訴え、謝罪と賠償を要求するのが基本戦略じゃ。

……今のは上手いのぉ。はて、イカレヴィシャスはどう反撃するか、見ものよのぉ。」

ボウゲン博士は、まるで珍しい昆虫を観察するような目でバトルの行く末を見守りながら、解説する。


──『被害者系』の口撃において、自分がどれだけの被害を受けたのかということは問題にならない。

それどころか、実際に被害を受けたかどうかすら問題にならない。

必要なのは、相手の些細な落ち度も見逃さない粘着質とも言える観察眼と、詭弁の組み立て方、そしてそれに説得力を持たせる勢いとテンポ、空気感だ。

バイショックスの最初の一撃は、被害者系ボウゲンの理想系に近い、完璧な滑り出しだ。


「今の絶対バイキン入りよったで!

医療費どうするんじゃいコラァ!ワシの人生どうしてくれんじゃ!」

そして追撃のスキル『被害の過大化』で事を大きくする。

目まぐるしく点滅する代紋魔法陣に照らされながら、まるでこの世の終わりを目にしたかのような剣幕で暴言を詠唱するバイショックス。相手への圧力は十分だ。


「いいぞ、バイショックス!間髪入れずにやれっ!勝てるぞっ!」

しげはるくんは、バイショックスの快進撃に歓声を上げる。


「コラぁ、腑抜けてんじゃねぇぞイカレヴィシャス、テメェ!

何か言うてやらんかい!」

草野組長も、ボウゲン顔負けの剣幕でイカレヴィシャスに声援を送る。

しかし、その顔は生き生きとして活力に満ちている。

長く続けた渡世稼業により荒んだ心。それが洗われ、童心に帰っていくような気分を、草野組長は味わっていた。


イカレヴィシャスは無言で立ち上がると、砕けたガラスの破片を拾う。

そしてそれを自分の胸に押し当てると、『喧嘩上等』と彫り込む。

「あァ?ワレ、ガラス片でケガしよったんか。

……んで、それがどうしたとや?おォ?」

傷跡から、液体に戻った小便が血のように滴り落ちる。

そして足元の代紋魔法陣が、周囲の光を吸収するかの如く、ドス黒い闇を放つ。

おどろおどろしい黒い炎のような物が立ち昇り、イカレヴィシャスの姿を霞ませる。


「ハ……ハハッ……。コイツ、クレイジーじゃ。」

バイショックスはドン引きして後ずさる。

その額から、一筋の小便が滴り落ちる。


「あれこそ、狂気系の神髄。……相手が積み上げてきた論理を、この世界の常識とは全く別体系の常識をぶつけ、突き崩す。相手は、会話が通じんだけじゃ済まん。恐怖すら感じるんじゃ。

ところで、しげはるゥ。なぜヤクザが恐ろしいか分かるか?

……その思考が、常人と同じスケールの上に無いからじゃ。」

言い終わると、ボウゲン博士は水割りのグラスに口を付ける。


──『馬鹿でなれず、利口でなれず、中途半端で尚なれない。』

これは、ヤクザ世界に伝わる、ヤクザの適性を端的に表したものだ。

通常、知性は、馬鹿から利口までを数値化した数直線上で表すことが出来る。

しかし、馬鹿でも利口でもその中間でも、ヤクザにはなれないという。

……そう、ヤクザの知性は、実数の数直線上には存在しない。虚数軸を加えた、複素数平面上にある。


だから常人は、実数の知性から生み出された口撃と、複素数の知性から生み出された口撃の大小を比較することはできない。常人が実数の知性の尺度で理解しようとすれば、その思考は定義域の外へ弾き飛ばされる。

……そして、理解できないものを恐れるのは、生物としての本能だ。


一方の狂人は、実数の知性から生み出された口撃を理解することは可能だ。複素数平面は実数を内包するからだ。だが、理解はしても、実数の知性で思考する常人と同じ土俵では評価しない。

彼らの世界では、実数の論理など、虚数成分を欠いた、覚悟の足りない世迷言にすぎない。


狂気系のボウゲンは、常軌を逸した理解により、相手の論理を根本から無効化する。

言葉は届かず、意味は過小評価されナメられる。


そして次の瞬間、その常軌を逸した言動が、理解不能という名の恐怖となって相手の心を折り砕く。


……これが、狂気系の基本戦術だ。


バイショックスの足がガタガタ震えている。

しかし、そこはしげはる君のボウゲンだ。自らに気合を入れ、立ち直る。

弱々しく、消え入るような光を明滅させていた代紋魔法陣は、バイショックスが自らの頬を張り、気合を入れ直すと再び煌々とした黄色い光を輝かせ始めた。

そしてそこから、バチバチと稲妻のような物が立ち昇る。

バイショックスはクルリと回れ右して、イカレヴィシャスに背を向けると、「負けるな、バイショックス!」と声援を飛ばすしげはる君や、その後ろでバトルを見守るまさとし君、そしてボウゲン博士や草野組長を見渡し、金切り声を上げる。


「なァ、見てくれやマスターさん方ァ!

