今世
目が合った矢先に、あなたの前世はギョウチュウですねと言われて、怒らない私は寛容な方だと思う。駅前にいた老婆の声は水分なんか無かった。つまらない独り言のような呟きは、この都会の冷たさと大して変わらない。普段なら全く気にしないが、就活で苛立っていた私はつい反応してしまった。
「はぁ」
「そして、あなたの来世は四分音符だ」
もはや物でもない。来世は四分音符って何なんだ。一方の老婆は座ったままこちらを見向きもせずに、何やら棒切れを動かしていた。机の上をコロコロ、何かを練るような動作でもなく、ただコロコロ。しばらく目で追いかけていると老婆は椅子を指さした。
私は道行く人々から切り離されたように、椅子に座ってしまった。老婆は先ほどまで転がしていた棒切れを机の端に置き、私の目をジッと見つめた。乾いた餅のようにひび割れたのっぺり顔が私の視界を満たす。
「つまらない顔だね。来世がギョウチュウなのも納得だよ」
「あなたさっき前世って言いましたよね」
「んあ?そうだったかい」
老婆が首を掻きむしると、大量の垢が噴き出てきた。伸びきった爪に生まれたての老廃物が溜まっていく。いささかおかしい。気味が悪いはずのこの光景でさえ、私は立とうとしない。後ろを振り返って辺りを見渡しても、普段と何も変わらない。
「いい加減な事ですね、占いって」
「じゃあ何であたしの話を聞いているんだい。こんな皺くちゃババに何を期待してんだい?」
「話しかけてきたのはそちらでしょう?」
老婆は再び棒切れをコロコロと転がす。今度は3回ほど同じ動作を繰り返した後、私の目の前でその棒切れをへし折った。そして、二本になったその棒切れを掌に載せ、私の前に差し出した。
「これやるから100円だしな」
意味が分からない。元々の棒切れも、使い古した割りばしのようなゴミだった。折ったせいで割れ目が尖り、怪我をする恐れのあるゴミになった。こんな買い物をさせられそうになった時、クーリングオフみたいな制度は使えるのだろうか。
お金を払う気にならない。なんでこんな詐欺まがいの事にお金を出さないといけない理由がわからない。私はようやく腰を持ち上げてその場を去ろうとした。老婆は薄ら笑みを抱えて、言葉を並べる。
「これはお守りだ。前世も来世もつまらない。今世でさえそんなつまらない表情をしている。変わりたいとは思わないのかい?どうせロクな人生じゃないんだろ」
「勝手に言えばいい」
「なるほど。あんた、今日会社落ちただろ」
突然なことに、足が動かなかった。図星だった。老婆の笑顔がさらに崩れ、目はガン開きとなった。
「後は……一社も受かってないね?」
掌をさらに差し出して、私のへそをつく。伸びた爪がスーツに刺さる。私は恐怖に縛られたのか、全く足が動かなかった。一刻もこの場から去りたいけど、現状を変えたいと思っているのも事実だ。私の息はどんどん荒くなり、ビジネスバッグを握る手も自然と強くなっていた。
「……」
カバンから財布を取り出し、私は100円を机に叩きつけるように置いて棒切れを手に取った。老婆は満足そうに100円玉を懐にしまった。私は一連の行動を見届けた後、何も言わずに走り出した。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。私は家に一刻も早く帰りたかった。息も絶え絶えになりながらも、明かりのついてない部屋に一人駆け込んだ。壁のスイッチを殴って部屋の明かりをつける。
私は走っている間も、左手にずっと棒切れを握っていた。目に留まった怪しい占い屋で買ったそれを、発作的に捨ててしまいたくなった。なぜ買ってしまったのかわからない。でも、現状を言い当てられたために、一瞬の縁を感じてしまったのだろうか。
もしかしたら、本当に何か効果があるのだろうか。私は少し考えて、棒切れは捨てずにジップロックに入れて、見えないように引き出しに閉まった。もう落ちたくない。これに今を変える効果があるのなら、ほんの少しでもあるのなら、持っておいても損は無い。逆立った感情は少しだけ落ち着いていた。もしかして、あの棒切れのおかげなのだろうか。
「……風呂に入ろう」
私は後日、新たに受けた会社に合格した。合格した後に再び占い屋があった所に訪れると、その占い屋は居なかった。結局、あの占い屋は何者だったのかわからずじまいだ。お礼を言いたかったのかも、文句を言いたかったのかもわからない。
その場を離れ、人々の喧騒の一部と化す。私は一つだけため息をついた。息はもう、白くならなかった。
どこかで一人の老婆は呟く。
「そういえば、あのカモは何でただのゴミに100円払ったんかね」
老婆は食べ終わった弁当と割りばしを、ゴミ箱へと投げ入れた。
お久しぶりです。まきなるです。だいたい1年ぶり?くらいの新作です。
読んでいただいてありがとうございました。
またチビチビ書いていきたいと思っていますので、目に留まったら読んでください。