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子爵令嬢の名前をリリーに変更しました。
子爵家の兵士の平時の仕事は、何も訓練だけではない。子爵領の治安維持、子爵家の屋敷の門番、子爵家の者の警護と、軍団の各隊に決まった仕事が与えられる。
この国は労働においては男女平等――というより働ける者はすべからく労働すべきという風潮――であるとはいえ、兵士になる女性は少なく、大抵要人警護の仕事に就くことが多い。
つまり、本日アイダの仕事は、
「リリーお嬢様、朝のご支度の準備が整っております」
「すぐ行くわ、アイダ」
子爵の娘の侍女である。
勿論、リリーの侍女はアイダ以外にも数人、女性兵士がおり、非戦闘要員の専属の者もいる。その中でもアイダとリリーは比較的歳が近く、それなりに良好な関係を築けている――とアイダは思っている。
子爵の奥方は既に亡くなっており、リリーはそれ以来家政と子爵領の業務の補助を行っている。朝の支度が済んだ後はリリーは仕事にかかりきりになるため、アイダは清掃等に従事することになる。
リリーが休憩を入れるだろうタイミングで、アイダは他の侍女と共に茶と軽食の準備をする。
リリーの執務室に運べば、ちょうどリリーが伸びをしているところであった。
「お嬢様、軽食を持ってまいりました」
「ちょうどいい時間だわ、ありがとう」
茶を手に取り、リリーは他の侍女に告げる。
「しばらくアイダと2人にしてくれるかしら。用が終わったら呼ぶわね」
「御意に」
他の侍女が部屋を出ると、リリーは茶を飲み、アイダに向き直る。
「アイダ、顔色が優れないわよ?」
「ご心配をおかけしまして、申し訳ございません」
「謝ることではないわ。……叔父様からあの話聞いたのかしら?」
どのように反応したものかわからず、アイダは沈黙した。しかし、リリーには動揺を見破られたらしい。
「ふふっ、叔父様にあの話をするように勧めたのは私」
「お嬢様が、でしょうか?」
「ええ」
「……恐れながら、お嬢様の考えをお聞きしたく」
「単純よ。あなたを巻き込みたくない。ただそれだけ。こんな子爵家に謀反の罪を被せるんだもの。考えた人は余程物語を作るのが上手いわ。あなたのことを知ったらどんな物語をでっち上げるか、想像に難くないでしょ?」
リリーはそう言って目を伏せると、ポツリと漏らす。
「あなたから見れば帝国はひとつの国として見えるでしょう。だけれど、一枚岩じゃないの。叔父様が中心になって武功を立ててるのに、属国の者に融和的な態度をとる私たちが許せない、そんなところかしらね」
ひとつため息を吐いて、リリーはアイダに向き直る。
「ともかく、あなたは子爵家のことを気にする必要はないの」
「ですが、お嬢様は……」
「慣例では謀反で処刑はお決まりとはいえ、まだ本決定されていない。できることは精一杯するし、どんな手段でも使う。転ばされてもただじゃ起きないこと、こんなこと企てた者に見せてやらなければ、子爵家は見下されたままだわ。そのためにはあなたの存在は知られない方がいいの。それに……万が一処刑になっても、ちょっと早いけど母に会えると思えば、悪くないわ」
そう言ってふわりと微笑んだリリーに、アイダは何も言えなくなった。
「さ、休憩は終わりにしましょう。この食事は後で食べるわ。この話は口外禁止ね」
「承知しました」
アイダは静かに頭を下げると、茶器を下げて退出した。他の侍女にリリーの休憩終了を伝え、茶器をキッチンに運ぶ。そのまま庭に足を向けた。
燦々と光る太陽に反して、アイダの心中は陰りを見せる。
子爵家に拾われたからには、子爵家に仕えて生涯を終えると思っていた。このことは、家族を奪われた憎しみや悲しみ等の感情よりも前にある事実であった。そのくらいには、子爵家はアイダにとって世界も同然だったのである。
村にいた頃でも、村を出ることなんて考えたことはなかった。他の軍団に入るにしろ、王国に行くにしろ、アイダは生まれて初めて、自分の足で外に出ることになる。それが不安であり、心細かった。
それともうひとつ。子爵家の者たちが、アイダに心を配るとは思いもしなかった。属国の者の存在など、邪魔になれば殺して捨て置くことだってできるというのに……
ここは子爵家のために、覚悟を決めなければならない。しかしアイダは今ひとつ踏ん切りがつかなかった。