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第二話【怪談と少年】4



 陸が窓に近付き鍵を開けるが、びくともしない。外の景色は一切見えず、温度も感じない。階段から階下を覗くと同様の状態で、校舎全体が変化しているようだった。

広範囲の怪異による侵蝕、空間の隔離による異変、生者を誘い込む手際。全てが想定していたよりも絶望的で、陸がこれからどうするべきか思案していると、紫織から声がかかる。


「まずは事務室に戻るわよ」

「そうっ…すね。最後尾に紫織さん、尚樹君は少年と一緒に俺の後に続いてね」


隊列が決まり、陸を先頭に階段を下りていく。

尚樹はキョロキョロと辺りを見回している少年に、違和感を覚える。こんな普通とは違う状況になったにも関わらず、喚きも怯えもしていない、最初に少し動揺をしていただけだ。達観した大人びた子供というだけでは、済まないような気がした。


「なに?」


尚樹の視線を感じたのか、少年が睨むように見上げてきた。


「冷静だなと思って。怖くないのか?」

「別に…これくらい平気だし」


俯きながらシャツの裾を握る少年。冷静に見えたのは、強がっていただけのようだ。

先頭を歩く陸が後ろを窺いつつ、声をかける。


「少年、君の名前は?」

「知らない人に名前を教えちゃいけませんって先生が言ってましたー」

「うーん正解。でも、今は非常事態だから、教えてもらえると助かるな」

「そっちから名乗るのが礼儀ってものじゃない?」

「それも正解。俺は竹宮陸。神霊事務所ってところで働いてるんだ」


陸の自己紹介を受けた少年が、隣と後ろへ視線を向ける。全員名乗れ、ということだろう。


「早条尚樹」

「天崎紫織よ」


黒い真っ直ぐな瞳が、三人を見定めるように射抜く。

 一階に下り立ったとき、少年が口を開いた。


戸川 博(とがわひろし)、五年生…」

「博君か!それで、博君はどうしてこんな時間まで学校に?」

「それは…」


陸の質問に、博は足を止めた。薄暗く身長差もあるためハッキリとは見えないが、表情が今にも泣き出しそうに見えた。廊下の真ん中で立ち止まった彼に、三人は黙って返答を待った。


亮太(りょうた)くんが、お化けに襲われたんだ」

「お友達?」

「うん。お化けに襲われて、階段から落ちちゃって…」

「怪我は?」

「軽い捻挫だった。でも、亮太くんお化けが怖いって今でも怯えてて、放課後もすぐに帰っちゃうんだ。お化けが悪いのに、先生は信じてくれなくて、亮太くんの不注意だ、見間違いだって……違うのに!だから、オレが仇を討ってやるんだ!!」

「勝手に友達殺すなよ」


思わずつっこんでしまった尚樹は、怪我をした友達のために怒る少年に感心していた。お化けなんて訳の分からないモノに立ち向かおうと、不安もあるだろうに一人で学校に残るだなんて、なかなか出来る事じゃない。

 仄暗い記憶と感情が、尚樹の心に波をたてる。


 大人は、信じてくれない。

『幽霊が見える』『化け物に追いかけられた』、全ては子供の世迷い言。声を挙げすぎれば、指を差されるのは自分で、気味悪がられる。嘘なんてついていないのに、信じてもらえない悔しさ、理解してもらえない寂しさ。

両親は見えないモノに怯える子供に、寄り添ってくれようとしていた。だが、見える者と見えない者の隔たりは大きく悲しい顔ばかりで、幼い心は擦り切れる一方だった。

いつしか、そんな自分を守るために、全てに蓋をした。ごっこ遊びの延長だった、大人になったと、安心した両親の表情が焼き付いている。目を逸らし、何も見えないと嘘をつき続ける、そう生きると決心した。

