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これくらいしか思いつかないから

作者: 小田光記

 先週、同じクラスの吉沢詩織(よしざわしおり)は銃で撃たれて亡くなった。不運にも銀行にて強盗と遭遇、興奮状態にあった犯人の気にでも触れたのか、腹に一発ズドンとくらってそのまま亡くなってしまったらしい。しかしその時吉沢は手ぶらで、どうして銀行になどいたのかとそんな謎も飛び交った。

 中学校でその知らせを聞いて泣く人は少なかった。吉沢には友達が少なかった。中には吉沢のあまりの不運に憐れみ、涙を見せる人も少なからずいたにはいたが、それも結局は吉沢に対して何にもならない薄っぺらな同情のように思えた。

まぁそんな事を思っている俺自身、吉沢とは一度校門で顔が会って挨拶をした事くらいしか思いでもないし、悲しみも泣きもしていないのだからそれらについて何も言う資格なんてないんだけど。


 しかし俺はこの事件を機に一つ気になることがあった。吉沢が死んだ。もし吉沢になにか強い念、つまりやり残した事や後悔が無いかどうかだ。正直吉沢が一体何を思って死んでいったかなんて俺の知ったことではないのだが、どうにもそう言ってられない事態になるかもしれない。つまり俺には―

「あら、そこにいるのはきっと私が見えるであろう新居幸弘(あらいゆきひろ)くんじゃない」

 知り合い限定で、幽霊が見えてしまうからだ。


挿絵(By みてみん)


 もしかしたら吉沢の霊が現れるかもしれないという可能性を考慮して、事件の起こった現場近くには寄らないようにしていたのに。まさかの校舎裏で出会ってしまった。

「ねえ、見えてるんでしょ。幽霊になったら何だか見える人は分かるのよ不思議よね」

生前と変わらぬ血色のいい肌で、肩まで伸ばした黒髪をさらさらと揺らしながら吉沢は近づいてきた。

「吉沢お前、何で校舎裏なんて場所にいるんだよ。普通幽霊ってのは思い入れの強い場所なんかにいたりするもんだろ。おかげでゴミを捨てにきた俺はまさかの不意打ちだ」

「そうだというなら私の思い入れのある場所がきっと校舎裏なんでしょう。実際に私ここから動けないようなのよ」

 ならば動かずずっとそこにいればいい。幸弘は詩織の霊の横をさっと通り抜け、持っていたゴミを焼却炉に突っ込むと、またくるりと向きを変えてその場を去っていった。後ろで詩織の何か言おうとする声が聞こえた気もしたが、それも聞かぬふりをした。


 「えー久々じゃん幽霊に出会うなんて、聞いてあげれば。最後のお願い」

そう言って幸弘の姉、亜美はテレビを見ながら足の爪を切っていた。幸弘は学校のカバンをソファーに放り投げるとテレビのリモコンを手に取りチャンネルを変えた。

「そう簡単に言うけどね、そういう奴らの最後の願いなんてのは大抵ややこしくて面倒なものばかりなんだから。安請け合いして見返りの無い無理難題な善行なんて出来ないっつーの」

