第六話 悪意胎動
スカイフォトン公爵家には二人の子供がいる。
長子にして次期当主であるラグ=スカイフォトン、そしてその妹であるアリア=スカイフォトン。
次期当主という枠は埋まっている。であればアリアは公爵家の利益のために使い潰しても構わない。そう考えたスカイフォトン公爵家当主を止められる者はいなかった。……アリアを産んですぐに亡くなった公爵夫人であれば口添えくらいはできたのかもしれないが。
幸か不幸か、アリアは他の高位貴族と比べても類稀なほどに膨大な魔力を宿していた。優れた血筋とはすなわち魔力を多く宿す血脈に他ならないという『脅威』が国内であっても席巻していた頃の名残りから、膨大な魔力を宿すアリアは優良物件だったのだから。
そんなアリアの価値を高めるために公爵家当主は多くの著名な家庭教師を雇い、礼儀作法や教養など、令嬢として必要なことを叩き込んだ。それもまだ幼いアリアが潰れる寸前まで、だ。
常に公爵令嬢らしくあれ。
八歳の頃にはもう社交界の場でさえも非の打ち所がないと評されるほどにアリアは矯正させられていた。
スカイフォトン公爵令嬢という記号を出力するだけのモノ、すなわち公爵家に利益をもたらすことだけを追求するお人形に自我など必要ないと言わんばかりに。
だから。
しかし。
『お嬢様! 表情が固いですよっ』
一片の隙もない公爵令嬢に対して、他の有象無象と違ってネネだけは真っ直ぐな目でそう言ったのだ。
『大体、お嬢様はまだ八歳なんですよ? 公爵令嬢ってのは、こう、いつだって貴族らしくるべきなのでしょうけど、家の中でくらい年相応に過ごされてもいいと思いますよ?』
誰もがスカイフォトン公爵令嬢という記号を喜んで受け入れていたのに、ネネだけはその奥に隠れたアリアという一人の人間を見ていた。
『今のお嬢様の年頃といえば普通なら我儘放題の遊び盛りみたいですし、いやまあ一般人とは違うと言われると困るんですけど、とにかくもうちょっと気を抜くことを覚えてくださいっ。ね?』
かつて公爵家でメイド長を勤めていた女性の紹介で、彼女の養子であるネネはこの頃メイド見習いとして働いていた。
三歳年上の、物心ついた頃から一緒だった彼女は何ともなしに言うのだ。
『公爵令嬢たらんとして凛々しいお嬢様も好きですけど、素顔を曝け出しているお嬢様のほうが私は好きですしねっ』
『なっ、なな……っ! 好きって……!?』
そんな彼女がいたからこそアリアは公爵令嬢としての仮面を貼り付け、かつてはネネに向けて曝け出していた本音を隠すようになっても、完全に見失うことはなかった。
ーーー☆ーーー
世界には『脅威』が溢れている。
人間よりも遥かに強大な肉体や魔法回路を持つ魔獣、あらゆる薬が効かない不治の病を誘発する黒き幽体、大型無人兵器を筆頭とした『賢者』の負の遺産、魔力を喰らう白銀の魔蝶の群れ、その他にも基本的に人類が敵わないとされる外敵を『脅威』と総称している。
古代においては国家の内側にさえも『脅威』は席巻しており、力なき者は死に絶えるのが当たり前とされていた。
だが、時代は進む。
『脅威』を完全に撃滅することはできずとも、受け流すことはできる。
魔法的に強化に次ぐ強化を施した強固な壁で国境を覆ったり、『脅威』が避けるような音や光を放ったりとそもそも敵対しない仕組みを作り上げたのだ。
ゆえに現在の大陸の半分以上は『脅威』蠢く魔境と化しており、微かに残った土地をいくつかの国家が囲い、安全圏を構築している。
すなわち国境と国境の間には『脅威』蠢く魔境が挟まっているので、国家間の交流はなきに等しいということだ。
そんな大陸に存在する国家の一つ、レージスア王国の基本的な『脅威』対策は魔法的な強化が施された壁となっている。万が一『脅威』が迫っても破られないほど強固な壁は正式には魔道具──魔力を充填する性質を持つ魔石を核に、特殊な技術で構築した回路でもって人間でなくとも魔法を出力する装置である。
そんなレージスア王国の王都では次期国王との呼び声高い第一王子が顔を返り血で染め上げ、ニタニタと笑っていた。
王城の一室。
豪華絢爛な装飾品に埋め尽くされた、目がチカチカするほどに金ピカな第一王子の私室には彼以外の人間はいない。ゆえに本音を隠す必要はなかった。
「はは、ははは、はーっはははははあ!! 順調、順調、順調にもほどがあろう!! これほどまでにうまく進むとは、やはり我は天才であるなあ!!」
ギラギラとした金髪に碧眼の、見た目こそ誰もが見惚れる美形であったが、せっかくの整った顔も欲にまみれて歪んでいては台無しである。
気に入らないものは損得に関係なく切り捨てる。そうして何人もの人間の人生を狂わせてきた自覚すらない生粋の暴君は獰猛に笑う。人生を狂わせている『途中』の女を脳裏に浮かべて。
そんな彼の足元にはスカイフォトン公爵家当主が転がっていた。
手や足は歪にへし折れ、抉れた脇腹からは鮮血が噴き出し、一目で致命傷だとわかる有様だった。
血に濡れた唇を動かし、公爵家当主は言う。
「なぜ、ですか……? 私、は、貴方様の望むがままに……娘を献上したというのに……!!」
アリア=スカイフォトン公爵令嬢という商品は生まれながらの素養と壊れる寸前まで追い込むほどの教育によって第一王子の婚約者という利益をもたらした。
どんな令嬢よりも隣に置いておくだけの価値あるものとして評価されたからであり、次期国王との繋がりを得たスカイフォトン公爵家──いいや、正確には公爵家当主はこれまで以上の地位と権力を手にできるはずだった。
それが、まさかの婚約破棄。
しかもその理由が何の変哲もない男爵令嬢へアリア=スカイフォトン公爵令嬢が嫌がらせをしたからだという。
真偽などどうでも良かった。例えその嫌がらせとやらが本当のことだとしても、そんなことで婚約を破棄されるなど到底認められるわけがなかった。
だからこそ、こうして第一王子の下へと足を運んだのだが──
「ああ、それな。貴様は十分役に立ったであるぞ。単なる政略的な婚約という隠れ蓑を用意して、人の道がどうのこうのと煩わしい連中の目を誤魔化すために」
「な、にを……?」
「とはいえ、隠れてこそこそやる段階が過ぎれば貴様は用済みである。となれば、たかが公爵ごときが我に意見するなど万死に値するであろう?」
「ッ!?」
たかが、なわけがない。
王族を除けば最高位である公爵、しかもスカイフォトン公爵家といえば国内でも最大規模の勢力である。
例え国王といえどもぞんざいに扱うことはできない。だからこそ公爵はこうして第一王子に例の婚約破棄について追及するために足を運んでも無視されるわけがないと確信していたのだから。
そのスカイフォトン公爵家当主を、第一王子は虫けらでも眺めるような目で見下ろしていた。
「さあ、ここからが本番であるぞ!! はは、はははははははははははははははは!!!!」
今はまだ『途中』。
仮にも国内最大規模の勢力を誇る公爵家当主を──もちろん相応の護衛だって揃えていただろうに──難なく排除してみせた第一王子は笑う。
足元に転がる肉塊の頭だったモノを踏み潰しながら、高らかに。