第九話 救済懇願
デートという名の『時間稼ぎ』確保から一週間以上が経過した。とりあえず今日まではお嬢様から目を離さなかったことも手伝ってか、最悪の事態には至っていない。
……ちなみにお風呂はなぜかお嬢様が目隠しした状態でようやく一緒に入ることを了承してもらった。必然的に私のように視界が封じられても問題なく活動できるわけではないお嬢様の『入浴の手伝い』をする必要があるんだけど、なんだか背徳感が半端ないわね!! もちろんお嬢様の、らっららっ……生まれながらのお姿は見ないようにしているけど、もうなんていうか、とにかく半端ないったら半端ないのよ!!
ごほん。そ、その辺は置いておくとして、今日は古物商店での『古代土器をつくってみよう☆』体験コーナーで形作り、乾燥させた土の器に焼き入れを行っている。まあ私のはもう乾燥させた時点でボロッボロで焼くも何もあったものじゃなかったのでお嬢様のヤツだけだけど。
こーゆーのはお嬢様の好みのはずって私の予想は当たっていたらしく、熱心に土器に火を入れている竈を見つめていた。
つーかクラウスの奴ちょっとお嬢様と距離近くない? 肩触れていないアレ!? 指導という名目、そしてお嬢様が熱中するくらい楽しんでいるのを考慮して見逃してやっているけど、普段だったら万死に値するわよ!?
「ギリギリギリ……ッッッ!!!!」
「歯軋りすげーな、おい。てめーの愛しの公爵令嬢様が万が一にでも火傷とかしねーように見てやってるだけなんだが? 公爵令嬢様怪我させたともなればこんな古物商店一発で消し飛ぶしな」
「わかっているから耐えているんじゃない。普段だったら『暗器百般』全開放もやむなしなんだからねっ!!」
「また物騒なこと言ってやがるな。まあ我慢するってんなら別にいいわ。後ろの方で大人しくしててくれよ」
「くそう!!!!」
悔しいけど、もうあの男のことフルボッコにしてやりたいけど、私たちの会話が聞こえていないほどに熱中しているお嬢様の邪魔はできない。
私は心底不本意だけど、邪魔にならないよう後ろのほうにあった椅子に腰掛ける。
もう一週間以上が経った。
結局今日まで私にできたのは『時間稼ぎ』だけだけで、そもそもお嬢様を死にたいほど追い詰めた何かについて話を聞くことすらできていない。
もちろん話を聞こうとはした。
だけど、王都での話を聞くそぶりを見せただけでお嬢様は恐怖に瞳を濁らせ、苦しそうに表情を歪めるのよ。
根本的な解決のためには話を聞く必要があるとはわかっている。だけど、だけど! 私には傷口をほじくり返してでも話を聞いて、恐怖や絶望を思い出すことで更なる傷を負わせる覚悟がない。
だって、そこまでしてどうしようもできなかったら?
普通の人間ならともかく、私のような奴に人の心に深く踏み込み、心の傷に寄り添い、救うことができるかはわからない。
広く浅く、人の輪に入る術しか『教育』されていない私の本質は変わらないのだから。
は、はは。
お嬢様を救いたいと望みながら、こうして足踏みしてしまうなんて、本当『役目』以外は何もできないガラクタなのね。
こんな私がお嬢様に好かれているわけがない。
それでもお優しいお嬢様は私のような奴さえもメイドとしておそばに置いてくれる。
だから。
だったら。
「ねえクラウス」
一つ目の土器の焼き入れは終わったようで、二つ目の土器を乾燥させている別室にお嬢様が取りに行った。
本当は目を離したくはなかったけど、これからする話はお嬢様に聞かれるわけにはいかない。今のお嬢様なら突発的に行動して、最悪の事態に陥ることはないと自分に言い聞かせる。
そうして背を向けたままのクラウスと二人きりになった時、私はこう言ったのよ。
「お嬢様のこと、救ってくれる?」
クラウスだけじゃない。
『時間稼ぎ』のためにと声をかけたみんなは私と違って人間らしい。
だから、大丈夫。
より深く踏み込み、事態を悪化させるかもしれないという怯えに身がすくみ、救いたいと望むだけで『時間稼ぎ』だなんだと言い訳してお嬢様と向き合うことすら逃げてしまう私とは違うから。
だから、大丈夫。
詳しく事情を説明しなくとも、お嬢様のために力を貸してほしいと声をかけただけで快く了承してくれるようなお人好したちなら、絶対にお嬢様のことを救ってくれる。私よりも上手に、不必要にお嬢様を傷つけることなく。
だから、大丈夫。
一週間以上も足踏みして、結局は根本的な解決に乗り出せない腰抜けが動くよりもよっぽど効率的なのよ。
だから。
だから!
だから!!