___して、いたんだ。


「俺達は、友達を驚かせたお化けを退治しに来たんだ」

「信じて…くれるのか?」

「あぁ。さっき、このお兄さんも言ってたろ?お化けの調査をして、どうにかするのが仕事なんだ」


疑うわけがない。だって、見えているから。


「信じるよ」


子供は、そのたった一言が、欲しかっただけなのだ。


「ありがとう!」


歯を見せて笑う少年のまとう空気が変わった。足取りも軽く、事務室まで何事もなく到着した。


「結界は機能してるわね」


 紫織が扉を三回ノックして、円を描くように撫でる。尚樹の目には、紫色の花弁で作られた壁が、風に吹かれ舞って消えていくように見えた。これが彼女が言っていた結界というものらしい。

紫織が下がると、陸が扉を開けて中に入る。広くもない室内を見回せば、倒れている警備員の男の側で狼狽える新町の姿があった。


「あ!あの!急に倒れてっ、救急車を呼ぼうとしたんですが電話が繋がらなくて!」


陸がしゃがんで警備員の状態を確認して、落ち着くように新町へと声をかける。


「大丈夫、気を失っているだけです。隔離の歪みに耐えられなかったんでしょう」

「何が起きたんですか?」

「ご依頼の怪異が想定していたよりも強大だったようで、我々を閉じ込めてきたんです」

「そんな!…何か、何かお手伝いできることはありますか!?」

「危険ですから、新町さんはここで二人と一緒に居てください」

「二人?」

「この子が、こっそり校舎に残っていたんです」


陸は後ろに隠れていた博を前へと押し出した。驚く新町と目が合い、気まずそうに下がろうとする博だが、背中に添えられた陸の手がそれを許さなかった。


「どうして帰らなかったの?」

「…えっと……」


口ごもる博に、尚樹が一歩前に出て隣に並ぶ。


「友達の敵討ち、だそうですよ」

「ちょっ、お兄さ…!」


 博が、また大人に疑われ否定されるのを恐れているように見えた尚樹は、もうそんな心配は不要だと言うように頷きを返す。


「友達って、田中君のこと?」

「うん…」

「ご存知なんですね」

「はい。田中亮太(たなかりょうた)くんは私の担当するクラスの子で、いつも一緒に遊んでいるのを見てましたから」

「その亮太くんが、お化けに襲われて怪我をしたと聞いたのですが」

「確かに先月、階段から足を滑らせて捻挫を……原因までは分かりませんでしたが…」

「オレ言ったもん!お化けがいたって!」

「そうね。まさか本当にお化けの仕業だったなんて……疑ってごめんなさい」


新町は頭を下げて謝罪をした。教師でありながら、子供の言うことだと真摯に向き合わなかった。こんな事態になるまで信じてあげられないとは、少年にかけた言葉への後悔と不甲斐なさに胸が締め付けられる。

 そんな真剣な気持ちを正確に受け取った博は戸惑った。悪気があったわけでも、蔑ろにされたわけでもない。信じてほしかった、それだけだった。

だから__


「謝らなくていいよ、先生」

「え」

「オレが嘘ついたんじゃないって、分かってくれたから」

「…ありがとう」

「へへっ、いいよ!」


嬉しそうに話す博に、尚樹は幼い自身を重ねた。

 もし、あの時、同じ様に信じてもらえたら、もっと早く、青維達に出会えていたら、何か変わっていたのだろうか?こんな風に、自分の本心を伝えて、笑えていたのだろうか?


「いいや、所詮たらればだ」

「たられば?」

「なんでもない。それより、行かなくていいのか?」

「そうだね。新町先生、俺達が戻ってくるまで、ここで二人をお願いします。結界の外には決して出ないように」

「分かりました」

「オレも行く!」

「駄目」

「行くったら行く!」

「危ないから…」

「平気だもん!!」

「博君!!」


博は止める間もなく、事務室を飛び出し廊下へと走り出した。異常空間の校内に一人で行かせるわけにもいかず、慌てて陸も後を追う。

暗闇に消えた二人に仕方ないと言うように溜め息を吐いて、紫織は残された人間に指示を出す。


「新町さんはこのまま此処に」

「でもっ!」

「少年のことは彼に任せておけば平気よ。あなたが行ったところで、足手纏いにしかならないわ」

「そう…ですよね。すみません」

「私達も事態の収拾のために外に出る。倒れたそこの彼を守れるのは、あなたにしか出来ないことよ。自分の役割を全うしなさい」

「はい!」


新町からの心強い返事に袖を振ると、紫織は尚樹へ、陸が置いていった荷物を持って部屋から出るように促す。

 事務室に二人を残して扉を閉めると、紫織はノックを三回、先程とは逆回りに円を描いて撫でる。すると、紫色の花弁が集まり壁を作った。淡く光る花弁の壁は、異質な空間には不釣り合いなほど暖かな気配を醸し出していた。


