第9話 私、どうすればいい!?
普通の大学生、伊織美鈴が、ラジオのお仕事に巻き込まれていきます(笑)
テレビに比べて極めて少人数で制作されているのがラジオ番組です。
その現場は数々の苦労にまみれていますが、それ以上に楽しさにも溢れています。
そんな雰囲気が伝わるといいなと、書き進めていきますのでよろしくお願いします!
毎週水曜日更新予定です。
けたたましく鳴り響いていた松島の携帯電話が、通話ボタンを押したことで沈黙する。スピーカーから漏れ聞こえてくる、わずかに切迫した声色から、相手がただ事ではない状況を察しているのが分かった。デスク室の空気は張り詰め、美鈴も木村も、固唾を飲んで松島の会話に耳を澄ませていた。
「お疲れ様です、FMアキバの松島です。……はい、夜分に申し訳ありません。実は……」
松島は、努めて冷静な声で、発見された盗聴器と脅迫めいたメモについて、山梨カナのマネージャーである田中へと説明していく。時折、「はい」「ええ」と相槌を打つ彼の額には、脂汗が滲んでいた。数分に感じられた長い通話が終わり、松島は深く、重いため息をついて携帯電話を下ろした。
「……マネージャーの田中さん、ひとまず落ち着いてはくれました。ですが、当然、相当なショックを受けておられる」
「山梨さんご本人は……?」
牧原が静かに尋ねる。その問いに、松島は一度言葉を切り、悔しそうに唇を噛んだ。
「電話口で、カナさん本人の声も聞こえました。……相当おびえている様子で……当然です。ただ……それでも彼女は、『明日の放送は、やりたい』と。そう言っている、と」
「なんと……」
牧原が呻くように言った。美鈴は胸が締め付けられるような思いだった。顔も知らない犯人からの悪意に晒され、恐怖に震えているはずの彼女が、それでもマイクの前に立とうとしている。そのプロとしての矜持に、美鈴は畏敬の念すら覚えた。
「事務所としては、我々が万全の安全対策を講じることを絶対条件に、放送の許可を出すとのことです。ただし、少しでも危険が及ぶと判断されれば、その瞬間に番組はストップ。……我々の責任は、とてつもなく重い」
松島の言葉が、ずしりとその場にいた全員の肩にのしかかる。その重圧に耐えかねたように、木村が震える声で言った。
「そ、そんなの無茶ですよ! 放送なんて中止すべきです! もし、山梨さんに何かあったら……!」
「木村ちゃんの言うことにも一理ある」
牧原が静かに同意する。しかし、彼の目は挑戦的な光を失ってはいなかった。
「せやけどな、ここで逃げたら、俺らは負けや。犯人の思う壺やで。ラジオはな、リスナーに声を届けるのが仕事や。顔も分からん卑劣な脅しに、負けたらアカン……そう思わへんか? それに……山梨さん自身が、戦おうとしとるんや」
その時、デスク室のドアがノックされ、制服姿の警察官が二人、厳しい表情で入ってきた。松島が事前に連絡を入れていたのだろう。
「深夜に失礼します。南署の者です。通報のあった件で……」
そこから先は、テレビドラマでしか見たことのない光景が繰り広げられた。鑑識官と思われる警察官とはまた違った制服の警官も合流し、デスクの上のクマのぬいぐるみとメモは、慎重に証拠品袋に収められていく。指紋採取のために、デスク周りには特殊な粉が撒かれ、美鈴や木村、牧原、松島は、それぞれ別々に事情聴取を受けることになった。
「このクマのぬいぐるみを受け取った時の状況を、詳しく教えてください」
年配の刑事からの質問に、美鈴は必死に記憶を呼び起こして答えた。送り状の宛名、差出人の名前、配達員の様子。しかし、どれもこれも日常業務の中に埋もれた、ありふれた情報でしかない。自分の無力さが、歯がゆかった。
聴取が一段落し、元のデスク室に戻ると、そこには見慣れない女性が一人、松島と牧原と並んで立っていた。黒いパンツスーツを着こなし、短く切り揃えられた髪が知的な印象を与える、三十代半ばほどの女性。彼女こそ、明日の放送を担当する放送作家、加賀美京子だった。