亜美は幸弘の手からリモコンを奪い取るとまたチャンネルを変えた。

「聞くだけ聞いてみればいいじゃない。今までだって幾つか聞いてあげてたじゃない」

「だぁからぁー…」

 その経験からして嫌だっていってんのに…。


 「あ、やっぱり来てくれた」

幸弘は不機嫌そうな顔で、というか実際不機嫌なのだが。重たい足取りで校舎裏へとやってきた。

「あ、やっぱり。じゃねぇよ。俺は今月ゴミ当番だから毎回ここを通らなきゃいけないんでさすがに鬱陶しいと思ったんだよ」

 大抵の奴はこうだ。今までほとんど面識の無かった奴でも死んだとたん、見えるというだけで急に親しげに話しかけてくる。そんなに願いを叶えて欲しいものなんだろうか。

「で、吉沢のやり残した事とかって何なんだよ。但し面倒くさくてややこしいもの意外だ」

 それ以外なら聞いてやっても…と言いかけたところに詩織の声が被さってきた。

「漫画を買ってきて欲しいの」

「え?」

 だから漫画を買ってきて欲しいのよ。ふいをつかれて幸弘の口から思わず出てしまった間抜けな返事に、詩織は続けて同じことを言った。

「ま、漫画を買ってくるだけでいいのか」

「ええ、私あの日漫画の新刊を買いに行く途中だったの。けどその途中で殺されちゃって、無念にも程があるじゃない」

詩織は目を閉じ両手を胸に当て、さも無念であるかのように悲しそうな仕草をとってみせた。

「なんだ、最後の願いって位だからもっと面倒なものかと思ったら案外簡単だな。まぁそのくらいの事なら頼まれてやってもいいけど」

 幸弘はそう言うと漫画のタイトルを聞き、明日休みだから明日買ってきてやると言ってその場を去ろうとすると、思い出したように詩織は幸弘を呼び止めた。

「漫画の料金のことなんだけど、私のカバン―…」

 と言いかけて、それに対し幸弘はそれくらいなら俺が出してやるよ、と言ってこちらも思い出したようにそうだと詩織に振り返った。

「なあ吉沢、聞いた話お前銀行にいた時手ぶらだったそうだけど。一体何しに銀行に行ってたんだ」

 その質問に詩織は笑顔を作って答えた。

「漫画を買うお金が無くて貯金を下ろしに行ってただけよ。ドジなことにサイフを忘れちゃってね」

 それに幸弘はただ、そうか。と行ってその場を去った。


 噂に聞いた話では、吉沢は親と仲があまり良くなかったらしい。母親が小さい頃に家を出て行って、吉沢は暴力的な父と二人で暮らしていたが。最近その父が再婚してその相手にも嫌われていたという。吉沢は学校にも家にも居場所が無かったということになるのだろうか。つまりそれで校舎裏が一番居心地がいいのかもしれない。それと思い残したことも本当に漫画のことだけだったのかもしれない。それくらいしか、思い残すことは無かったのかもしれない。と、まあその事はさておき俺個人としても吉沢には早くあの場所から去ってもらわなきゃ困るってのに…。

 幸弘はそんな事を思いながら、創立記念日というその学校に通う学生だけが味わえる優越感ある休みを、死んだ者のために自転車を走らせていた。本屋まであと少しって所で急ブレーキをかけてその場に止まった。目の前でホームレスのおじさんが何につまづいたか勢いよく転げてきたからだ。

「おじさん…大丈夫?」

「おお、すまんすまん。ちょっと急いでいたもんで…」

 おじさんはそういうとゆっくりと立ち上がり何かを握り締めた手で、大丈夫だと手を振った。幸弘はとっさにそのおじさんの手に握られた物に目をやった。

「おじさんちょっと、それ何持ってるの」

 おじさんの手にあったもの、それはあの吉沢詩織の生徒手帳だった。思わず吉沢の生徒手帳!と幸弘が声を出して驚くと、同じようにおじさんも驚いた。

「きみ、この子の友達か何かかい?」


  おじさんはちょうどよかったと言って、幸弘について来るよう指示してのろのろと歩き出した。幸弘は何が何だか分からない内に路地裏の奥へとどんどん入っていった。

 漫画を買いに来ただけなのになんでこんな面倒なことになるかなぁ。やっぱり死人に関わると碌なことにならない…。

 そんな事を考えながら自転車を押していると一つの小さな廃ビルに着いた。おじさんに入るように言われて、渋々自転車を外に置いて慎重に当たりをキョロキョロ見渡しながらおじさんの後を付いて行った。

 ここだ、ここ。とおじさんが言って奥の部屋の扉を開けると、そこは以前何かの事務所にでもなっていたような形跡が埃と蜘蛛の巣を被って残っていた。すると一つ、古いもの達と違って真新しいダンボールが、部屋の中心にあるテーブルの上に置かれているのを見つけた。おじさんはそのタンボールに近づくと、それを二三ぽんぽんと軽く叩いて幸弘に顔を向けた。