あの外道、ワシの足にガラスをおっ立てて、こがぁ瀕死の重傷を負わせておきながら、加害の歴史を直視しねぇで筋の通らん事を抜かしよるんは、アンタらも聞いたじゃろう!

こりゃあ重大な人権侵害じゃ!こがぁ蛮行が許されるようじゃ、この国もお終いじゃろうて!のォ?」

背後に雷鳴を轟かせながら同意を求めるバイショックス。

しげはる君は、ずっこけそうになる。


「フム、これは被害者系と人権派暴言の複合スキル、『同志を呼ぶ』じゃのォ。

じゃけんど、呂敬統会の公式ルールでは、トレーナーからの直接口撃はご法度じゃ。

ここは公式のジム所じゃけぇのぉ。」

ボウゲン博士が、イエローカードを出す。


「ぐ、ぐぬぅ……。」

バイショックスには、返す言葉がない。

『同志を呼ぶ』は、外野に被害者アピールをして同調イデオロギーを生み出し、数の暴力で相手を糾弾する被害者系の究極奥義だ。

しかし、公式大会は一対一のタイマンがルール。マスターに許されることは、声援を送るだけだ。

バイショックスの口撃は、不発に終わる。


そして……この口撃には、失敗時の反動ダメージがある。

バイショックスはもはや、あと一撃で沈むほどの、瀕死の状態だ。

その背後に、代紋魔法陣から禍々しい闇の炎を立ち昇らせながら、イカレヴィシャスがゆっくりと歩み寄る。


「何じゃいワレ、慰めてもらおうとマスターに泣きついたら見放されよったんかい?

……しょうがないのぉ、ワシが一肌脱いじゃろうやないかい。」

イカレヴィシャスは、どこを見ているのか分からない虚ろな目で虚空を見据えながら、バイショックスに話しかける。

バイショックスはピクリと背筋を伸ばし、そしてガタガタ震えながらゆっくりと振り返る。

ピッタリとバイショックスの背後に張り付くように立っていたイカレヴィシャス。

……その手には、大きめのガラス片が握られている。

鋭く尖った破片が、蛍光灯の光を反射する。


イカレヴィシャスは、その破片を大きく振り上げる。

「オラァアッ!コレでも喰らいやがれボケェっ!!」

バイショックスはヘナヘナとへたり込み、目を閉じる。

「バイショックス!!」

しげはる君は自分のボウゲンの名前を叫ぶ。


バシャバシャという、バイショックスの身体が溶けて小便に戻り机に垂れる音と、それと同時に、ガラスの割れるけたたましい音が響く。


「……ありゃ?」

死を覚悟したバイショックスが、恐る恐る目を開ける。

目の前には、ガラスの破片で至る所に傷をつけたイカレヴィシャスが立っている。

切り傷から、ドクドクと脈打ちながら、液体に戻った小便が噴き出ている。

そしてイカレヴィシャスが自分の頭で叩き割ったガラスの破片が、バイショックスの周りに散らばっている。


「ほれ、そこに散っとるガラスを踏んづけるか、その上で転がって大怪我でもしたれ。

そうすりゃおどれのマスターも心配になって声くらいはかけてくれるじゃろうて。」

そう言うとイカレヴィシャスは、興味を失ったように元座っていたガラスの破片のところに戻り、腰を下ろす。


「……だ、だめじゃぁ!こがぁサイコパス、相手にしてられんわい……」

泣きべそをかきながら、バイショックスはすごすごとクーラーボックスに帰っていく。

バイショックスがへたり込んでいた部分には、小便の水たまりができていた。


「あちゃ〜……。さっすがジム所のリーダーだ。……強いなぁ。」

しげはる君の落胆したような声が響く。

「うおっしゃい!よう勝ったのぉ、イカレヴィシャスぅ!

……しっかし坊ちゃん、若けぇのに大したもんじゃ!

ところで、大きくなったら何になりたいんじゃ?……ヤクザはええぞ?」


しげはる君を組に勧誘しようとした草野組長の口を押さえながら、ボウゲン博士は宣言する。

「ウム、勝者、草野!

……残念じゃったのぉ、しげはるゥ。また今度、挑戦しにこいや。」

ボウゲン博士の厳かな声が響く。


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