「質問いいですか?」

「どうぞ」

「結界って、つまりはどういうもんなんです?」

「結界と一言でいっても、役割や効果は様々よ。領域を分ける境界線として、術者の力量によって攻撃にも守備にも使える。私のは、中の存在を隠す結界」

「幽霊が新町さん達に気付かないってこと?」

「簡単に言えばそうね」

「へぇ。俺にも出来たりします?」

「術具一つまともに扱えない内は、無理でしょうね」

「そうすか…」


尚樹は少し残念に思いつつ、今ははぐれた二人と合流するため歩き出す。走り去った方向が定かではないが、とりあえず一通り見て回ろうか判断を仰ごうと紫織へ振り返ると、その後ろ奥に人影が見えた。


「あ、見つか……?」


背丈から陸だろうと声をかけたが、すぐに違和感に気付き途切れる。紫織も警戒するように尚樹の方へ数歩下がり、影から目を離さない。


カパ…カパ…キィ…


その影が動くたびに、軽い物同士が当たるような音がした。


カパ…カパ……ギギィ…


暗い廊下の先から、徐々に蛍光灯の明かりが届く場所まで近付いてくる。黒い影しか見えなかった全身を、二人の瞳が鮮明に映し出す。

 虚ろな黒い目玉が嵌め込まれた顔は、中心から半分を肌色に、もう半分は筋肉を模した柄が描かれている。首から下は神経や血管が分かりやすいように色分けされて続き、心臓や肺が見える。きっと五臓六腑が全て組まれていることだろう。先程までの音は、臓器のパーツ同士が当たって鳴っていたものだった。

誰しも学校で一度は見たことがあるだろう。

しかし独りでに動くような物ではない。

しかししかし、怪談話では定番とも言える。


ギギィ…カパッ…


軋む手足を動かし歩く、人体模型だった。

人体模型は二人を認識したのか、足を大きく上げた。


「これは…」


上げた足とは反対の腕も上げて、首を動かし顔を二人へと固定する。

 尚樹が体の向きを反対側へ逸らそうと足を引いた瞬間、人体模型が大きく手足を振りながら突進してきた。


「だよなぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


自分でも驚くほどの瞬発力で、尚樹は人体模型に背を向けて走り出した。後ろをチラリと見れば、大手を振って臓器を鳴らしながら無表情の人形が追いかけてきていた。


「アクティブすぎるだろなんだあの動き!!」

「生者の魂に反応しているようね」


ふと横から声がして視線を向ければ、霊体に変化した紫織が隣を飛んでいた。全速力で必死の尚樹と違い、余裕そうに飛んでついてきている。霊体になったことで人体模型のターゲットからも外れたのか、尚樹のみに向かってきているようだった。


「ズルくないか!!?」

「失礼ね。当然の対応よ」

「どこ!がっ、だ!!」

「襲われると決まっている訳でもないのに、なりふり構わず逃げ出したのはあなたでしょう」

「じゃあ止まれば襲われないって!?」

「殺されるでしょうね」

「最適解だったじゃねーか!!」


階段を駆け上がり、とにかく距離を稼ごうと廊下をひた走る。だが、音が遠退くことはなく引き離せない。

突き当たりを曲がり、また階段を上る。


「どうにかしてくれよ!!」

「あなたも力はあるでしょう?」

「それはっ…!」


 腕を振るたびに揺れるブレスレットを意識してみるが、ただでさえ扱えないのに、こんな集中できない状況で使えるとも思えず、トンネルで感じた光も温もりもない。青維はブレスレットに願えば叶えてくれると言ったが、変われと念じても変化はなく、あとは陸に言われた名付けだが、そちらはまだ何も浮かばない。