「やなこった」
即答だった。
迷うことなく、振り向きすらせずに、クラウスはくだらないと言いたげに吐き捨てたのよ。
「…………、な、んで」
「なんでって、俺のほうが聞きたいくれーだ。なんだって俺がそんなめんどーなことしないといけねーんだよ」
お、落ち着くのよ、私。
そうよ、相手はクラウスよ。
なんだかんだ言いながら古物商店の売り上げを孤児院に寄付したり、時代の流れで失われた古代の医療技術などを無償で医療組織に提供したりと言動と行動の乖離が激しいこの男のこと。そうやって面倒だと言いながらも最後にはお嬢様のために行動してくれるはず! なんだかんだと『時間稼ぎ』にだって協力してくれているしね!!
……心の機微を読み取っても本気で断っているとしか判断できないけど、お嬢様関連で読み違えまくっている能力だもの。アテにはならないわよね!!
「や、やだな、クラウスったら。照れ隠しはいいから、ね? お嬢様のこと、お願い。もちろん私が今知っていることは教え──」
「しつけーぞ、クソボケ。何をそんな日和ってんのか知らねーが、その件に関しちゃ俺の出番はねーぞ。ぜってえにな」
「なんでよ……。クラウスは気づいていないかもしれないけど、お嬢様は見た目と違っていつ限界がくるかわからない状態なのよ? それほどまでに『何か』に傷ついていて、今にも自分で自分の命を捨ててしまうかもしれないんだよ!? だから、お願いよ……。私にできることなら何でもする。私のことなんて好きにしてくれて構わない!! だから、なんだって差し出すから、だから!!」
「ごちゃごちゃとうるせー奴だ」
椅子を吹き飛ばして立ち上がった私をクラウスは見ることすらなかった。
背を向けたまま、呆れたような色さえ混ぜてこう言ったのよ。
「俺なんかにてめーの全部を差し出してもいいと思うほどに成し遂げてーもんがあるってんなら、てめー自身でやりゃあいいだろうが」
「それじゃあ、普通を知らない私じゃ広く浅くしか完璧に対処できないのよ!! より深く、人の心の根幹に関わるような事態に対応する術は『教育』してもらっていないから!!」
「ったく。完璧だなんだくだらねーこと言いやがって。なんだって完璧じゃないといけねーんだ?」
「お嬢様のことなのよ? 完璧に、不必要に傷つけることなく! 安全確実に救いたいと望むのは当然じゃない!!」
「そんな方法はねーよ」
「な、ん」
「てめーが俺をどう見ていて、どんな風に期待を寄せているのかは知らねーが、人と人の付き合いに完璧も正解もねーよ。どうあっても別個の存在である以上、手探りで接していくしかねーんだし」
「……だったら、それでも! 私よりはうまくやってくれるはずで……っ!!」
「それじゃあ、聞くがよ」
やっぱり、クラウスは振り返りすらしなかった。それでいて真っ直ぐにこう問いかけたのよ。
「てめーのお嬢様、俺が救っちまっていいんだな? それでてめーは満足できるわけだ」
「そんなの……! あたり、前で……お嬢様が死なずに済むなら、幸せになれるなら、そのほうがいいに……決まっている、じゃない」
「ハッ! てめーらしくもねーことをよくもまあ吐くもんだ。こんなにも説得ない発言もねーわな」
「なっ!? 私のこと何も知らないくせに! 私がどんな想いでお嬢様のことを託していると思っているわけ!? 大体、こんなっ、私の本質さえ普通の人間だったら普通にお嬢様のことを救えたはずなのに!!」
「はいはいわけわかんねーっての。てめーを慰めてーだけなら一人でやってくれ。こちとら自慰を見せられて興奮する性癖は持ち合わせてねーし」
なあネネ、と。
クラウスは言う。
「もうちっとてめーの願望に素直になってもいいと思うぞ。それだけで救われるもんもあるはずだ」
「馬鹿言うんじゃないわよ。私の願望なんてどうでもいい。お嬢様さえ救われればそれでいいんだから!!」
クラウスは使えない。
だったらそれでもいい。
クラウスがいなくとも、他のみんながお嬢様のために行動してくれれば絶対にうまくいくはずなんだから。
普通の人間なら、より深く人の心に踏み込んで付き合える人たちなら、『教育』で培った広く浅く人の輪に入る能力を駆使せずとも私のような奴を輪の中に入れてくれたみんななら、絶対の絶対にお嬢様のことを救ってくれる!!
結局、私は何もできなかったけど、時間を稼ぐことはできた。今やっている体験コーナーのようにみんなはお嬢様と関わってくれた。人の輪の中に入れて、お嬢様の心に踏み込み、救ってくれる準備には十分よ。
「もういい。クラウスが動いてくれないなら他の人たちに頼むだけなんだから!!」
そうして古物商店を飛び出す私の耳に『誰に頼んだって答えは同じだと思うがな』なんていう言葉が届いたけど、振り切って走る。
大丈夫、みんななら何とかしてくれる。
普通の人間なら、普通に助けてくれるはずだから!!




