第8話 クマの真実
普通の大学生、伊織美鈴が、ラジオのお仕事に巻き込まれていきます(笑)
テレビに比べて極めて少人数で制作されているのがラジオ番組です。
その現場は数々の苦労にまみれていますが、それ以上に楽しさにも溢れています。
そんな雰囲気が伝わるといいなと、書き進めていきますのでよろしくお願いします!
毎週水曜日更新予定です。
「ええーっ!?」
美鈴と木村が、揃って大声を上げた。静まり返っていた番組デスク室に、二人の悲鳴が甲高く響き渡る。木村は腰が抜けたようにその場にへたり込み、美鈴はあんぐりと口を開けたまま、牧原の手の中にある黒い物体から目が離せないでいた。
「ちょ、ちょ、盗聴器って……本物ですか、それ?」
かろうじて絞り出した美鈴の声は、わずかに震えていた。当の牧原は、まるで珍しい昆虫でも見つけたかのように、指先で盗聴器をつまみ上げ、様々な角度からしげしげと眺めている。
「おう、本物や。秋葉原で見たやつとそっくりやな。GPS機能も付いとる最新式ちゃうか? こりゃまた、ご丁寧なこっちゃ」
感心したような口調とは裏腹に、牧原の目には鋭い光が宿っていた。彼は盗聴器をデスクライトにかざし、さらに観察を続ける。
「こんなもん仕掛けよって……どこのどいつや、ホンマに」
吐き捨てるように呟くと、牧原はゆっくりと振り返り、恐怖に顔を引きつらせている二人を見やった。
そんなん牧原に、木村が抗議の声をあげる。
「牧原さん! のんきに分析してる場合じゃないですよ! け、警察! 警察に電話しないと!」
その手は、すぐそばにある内線電話機に伸びようとしていた。
「待て待て、木村ちゃん。落ち着きぃな」
牧原がそれを制する。
「落ち着いてなんかいられませんよ! 犯罪じゃないですか!」
「そやけど、下手に騒ぎ立ててみい。犯人がどこで聞いとるかも分からんのやで? 『あ、バレたな』と思われたら、証拠隠滅して逃げられてまうかもしれん」
「じゃあ、どうするんですか!?」
美鈴が不安げに尋ねる。目の前のクマのぬいぐるみが、今はまるで時限爆弾のように思えてならなかった。この瞬間も、犯人は壁の向こう側で、自分たちの会話に聞き耳を立てているのかもしれない。そう思うと、背筋が凍るような感覚に襲われた。
「まずは、ディレクターに報告や。こういうトラブルは、現場の判断だけで動かん方がええ」
牧原はそう言うと、盗聴器をそっとティッシュペーパーの上に置き、内線電話の受話器を上げた。数回のコールの後、相手が出たようだ。
「お疲れさんです、牧原です。情ジャンのディレクターの誰か、そこにおりまへんか? ええ、急ぎで……。例のゲストさん宛のプレゼントの件で、厄介なもんが出てきましてん」
牧原は手短かに、しかし要点は的確に状況を説明している。その横顔は、いつもの飄々とした雰囲気とは打って変わって、仕事人の険しい表情をしていた。電話を切った牧原が、美鈴と木村に向き直る。
「明日担当の松島ディレクターが、すぐこっちに来るわ。それまでこの件は誰にも言うな。特に、他の番組のスタッフにはな。どこに口の軽い奴がおるか分からん」
「は、はい……」
美鈴が頷く。
「でもや……明日の担当作家には言っとかんとマズいかもな……」
「加賀美さんですね」
「そうやな」
牧原がうなづいたと同時に、デスク室のドアが勢いよく開いた。血相を変えたディレクターの松島が、息を切らしながら駆け込んでくる。
「牧原さん! 本当なのか、盗聴器ってのは!」
「これですわ」
牧原が顎で指し示した先、ティッシュの上の黒い塊を見て、松島は息を呑んだ。彼は三十ちょっと前の、温厚なことで知られるディレクターだが、その顔からは完全に血の気が引いていた。