「はぁ!はぁ!…あ、れ?」


考えながら真っ直ぐ廊下を走り続けていたが、そのおかしさに気付いた。学校の間取りや大きさを完全に覚えてはいないが、こんなに長い廊下があっただろうか?こうして考えている間も走り続けているが、突き当たることもなく真っ直ぐ進めている。

 紫織も廊下の異常を認識して、尚樹の少し前を扉や天井に触れながら飛んでいる。走る尚樹と違い、冷静に周囲の状況を観察した紫織は、とある仮説が浮かんでいた。


「もうしばらく逃げ続けなさい」

「は!?まっ!」


尚樹を置いてスピードをあげた紫織の姿は、すぐに暗闇に消えて見えなくなった。


「くっそ!なんだってんだよ!!」


一人置いていかれた尚樹は悪態を吐きつつ、体力的な限界が近いと感じていた。アスリートでもない一般人が走り続けられる距離など高が知れている。対して追いかけてきている人体模型に、体力などという概念があるはずもない。

重くなる足をなんとか動かしていた尚樹の視界に、紫色の花弁が映った。


「螺旋花」


後ろから聞こえた声に尚樹が咄嗟に振り返ると、軽快に動いていた人体模型を、螺旋状に舞い飛ぶ花弁が囲い込み止めていた。


「今のうちに隠れるわよ」


人体模型の上を飛び越えてきた紫織に驚くも、とにかくその場を離れるため先へ進む。人体模型が見えなくなったあたりで適当な教室に入ろうと扉に手をかけるが、鍵が掛かっており開かなかった。それを見た紫織が扉をすり抜け、内側から鍵を開けた。尚樹は便利なものだと感心するが声は出ず、中に入り扉を閉めて息を整えるのに精一杯だった。

 壁を背になんとか平静を取り戻した尚樹は、先程の所業について紫織へ詰め寄ろうとしたが、すぐ側で人体模型の音が聞こえ口を閉じた。一歩一歩、ゆっくりと歩きながら二人の居る教室の前を通り過ぎていき、音が遠ざかる。


「行ったわね」

「はぁ~」


一時的とはいえ緊張から解放され息が漏れた。


「あんな技があるなら、もっと早く使ってほしかったんですけど…」

「標的の固定に時間のかかる術で、すぐには発動できないのよ」

「左様で」


座り込む尚樹の正面に、紫織も下り立つ。


「動く人体模型、七不思議の一つね」


『理科室の(いさむ)さん』

人体模型の勇さんが動いて追いかけてくる。


「名前まで付けて、力も増すわけだわ」


また名前かと、尚樹は天井を仰ぎ見た。

 力を具現化し、個を確立するために必要とされる名前。ただ動くだけではなく、『勇さん』という特別に与えられた名前による存在の肯定。生者を殺めるには十分な力を得る条件が揃っていた。


「んで、さっきの場所が七不思議の廊下ってことか」


 冷静になった今、尚樹は走り続けていた廊下に心当たりがあった。壁に貼られていたポスターや教室のプレート、それらが一定の間隔で同じだった。つまり、何度も同じ教室の前を通っていたということ。さらに、前へ飛んでいった紫織が後ろから現れたことで確信に変わった。


『先に進めない廊下』

夜に三階の廊下へ行くと、永遠に閉じ込められる。


「この七不思議は、ループする廊下に閉じ込められるってことだったと」

「そうみたいね」

「紫織さんでも抜け出せないんですか?」

「天井も床も教室も、全て試したけど無駄だったわ」


カパ…


歩き去った方の反対側から、人体模型の足音が聞こえてきた。


「徘徊する人体模型をかわしつつ、ループする廊下をどうにかするって、そんなん無理ゲーだろ」


もう溜め息すら出ないと、尚樹はブレスレットを握りつつ、ここに居ない上司を恨まずにはいられなかった。




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