第10話 開戦の日
普通の大学生、伊織美鈴が、ラジオのお仕事に巻き込まれていきます(笑)
テレビに比べて極めて少人数で制作されているのがラジオ番組です。
その現場は数々の苦労にまみれていますが、それ以上に楽しさにも溢れています。
そんな雰囲気が伝わるといいなと、書き進めていきますのでよろしくお願いします!
毎週水曜日更新予定です。
長い夜が明け、東京の空は鈍色に白み始めていた。街はまだ眠りの中だが、FMアキバの局内には、張り詰めた緊張感が満ちていた。
午後5時。局のエントランスに、厳重な警備を突破するように一台の黒塗りのワゴン車が滑り込んだ。後部座席のドアが開き、まず降りてきたのは山梨カナのマネージャー、田中だった。その顔には疲労と憔悴の色が濃く浮かんでいる。田中は周囲を警戒するように見回し、それから後部座席に手を差し伸べた。
「カナさん、着きましたよ」
促されて車から降りてきたのは、山梨カナ本人だ。昨夜の出来事にも関わらず、彼女は気丈にも普段と変わらぬ優雅な装いをしていた。しかし、その顔色はどこか青白く、目の下にはうっすらと隈が刻まれている。時折、視線が宙をさまよい、深い不安を押し殺しているのが見て取れた。それでも、彼女は背筋を伸ばし、毅然とした態度で周囲に頭を下げた。
局のエントランスには、松島と牧原、そして加賀美京子の姿があった。彼らはすでに、警備員と連携を取り、カナと田中の安全を確保するための動線を最終確認していた。警察から派遣されたSPも、彼らの周囲を固めるように配置されている。物々しい雰囲気に、局内を行き交う他のスタッフも言葉を失っていた。
「山梨さん、田中さん、本日はよろしくお願いいたします」
松島が深々と頭を下げる。カナは小さく頷き、消え入りそうな声で「よろしくお願いします」と答えた。
「何かご不安な点があれば、些細なことでもお申し付けください」
牧原の声は、いつになく真剣だった。彼はカナの表情から、彼女がどれほどの恐怖と戦っているのかを読み取っていた。
「ありがとうございます。…大丈夫です」
カナは絞り出すように言った。
彼女の視線が、一瞬、美鈴の立つ方向を捉えた。美鈴は、咄嗟に頭を下げた。彼女は、カナのプロとしての覚悟に、改めて胸を打たれていた。
カナと田中は、そのまま警備員に囲まれるようにして、控室へと案内されていく。その道のりは、まるで要人を護衛するような厳戒態勢だった。美鈴は、その光景をただ見ていることしかできなかった。自分にできることは本当にないのだろうか。再び、無力感が胸をよぎる。
山梨カナが出演する番組は、午後7時からの放送だ。それまでの間、通常の番組も普段以上の厳戒態勢で進行されていた。美鈴は、いつもの業務をこなしながらも、局内の空気の変化を肌で感じていた。誰もがピリピリとした神経を研ぎ澄ませ、小さな物音にもびくりと反応する。
そして午後6時。いよいよ番組の打ち合わせが始まる。
若者向けのバラエティ番組「オススメの目!」だ。
パーソナリティは、今、若い世代に絶大な人気を誇るVTuber、タジマタロウ。顔出しはしないものの、その軽妙なトークと独特な視点から繰り出される「おすすめ」情報が、ティーン層を中心に熱狂的な支持を集めている。
その打ち合わせが、第2スタジオの隣にある小さな会議室で始まった。美鈴は、その打ち合わせに参加するよう松島から指示を受けていた。松島は、美鈴をできる限り現場に近い場所に置き、何が起こっているのかを肌で感じさせようとしているのかもしれない。
会議室には、タジマタロウとプロデューサー、ディレクター、そして今日の番組担当作家である加賀美京子の姿があった。もちろん、牧原も同席している。美鈴は、末席に座り、ただ彼らの会話に耳を傾ける。