「これはその女の子が先週ここに置いていったものでね。ほら、このカバンもその子のなんだよ」

 おじさんはそう言ってテーブル横のソファーに置かれたピンク色のショルダーバックに目をやった。

「それは分かったけど、その。何でおじさんはさっき吉沢の生徒手帳を持って急いでたわけ」

 幸弘は歩くたびに舞い上がる埃に小さく咳き込みながらダンボールの傍までやってきた。

たたみ一畳分程ある横幅のダンボールはまるで厚みのある板ようだった。

「その子が先週これを重たそうに持ってここに置いていったんだ。その後メモのような物に何か書いていた時、このビルの3階を住処にしていた私がたまたまその様子を見ていたのに気がついて驚いていたよ」

 その書いていた物ってのは無いんですか。幸弘は辺りをキョロキョロ見渡すと、ソファーの下に何か可愛いメモが落ちていた。何度も書いては消しを繰り返したのか、メモはグチャグチャになっていた。微かに読み取れたのは『おめでとう』との部分だけ。おじさんは首を横に振って少し肩を落とし、ニュースを見たと言った。二人は出会ってすぐに打ち解けたそうだ。このダンボールはプレゼントなんだと言っていたそうだ。渡せるかどうか分からないけど、渡したいんだと笑って。

一週間後に取りに来るからとその時は言っていたらしいが、その後直ぐに吉沢は強盗に撃たれて死んでいる。おじさんもそれを町のテレビで見て知ったらしい。

「私と話している途中、カバンの中を見て大事な物を落としたと言って銀行に戻っていったんだよ。あの時もう少し彼女を引き止めていられたらよかったんだが…」

戻ったということは最初に銀行には行っていたんだ。きっとこの荷物を買うために貯金を下ろしたんだろうけど、その後落し物を取りに行ったというのを何故、俺に嘘をついたのだろうか…。

おじさんは少し黙り、思い出したように幸弘に顔を向けた。さっき走っていたのは、このままではあまりに女の子が可哀想だとカバンに入っていた生徒手帳の住所に行って、家の人に事情を話そうとしていたらしい。

「知り合いの人ならこの荷物をどうか家の人に届けてあげてはくれないかね」

おじさんはそういうと頼んだよと言って、生徒手帳を幸弘に預けて住処であるこのビルの3階に戻っていった。幸弘はおじさんが上へ上がるのを見送ってから頭を掻いてダンボールを見つめた。

結局面倒なことを押し付けられてしまった。…しかし吉沢本人には頼まれてないしこのままほって置いても―…。

幸弘はふと、さっきおじさんの言ったことを思い出した。渡せるかどうか分からないけど、渡したいんだと、笑って。

幸弘は少し黙って、そのダンボールを軽く叩いた。

「あいつの家の人、これ受け取ってくれるかな」

そしてふと、幸弘は銀行への落し物のことを思い出した。一体どんな大事なものを忘れたというのだろう。


「あ、ちゃんと漫画買ってきてくれた?」

次の日、土曜日で学校は休みだったが幸弘は私服のまま学校の校舎裏へとやって来た。幸弘を待っていたように詩織はわくわくした顔でしゃがんでいた姿勢から飛び跳ねて立ち上がった。幸弘は黙ったまま買ってきた漫画を出して見せた。

