第七話 湯浴み
朝からベッドより転がり落ちて今日も可愛いお嬢様が醜態を見られたとあわあわしていたんだけど、それもようやく落ちついた……とはいえ、どこか顔が赤く染まっている。
そんなお嬢様の姿に私はパジャマパーティーの前にあった一幕を思い出していた。
ーーー☆ーーー
デートも終わり、屋敷に帰ったお嬢様は夕食をお食べになった。
となれば、もちろん(魔道具の量産体制が整った現代であれば一般家庭にまで普及している)お風呂に入ることになるんだけど、そうなると問題が出てくる。
一つ、王都で何かがあり、お嬢様は死を望むほどに傷ついていること。
一つ、お風呂で手首を切って死ぬってのはある種の定番であること。
一つ、それらを加味してお嬢様から目を離すわけにはいかないこと。
以上のことから導き出される答えは!!
『お嬢様、私と一緒にお風呂に入りましょう!!』
『……、何を馬鹿なことを言っているのですか?』
『馬鹿なこと? 私は真剣ですよ!!』
『はいはい、わかりましたから』
軽く流そうとしても、そうはいかない。
私は! お嬢様のためならなんだってやると決めたんだから!!
『そうやって有耶無耶にしようとしたってそうはいきませんよ! 絶対に、絶対の絶対に!! 一緒にお風呂に入っていただきますからねッッッ!!!!』
『なぜそんなに意固地になっているのですか!? この歳で誰かと一緒に湯を浴びるなど普通に恥ずかしいですし、相手がネネとなると違う意味で、その……』
『……? とにかく! お嬢様が何と言おうともこれだけは譲れません!! 例えお嬢様に折檻されようとも絶対にです!!』
『何がネネをそこまでかき立てるのですか!?』
身体を両手で抱き、恥ずかしげに身をよじるお嬢様。お嬢様の意志を無視して強要するなどメイドとして失格も失格、今すぐ腹を切って詫びるくらい当然の所業ではあるけど、これだけは譲れない。
ほんの少しだからと目を離して、その結果お嬢様を永久に失うことになる可能性が僅かでもあるのならば、メイドとしての矜持だって捻じ曲げるわよ。
私はお嬢様を助けると決めた。
これだけは何がなんでも譲ったりしない!!
『お嬢様!!』
『ひうっ!?』
勢いよく、それでいて痛みは感じないようお嬢様の両肩を掴み、引き寄せ、至近より見つめ合う。
いつもなら究極にして超絶なお嬢様のお顔に見惚れて頭が茹っていただろうけど、それ以上の想いが溢れていたので自分を見失わずに済んでいた。
『一緒にお風呂、入っていいですよね?』
『あ、ぁの、その……は、はい。よろしく、お願い……します』
私の熱意が伝わったのか、お嬢様は観念するように首を縦に振ってくれた。
……何やら顔が赤い上に「どうしてこんなに積極的なのですか」などといった言葉が漏れていたけど、ううむ。時々お嬢様の内心を間違って読んでしまう。
広く浅く、目立たずに、誰も敵に回すことなく人と付き合う術なら『教育』されている。その際に心の機微の読み方も習ってはいるけど、昔からお嬢様関連だとたまに読み違いをしてしまう。
私に好意を持っている、などと、そんなのあるわけがない。
生まれた頃から『役目』を果たすことだけを求められた紛い物など誰が好きになるものか。
こんなくだらない願望に惑わされ、正確な結果が導き出せないようになるからこそNo.5止まりなのかもだけど。
ーーー☆ーーー
スカイフォトン公爵家、それも領地にある本邸のお風呂場となれば一般的なそれとは規模の異なるのも当然だった。
端的に言おう。
脱衣所からしてメッチャ広い!!
使用人用のそれはまた別にあり、そのお風呂は一般的な家庭のものより多少豪華な程度だけど、公爵家の人間専用のものともなればもうとにかく凄い。
床一面が宝石のように煌びやかで、壁側には燭台を摸した魔道具があり爛々とした光を灯している。
全身がくまなく映るほどに大きな鏡もあり、その他にも様々な調度品で整えられていた。
お嬢様の趣味ではなくとも、公爵家としての格式を保つためにはこうした所まで手を尽くすのが当然と考えるのが今の貴族の常識だった。
一応メイドとして清掃や、お嬢様が王都に行くことになる前はお湯の準備などでも立ち入ったことはあるけど、自分が使う立場になるとなったらまた見方が変わってくるわね。
『あ、あの、ネネ。本当に、その、一緒に湯を浴びるつもりでございますか?』
『はい、もちろんです』
やばい、緊張してきた。
いや、まあ、必要なことなのよ? お嬢様を一人にして万が一のことがないとも言い切れないのだから常におそばにいるべきなのよ。
だけど、それはそれとして緊張するのも仕方ないわよね。だってお嬢様と一緒にお風呂なのよ? この世全ての金銀財宝をかき集めたって及ぶことなき美の極地、森羅万象あまねくがひれ伏すべき至高のお身体が晒されて、そんな、頭が茹ってきたよう!!