「――つまり、犯人は盗聴によって得た情報で、生放送中にカナちゃんを精神的に追い詰める計画、と見るのが妥当ね」
加賀美は、腕を組んだまま冷静に分析する。彼女の顔に恐怖の色はない。むしろ、厄介なパズルを前にした時のような、鋭い思考の色が浮かんでいた。
「それだけやないかもしれんで、加賀美さん。メモの文面からは、もっと直接的な行動も読み取れる」
「そうね……だから、局内の警備強化は必須。スタジオに入る人間は、事前登録したスタッフと警備員のみに限定。もちろん、手荷物検査も徹底する」
松島が頷く。
「スタジオ内の事前チェックも、警察に依頼しました。爆発物や、別の盗聴器が仕掛けられていないか、徹底的に調べてもらう手筈です」
「台本も、今から全面的に見直しましょう」
加賀美がノートパソコンを開きながら言った。
「リスナーからのメールも、私が全て目を通します。少しでも怪しいものは、絶対にスタジオには入れない。電話も、牧原さんと私で二重にチェックする体制を敷きましょう。犯人が接触してくるあらゆる可能性を、一つずつ潰していきたい」
次々と立てられていく具体的な対策。それは、恐怖に竦むのではなく、プロとしてこの事態に立ち向かうという強い意志の表れだった。美鈴は、ただ圧倒されるばかりだった。自分にできることは、このプロたちの邪魔をしないことだけだろうか。そんな無力感が胸をよぎる。
会議は深夜まで続いた。局の上層部からは、やはり中止すべきだという強い圧力があったが、松島と牧原、そして加賀美が、具体的な安全対策と、何より「脅しに屈するわけにはいかない」という気迫で押し切った。最終的に、厳戒態勢での生放送が決行されることになった。
すっかり静まり返ったデスク室で、美鈴は後片付けをしていた。警察の現場検証も終わり、あとは生放送の準備を待つだけだ。床に落ちていた、クマのぬいぐるみが入っていた段ボール箱を畳もうとした時、ふと、そこに貼られた送り状が目に留まった。警察が一度確認したものだが、なぜか妙に気になった。
(この字……)
差出人として書かれた偽名は、明らかに震える文字で書かれたメモとは筆跡が違う。それは、定規で引いたかのように真っ直ぐで、一つ一つのハネやトメが、まるで印刷された活字のように正確だった。
(すごく……丁寧な字。几帳面、というか……)
不気味な犯人像とは、どこか結びつかない、折り目正しい筆跡。その違和感が、美鈴の心に小さな棘のように引っかかった。
「伊織ちゃん、まだおったんか」
声のする方を見ると、缶コーヒーを手にした牧原が立っていた。その顔には、さすがに疲労の色が浮かんでいる。
「お疲れ様です。……あの、牧原さん」
「ん?」
「私、何もできなくて……。足手まといになっているだけな気がして……」
俯く美鈴に、牧原はふっと息を吐き、隣に腰を下ろした。
「アホなこと言うな。あんたがクマのおかしさに気付かんかったら、あのメモも見つからんままやったかもしれんのやで。立派なファインプレーや」
「でも……」
「怖いやろうけどな、こういう修羅場も、ええ経験になる。しっかり目ぇ開けて、周りをよう見とき。お前さんみたいな、まだ何の色にも染まっとらん目やからこそ、俺らベテランが見過ごすもんに気付くこともある」
牧原はそう言うと、美鈴の頭を大きな手でわしわしと撫でた。不器用な、けれど温かい励ましだった。
「……はい」
美鈴は顔を上げ、力強く頷いた。自分にできることがあるかもしれない。そう信じようと思った。
窓の外が、わずかに白み始めている。長い夜が明け、決戦の朝が訪れようとしていた。デスクの一角に置かれたラジオから、午前五時を告げる時報が流れる。
牧原が、まるで自分に言い聞かせるように、低く呟いた。
「さあ、戦争の始まりや」
その声は、これから始まるであろう激しい攻防を前にした、一人のラジオマンの静かな宣戦布告のように、暁のオフィスに響き渡った。
ますます怪しい展開に突入しました!
あ、そうそう、今回のお話も私が体験した実話を元に構成しています(笑)