「良かったぁ、これでやっと思い残すことがなくなるわ。早く読んでよ、私は後ろから一緒に読むから」

幸弘は焼却炉の傍に置かれた古いベンチに腰掛けると漫画を1枚、また1枚とめくりだした。しばらくして、幸弘の手が止まった。

「どうしたの、早く次ぎめくってよ。私成仏できないわよ」

詩織がそう急かすと、幸弘は漫画に視線を落としたまま口を開いた。

「この漫画読んだだけじゃ、お前は成仏できないだろ」

詩織は黙って瞬きをした。そしてゆっくりとそれはどうして、と聞き返した。幸弘は下を向いたまま、静かに口を開いた。

「あのベビーベット、両親に届けておいたから」

その言葉に詩織は幸弘の後ろで黙った。しばらくして、そう。と小さな声で応えた。

「あの人達、子供が出来たのよ。余計なお世話よね、あんなもの」

「お父さんは泣いていたけどな」

俺も断られたと考えながら渡しに行ったら、お父さんはそうかと言ってすぐに家に入っていったけど、俺はその間に落ちた涙を確かに見たけどな。

幸弘の口から続いた言葉を、詩織は何も言わずただ黙って幸弘の後ろで聞いた。そしてまた、しばらくして一言。そう。と小さな声を返した。

「漫画、読んじゃわなきゃ」

詩織がそう言って漫画に手を伸ばした時、不意に幸弘は詩織の前にあるものを出した。それは小さな動物の形をしたストラップだった。それを見た途端、詩織の伸ばした手が止まった。それを差し出したまま幸弘は続けてしゃべった。

「俺、これを以前この焼却炉の傍で落としたんだ。いくら探しても見つからなくて、今月ゴミ当番にしてもらって毎回探してた。でもこれは銀行の落し物入れに入っていた」

どうしてだ。

 幸弘はそう言ってストラップを差し出したまま、黙って詩織の言葉を待った。詩織は伸ばした手をゆっくりと引っ込めてその手を後ろで組んだ。

「それは以前ここで見つけたの」

「俺のってことは知らずに―」

知ってたよ。

 幸弘の言葉の最後に被るように詩織は声を張った。

「知って取ったのよ。私」

 それでも何度も返そうかと思って。新居くんが今月ゴミ当番になったって知って、その時間に実は毎回ここに来てたけど、結局言い出せなかった。そして銀行でそれを無くして、見つけたと思って手を伸ばしたらまさかのズドン。

「返さなきゃって、思ってはいたのよ。新居くん」

「どうして俺のと知って持ってたの」

「朝。挨拶してくれたから」

 初めて人から挨拶をされたのよ。あの日は今でも本当に、よく覚えているのよ。

詩織の言葉に幸弘は一言、そう。と返して再び漫画のページをめくりだした。

「新居くん、どうしたの」

「この漫画が、あまりにいい話で」

「そう、それで―」

泣いているのね。

黙った幸弘の目から一つ、また一つと涙がこぼれ落ちた。落ちた涙は開かれた漫画へと落ちて紙面にじわりと広がった。

「それ、ギャグ漫画なんだけどね」

詩織の感覚の無い腕が、幸弘の首にゆっくりと回されたのが分かった。

「私、好きなの」

その漫画。詩織がぼそぼそっと囁いた声はすぅと幸弘の耳にだけ響いた。

俺も、こんなに泣いた漫画は初めてだ。

そう言って空へと顔を上げた幸弘の目には、もう詩織の姿は映らなかった。


挿絵(By みてみん)


後日、まだゴミ当番の幸弘はゴミ箱を引きずって焼却炉へとゴミを放り投げ、すぐに向きを変えて歩いていった。そしてふと立ち止まり。近くの壁に寄って、ポケットから出したあのストラップをそこに置いてその場を去っていった。


「どう、例のあの子。成仏させてあげたの」

家では亜美がテレビを見ながら足にペディキュアを塗っていた。

「やっと気持ちが分かっても、相手はすぐにいなくなってしまうからね。だから俺は嫌なんだ、こういうのに関わるの」

亜美は、いい経験じゃない。と言いながらはみ出したペディキュアを慎重にふき取っていた。

「何それ、あんた漫画なんて持ってたっけ」

幸弘の放り投げたカバンから飛び出したあの漫画を見て亜美が不思議そうに聞いてきた。幸弘はそれを 手に取って一言。

最高に感動できるギャグ漫画だった。



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