「なんてことだ……。すぐに警察と、山梨さんの事務所に連絡を入れないと」
松島が携帯電話を取り出した、その時だった。
「あの……」
声を上げたのは美鈴だった。彼女は、腹を切り裂かれたクマのぬいぐるみをじっと見つめている。
「どうした、伊織くん」
「このクマさん、盗聴器を仕込むためだけに送られてきたんでしょうか。なんだか……まだ何かありそうな気がして」
美鈴の言葉に、その場にいた全員の視線が、再びデスクの上のぬいぐるみに注がれた。確かに、盗聴器一つを隠すには、このクマは大きすぎる。中にはまだ、たっぷりと綿が詰まっている。
「……確かにな」
牧原が頷き、再びクマの腹に指を突っ込んだ。今度は先程よりも慎重に、綿をかき分け、内部を丹念に探っていく。ガサガサと綿の擦れる音が、妙に大きく室内に響いた。
しばらく探っていた牧原の手が、ふと止まる。
「お?」
何か、感触があったらしい。彼は慎重に、その物体を綿の中から引きずり出した。それは、折り畳まれた一枚の大きめのメモ用紙だった。
「メモ……?」
松島が訝しげに呟く。牧原は太い指で器用にメモを広げ、全員が見えるようにデスクの上に置いた。そこに書かれていたのは、震えるような、それでいて執念を感じさせる不気味な筆跡の、たった一行のメッセージだった。
――明日の生放送、楽しみにしているよ。
「ひっ……!」
木村が短い悲鳴を上げ、口元を両手で覆った。美鈴も、その文字が放つ異様な圧力に、全身に鳥肌が立つのが分かった。これは単なるストーカー行為ではない。犯人は、明日の生放送を知っている。そして、その放送に対して、何らかの意図を持っている。
「これは……予告か?」
松島の声が、重く沈んだ。犯人の目的は、山梨カナ個人のプライバシーを暴くことだけではないのかもしれない。このラジオ番組そのものを標的にしているとしたら? 明日の生放送中に、何かを引き起こそうとしているとしたら?
最悪のシナリオが、美鈴の脳裏をよぎった。盗聴器で得た情報を使い、生放送中に山梨カナを追い詰めるような電話をかけてくるのか。あるいは、このスタジオのどこかに、まだ別の何かが仕掛けられているのか。
「……面白くなってきたやないか」
沈黙を破ったのは、牧原だった。彼の口元には、不敵な笑みが浮かんでいる。
「ふざけてる場合か!」
「冗談やない。本気で言うとるんですわ」
牧原は、メモを睨みつけたまま続けた。
「相手がこっちに挑戦状を叩きつけてきたんや。やったら、受けて立つのもラジオマンの矜持ってもんでっしゃろ? もちろん、警察と事務所にはきっちり仕事してもらいます。山梨さんの安全も、番組の放送も、両方守り通す。松島さん、そうでっしゃろ?」
牧原の力強い言葉に、松島はハッと顔を上げた。彼は一度固く目をつむり、そして、ゆっくりと頷いた。その顔には、先程までの動揺はなく、覚悟を決めた男の表情が浮かんでいた。
「ああ、もちろんだ。絶対に、犯人の好きにはさせない」
その時、松島の携帯電話がけたたましく鳴り響いた。画面に表示されたのは、山梨カナが所属する事務所のマネージャーの名前だった。松島は深呼吸を一つすると、通話ボタンを押した。
これから長い夜が始まる。美鈴は、目の前の不気味なクマと挑戦状のようなメモを交互に見ながら、明日の生放送が無事に終わることを、ただただ強く祈ることしかできなかった。
ラジオ局を舞台にした楽しいコメディ……のはずだったのですが、どうも雲行きが怪しくなってまいりました!
クマのぬいぐるみの中からは盗聴器だけでなく、不気味なメモが発見されました。
いったいこの後、どんな展開になるのでしょう?
あ、そうそう、今回のお話も私が体験した実話です!(笑)