夢と暴言の世界②
「ねえ、しげはる君。アレ、やってみた?どうだった?」
次の日学校に行くと、開口一番しげはる君に声をかけた。
……彼もまたあの結晶に心を奪われていたように見えた。絶対何かやっているはずだ。
「あ、おはようまさとし君。……ダメだったよ。」
しげはる君も同じように、冷凍庫に罵声を浴びせて水を凍らせる実験をしていたようだ。
しかし、結果はまさとし君と同じ。
出来上がったのはただの四角い氷。結局お父さんがお酒に入れて飲んでしまったという。
「どうすればいいんだろうね。……ねえ、放課後に一緒にやってみよう?」
放課後、しげはる君の家で再現実験をする約束をして、まさとし君はその日の授業を消化した。
「おじゃましまーす。」
放課後、しげはる君の家に上がったまさとし君は、早速二人で冷凍庫のところに行く。
「まさとし君、これ見て!おじいちゃんの部屋から持ってきた!」
しげはる君の手には、『実話 渡世の掟』という雑誌が握られている。
表紙には、サングラスをかけたパンチパーマの怖いおじさんの写真がある。
「これ、すごいんだよ。……ほら、このページ!」
しげはる君の開いたページには、目を覆いたくなるような汚い言葉が溢れかえっていた。
「それじゃ、いくよ。」
しげはる君が掛け声をかける。
『ワレェ!ドタマぁカチ割ったろかい、コラぁ!』
二人の声がしげはる君の家にこだまする。
その時、キッチンの扉が力一杯ガラガラと引かれ、バンッと音を立てる。
「何じゃいコラァ!カチコミか?ワレぇ、どこの組のモンじゃい!!」
そして、ビリビリとガラスを震わせるほどの、大音声の怒鳴り声が轟き渡る。
漆黒のスーツに、濃い紫色のシャツ。
深い皺の刻まれた顔には、鋭い目。頬には、深い傷跡がある。
首筋には、おそらく全身を覆っているであろう彫り物の一部がシャツの襟から飛び出している。
──そこには、しげはる君の持ってきた雑誌から出てきたかのような、怖い男の人がこめかみに青筋を浮き立たせ、肩をいからせて立っていた。
****************************************************
「ブオーーーーン」
まさとし君は、しげはる君に借りたドライヤーでズボンを乾かしている。
さっきの怖い男の人は、しげはる君のお爺さんなのだという。
その風貌と声の、あまりの恐ろしさにまさとし君は小便を漏らした。
「悪いな、坊ちゃん。怖がらてしもうたか。
で、おどれら一体どうしてあがぁ汚え言葉を、よりによって冷凍庫の中に叫んどったんじゃい?」
しげはる君は、今までのいきさつを説明する。
「ガハハハ、面白い事を考えよったのぉ!
気に入ったで、ワレら。
……そりゃぁ、何ができるか、やってみなけりゃ分からんけぇの。」
しげはる君のお爺さん──大木翁は豪快に笑ってみせる。
しげはる君の苗字は、大木だ。
「ほじゃ、おどれら。ちいとヤクザ映画でも見てくか?
実験の参考くらいには、なるじゃろうて。」
まさとし君としげはる君は、大木翁の部屋に通される。
大理石張の床にはペルシャ絨毯が敷かれ、そこには大理石の長机。
作りの良い黒いソファが設えてある。
飾り気のない殺風景な部屋の壁には、羽織袴に身を包んだ大木翁の写真と、恐ろしく達筆な「信」の筆毫。
部屋の隅には一振りの日本刀と、鎧兜が飾られている。
落ち着かない……。
その仕立ての良いソファーの隅に縮こまっているまさとし君の目の前の大型テレビには、派手なスーツに身を包んだ極道者が映っており、罵詈雑言を飛ばしている。
『舐めくさりやがって!ウチの代紋に手ェ出して、タダで済む思とんのか、このド三下がぁッ!!』
紫色のスーツの男がドスの聞いた声で啖呵を切る。
『アぁ?何じゃいこのアホンダラァ!鉛弾ぁ体に入れたろかい、ボケェ!!」
サングラスの茶色い柄シャツの男がシャツを脱ぎ捨て、刺青を見せて威嚇する。
大木翁と見るヤクザ映画。そこでは、この世のものとは思えない、地獄のようなおぞましさの汚い言葉が交わされていた。
「ああ、『代紋なき戦い』はいつ見てもええのぉ。五臓六腑に染み渡るわい。
ヤクザ映画の金字塔よ。おどれらもよう見とけや。」