「タジマさん、今日はよろしくお願いします」
加賀美が、ノートパソコンの画面を見ながら切り出した。
「はーい、京子先生、よろしくお願いしまーす! 今日もリスナーのみんなに、最高の「オススメ」を届けちゃいまーす!」
タジマタロウは、普段通りの軽快な口調で応える。しかし、彼もまた、この異常な状況を察しているのだろう。声のトーンは明るいものの、どこか緊張が張り付いているように美鈴には感じられた。
「今回の番組は、いつも以上に慎重に進めたいと思います」
加賀美の言葉に、タジマタロウが「承知しました!」と真面目な声で答えた。
「『オススメの目!』は、情ジャンとは違い、電話によるメッセージ募集はしていません。基本はメールとSNSですね」
加賀美は、今日の番組構成について説明を続ける。美鈴は、それを聞きながら、自分にできることはないかと考えていた。
「昨日から今までに届いているメールなどのメッセージには、すべて目を通しました。現時点では、特に怪しいものは見当たりません」
牧原が、険しい表情で報告する。彼の前には、何枚ものプリントアウトされたメールが積まれていた。
「ええ、私も確認しました。念のため、もう一度、頭から目を通しておきましょう。少しでも不審な点があれば、すぐに共有してください」
加賀美が、牧原に指示を出す。二人のプロの作家が、文字の羅列の中に潜むかもしれない悪意を、目を皿のようにして探している。美鈴は、そんな彼らの姿を見て、焦りを感じていた。自分も何か手伝いたい。だが、何をすればいいのか分からない。メールのチェックを手伝うにしても、彼らほどの経験がない自分が見落としてしまうかもしれない。逆に、邪魔になってしまう可能性もある。
「伊織ちゃん、ぼーっとしてないで、この資料、コピーしといてくれへんか?」
不意に、牧原が美鈴に声をかけた。彼の手には、番組進行表らしき書類の束が握られている。
「あ、はい!」
美鈴は慌てて立ち上がり、その書類を受け取った。こんな簡単なことでも、手伝えることがあるのは嬉しい。美鈴は、言われた通りコピー機へと向かった。
コピーを終え、会議室に戻ると、加賀美が何かを指差しながら、牧原と話し込んでいた。
「この表現、少し引っかかりますね。単なるファンレターにしては、妙に回りくどい言い方で……」
加賀美が指し示しているのは、あるリスナーからのメールだった。美鈴は、そっとそのメールに目を凝らす。それは、一見するとタジマタロウへの熱烈なメッセージに思えたが、確かに、どこか不自然な言葉の羅列が散見された。
(これもしかして、暗号とか……? まさかね)
美鈴の脳裏に、昨夜の脅迫めいたメモのことが蘇る。犯人は、巧妙な方法でメッセージを送ってくる可能性があるかもしれない。
「確かに、これはちょっと…」
牧原も腕を組み、唸るように言った。
「念のため、このメールを送ってきたアカウントの過去の投稿履歴も確認しておきましょう。SNS連携しているアカウントなら、そこから何か手がかりが見つかるかもしれません」
加賀美が冷静に指示を出す。彼女の目は、獲物を追う鷹のように鋭かった。
刻一刻と、生放送の時間が近づいてくる。局全体が、まるで巨大な生物のように、その時を待つかのように静まり返っていた。この静寂の裏で、見えない戦いはすでに始まっている。果たして、このまま無事に放送は進行するのか? それとも、犯人の魔の手は、再び彼らに忍び寄るのだろうか?
美鈴は、不安と、そしてかすかな期待が入り混じった気持ちで、ただその時を待つしかなかった。
いよいよ生放送に突入します!
番組が始まってしまったら、もう止めることはできません。
止めてしまったら……放送事故です(笑)
さぁ、この後はどんな展開が待っているのでしょうか?
お楽しみに!