せ、せめて直視はやめよう。
別に視覚に頼らずともこれだけ近ければ万が一お嬢様が暴挙に至ろうとも他の感覚で察知・阻止できるしね。これが壁やら何やらを挟んでしまうと察知はできても阻止までは間に合わない可能性があるから下手に離れるわけにはいかないんだけど。……首吊りの時だって運良く間に合っただけだし。
というわけで私はメイド服に手をかけ、さっさと脱いでいく。もちろんこうして脱衣所に来る前にメイド服の内側に仕込んだ「アレ」や「ソレ」は他の場所に移しているのでお嬢様に物騒なものを見られる心配はない。
こうして武装解除しないといけない状況を招いているだなんて最強さんが知れば失笑でもされそうだけど。
『……ぅ、わ……』
しっかしお嬢様に背を向けて服を脱ぐってのは変な感じね。別に服なんてあってもなくても『役目』に支障をきたさないよう『教育』されてはいるから服を脱ぐこと自体はどうもないんだけど、こうしてお嬢様のおそばにいるのにお嬢様から目を離しているってのが違和感ありまくりなのよね。
『本当にそんなところまで……ぅ、うう…』
お嬢様がおそばにいるのにわざわざ他のものを見るなんて考えたこともなかったから。だってお嬢様だよ? 世界と比べたって余裕で優先するべき至高の存在が目の前にいるのにそれ以下の何かを視界に収める理由が理解できない。
『お嬢様? どうかしましたか?』
上を脱ぎ終わり、ロングスカートに手をかけた私は気配から動いてすらいないお嬢様に声をかけた。
貴族にしては珍しく着替えやお風呂に従者を伴わず、一人で行うお嬢様だから服が脱げないなどといった高位貴族あるあるが発動したわけでもないし、本当どうしたんだろう?
『いえ、その、ですね……。心臓が、ドキドキして──』
『心臓!?』
『ひえっ!?』
全身に嫌な震えが走ります。
だって心臓だよ? お嬢様は私を意識してドキドキしている、だの何だのまた読み違いしているので心の機微を読み取る能力はアテにならないとなれば、何らかの症状が出ているのかもしれない。
病、あるいは首吊り以外の方法として心臓に影響を及ぼす毒薬でも内服したのでは?
そこまで考えたら、冷静に思考を回すことなどできるわけがなかった。私は勢いよく振り返り、上を脱ぎ去っていて上半身がむき出しなことなど気にすることなくお嬢様へと詰め寄る。
『ドキドキとはどれくらいですか? 他に吐き気や頭痛などの症状は? いやです、私を置いて逝かないでください、お嬢様!!』
『ぁ……あうわ……』
『お嬢様!? もう言葉も発せないくらい症状が進行しているんですか!? どうすれば、誰かっ、そうだよ公爵家お抱えの医者を、失礼します、お嬢様!!!!』
『……ッッッ!?』
発熱まで出てきたのか、僅かに視線を下に下げたお嬢様は首まで真っ赤に染まっていた。もうこれは一刻の猶予もないと私はお嬢様を抱き上げました。
とにかく早く医者に見せないといけない。なので、不潔に感じられるとは思ったけど無駄に大きいせいでむき出しの胸部がお嬢様に触れてしまうのは我慢してもらわないと。
『ふ、』
『ふ?』
『ふきゅううううううううー……』
『お嬢様!? 嘘でしょう意識がなくなって、お嬢様ァァァああああああああああああああああああああああああああああああああ!?』
その後、急いで公爵家お抱えの女医に見せた結果、特に異常は見られないとのことだった。私の格好を指摘されたので一緒にお風呂に入るために私がメイド服を脱いでいる途中でお嬢様が心臓の症状を訴え、気絶したことを伝えるとなぜか呆れたようにため息をつかれたけど。
ちなみに目覚めたお嬢様はどうしてだか恥ずかしそうにしていて、パジャマパーティーのテンションまで持ち直すのに時間がかかったのよね。
だからこそ……。
「お嬢様」
「な、何でございますか?」
ベッドの上にちょこんと座り直り、恥ずかしげに身をよじるお嬢様へと私はこう切り出した。
「気分が悪かったりしないですよね?」
「……、はい? どうしてそんなことを言い出したのですか?」
「そんなのお顔が赤いからに決まっています!!」
「ふっぐっ!?」
「本当は苦しいのを我慢していませんか? いくら公爵家お抱えの医者が異常なしと診断したからといって絶対ではありません。気分が悪いなら悪いと素直に言ってくださいよ!?」
「え、ええと、その、何でもありません。本当に気分が悪いとか、そういったことはありませんので安心してくださいな」
「では、なぜそんなにも顔を赤くしているんですか!?」
「まだ追及しますか!? わたくしの口から言うのは恥ずかしいのでこれ以上は勘弁してください!!」
……何か隠している?
心の機微を読み取る能力はお嬢様関連に限り願望でも混ざるのかアテにならない以上、何があってもすぐに対応できるよう意識を集中しておかないと!!