大木翁はとても満足気だ。
『ワレぇ、このアル中がぁッ!脳ミソまで焼酎で煮えとんのか、オラァ!!』
画面の中のヤクザが怒鳴り声をあげる。
まさとし君はその言葉が気になった。
「お爺さん……あの、『アル中』って何?」
まさとし君はおそるおそる大木翁に聞く。
「ほう、それが気に入ったか。これはのォ、直接的な意味は『酒呑まなやってられん奴』っちゅう意味なんじゃが、ここでは相手の尊厳を貶める、『侮辱系暴言』として機能しておるわ。
暴言にも色々タイプがあっての、タイプごとの相性を考えながら使う暴言を選ぶのがポイントなんじゃけぇ。」
役に立つのか立たないのかわからない説明がついてきたが、ひとまず単語の意味はわかった。
アル中……アル中か。
まさとし君は心の中でこの暴言を反芻した。
****************************************************
家に帰ってきたまさとし君は、トイレでコップを構えている。
竿の先をコップに入れ、こぼさないように小便を受け止める。
お母さんに見つかったら叱られるでは済まされない。
隠密行動が必要だ。
大木翁とヤクザ映画を見終わった後、まさとし君はしげはる君と作戦会議をした。
かける言葉が汚いのだから、凍らせる水も汚い方が成功率が上がるだろうと。
そこで二人は、ただの水ではなく、小便を凍らせることにしたのだ。
コップを後ろ手に隠し、忍足で冷凍庫に近づく。
お母さんは今、キッチンにはいない。
──かける暴言は決めてある。
あとは、タイミングだけだ。掃除機のスイッチを入れるか、昼寝をするか、あるいは外に出かけるか。
実行に移してもお母さんにバレないタイミングを、慎重にうかがう。
「それじゃまさとし。お母さん、お買い物行ってくるから。お留守番、お願いね。」
絶好のチャンスが訪れた。
これなら、どれだけ大声を出しても怒られることはない。
まさとし君は冷凍庫の奥にコップを入れると、ドスの聞いた声で啖呵を切った。
「ワレぇ、このアル中がぁッ!脳ミソまで焼酎で煮えとんのかい、オラァ!!」
****************************************************
翌日。
いつもより早めに目が覚めたまさとし君は、冷凍庫目掛けて駆け寄った。
昨日はあれだけの暴言をブチ込んだのだ。まさとし君は期待と共にキッチンのドアに手をかける。
──そして、手を止める。
何だろう、あの音?
まだ誰もいないはずのキッチンから、物音が聞こえる。
「ガタガタガタ……われぇ、あるちゅう。ガタガタガタ……われぇ、あるちゅう。」
まさとし君は、唾をごくりと飲み込む。
これは……やったのか?
期待に心をときめかせながら、キッチンのドアを開く。
──冷凍庫の引き出しが、ガタガタと揺れている。
冷凍庫の扉に駆け寄ると、力一杯、それを開け放つ。
すると……そこには、設樂焼の狸の置物ような、黄色い氷の結晶がバタバタと動き回っていた。
しかし、可愛らしさのような物は一切感じられない。
くりくりとした愛らしい目の代わりに、刺すような視線の殺気の籠った細い目。
ぽっちゃりとした丸い身体の代わりに、ゴリゴリとした筋肉質なシックスパック。
頭頂部には、笠のように、ハリネズミのような細い棘がびっしりと生えている。
共通点は腰からぶら下がった酒の徳利と、やたらと大きな金玉位だ。
この結晶がコップから飛び出す際にこぼれたであろうまさとし君の小便が、冷凍食品にこびりついて凍っている。
「あン?何じゃいコラァ、ワシに用があんのかい?おォ?
そんなんより暑すぎるわい。用がないなら、さっさと扉閉めとかんかい、ボケぇ!」
この結晶、やたらと口が悪い。
「あの、たぶん君、僕のおしっこだよ?」
あの力強い『ヤクザの代紋』みたいな結晶をイメージしていたまさとし君の期待とは異なったが、これはこれでアリだ。
「僕はまさとし。君は?」
金玉の大きな狸のような結晶は答える。
「ほうか、アンタがわしのマスターかいな。ま、よろしく頼むわ。
わしゃ、『アルチュウ』じゃ。
ほな、夢と暴言の世界に、レッツゴーじゃいコラァ!」




