第二十四話 吐露
目が覚めると、そこは私の部屋だった。
天井の僅かな傷や木目が目に入ればそれくらいは分かる。……こういうところからして『教育』の賜物であり、普通ではないんだろうけど。
「うーむ」
私は左手を持ち上げ、目の前に持っていく。握ったり開いたりして、一言。
「『暗器百般』、全部消し飛んじゃったなぁ」
失った左腕は元より、右腕や左足、断裂した全身の筋肉まで余すところなく癒されていた。リアナ=クリアネリリィ男爵令嬢の光属性魔法によってだろうね。
最強さんが何らかの目的で放り込んできた『元に戻す』治癒方式。
二度目の光属性魔法による治癒を受けた時点で『暗器』は数個しか残っていなかった。そこから全身余すところなく癒すほどに光属性魔法を受ければ、そりゃあ『暗器百般』が全滅したっておかしくないよね。
『ファクトリー』によって埋め込まれた他の生物の性質は全て取り除かれた。『自壊』という死のリスクはなくなったし、今の私は魂『だけ』で考えれば普通の人間と変わらないんだろうけど、だからといって普通の人間とは程遠いよねえ。
普通の人間は真剣に覚えようとしていなくとも、一目見ただけで天井の僅かな傷やら木目やらを無意識的に記憶、ここがどこであるか判別することはできない。
普通の人間は人を殺すことに対して何の忌避感も抱かないわけがない。
普通の人間はどす黒い私とは違う、もっとずっと当たり前に輝いている人たちのことを指すんだから。
「ま、それはそれとして」
私は視界の端で目を見開いている人影に視線を向ける。光り輝く金髪の少女。いつだって私の心に安らぎを与えてくれる救い。どうしようもなく大切で大好きな、唯一絶対のご主人様。
つまりは、
「お嬢様、おはようございます」
「ネネえっ!!」
「わっふ!?」
勢いよく飛びかかってきたお嬢様を私は万が一にでも怪我させないよう優しく受け止める。
私の首に両手を回して、絶対に離さないと言いたげに強く強く抱きしめられる……ことに、何も感じないわけがなかった。
おっお嬢様にっ抱きしめられっ、なんか柔らかくてあったかくていい匂いしてともう凄いんだけど何これ天国!?
「ばか……ばかばかっ!! 心配かけないでください!! もう二度とあんな無茶しないでくださいよ!?」
「ですが、あの場ではああするしか──」
「ネネ」
「あ、あはは。もうあんな無茶はしません、はい!!」
理屈とか何とか、私が戦わなかったらどうなっていたかなんて話ではないと感じさせられた。お嬢様が言っているのはそういうことではないんだろう。
はっきり言って完成に理解はできないけど、これもまた普通の人間の当たり前ってヤツなのかも。
「お嬢様、一ついいですか?」
「え、ええ」
どこか困惑した様子なのは私の声音に感じるものでもあったからかな。
「第一王子をやっつけた後にこう言いましたよね? 『今まで隠してきたネネの全てをわたくしに晒してください』と。……本当に、聞きたいですか? おそらくお嬢様にとってあまり心地よいものではないと思いますが」
「もちろん聞きたいに決まっています!! ですけど、目覚めたばかりで体力も回復していないでしょうし、話は後からでもよろしいのではございませんか?」
それは『向こう』次第だからね。あまり後悔は残したくない、ってのは単なる我儘なのかも。
「今がいいんです。駄目ですか?」
「いえ、ネネがそう望むのであれば構いませんわ。ネネの『違った一面』がどういったものなのか、教えてくださいな」
「では」
どこから話そうか、と悩んだのは一瞬で。
私はこう口火を切った。
「私は『本国』によってつくられたNo.5という人間兵器なんです──」
ーーー☆ーーー
長かった。
ベッドの上でお嬢様と向かい合って『私』ってヤツを曝け出すことになったけど、こうして話してみると私にもそれなりの積み重ねってのがあったのだと感じさせられる。
奴隷同士が流れ作業で産んだ私の魂は『ファクトリー』によって徹底的に弄り回され、多種多様な生物の性質を振るう人間兵器へと仕立て上げられた。
人間兵器として必要なだけの技術を『教育』され、また『本国』に忠実であれという思想を『教育』された。
同時期につくられた第一世代が肉体的、あるいは精神的に壊れていくことにも、そいつらを殺処分することにも何も感じなかった。
スカイフォトン公爵家にメイドとして足を踏み入れたのは『本国』より命じられた『役目』であった。別命あるまで待機というのはすなわち第一世代を運用するにあたりどんな不具合が生じるかの実験であったのだろう。
確かにスカイフォトン公爵家のメイドとして生きてきたのは『役目』がきっかけであったが、お嬢様にお仕えしたいというのは第一世代の人間兵器としてではなく、ネネという一人の人間が望んだものだということ。
一年前、本来の能力を発揮すれば王都に向かうお嬢様についていくだけの理由を用意できたはずなのに大人しく見送ってしまったのは『役目』に縛られてのことであり、所詮その程度の想いだったと言われれば否定はできないが、もう二度とそのような過ちは犯さないと誓ったこと。お嬢様が嫌だと言わない限りは、この命ある限りおそばにお仕えしたいのだと。
お嬢様のメイドでありたいと望んでいることを。
──親愛なるお嬢様のご希望だもの。嘘はつけないわよね。
「私は人殺しです。お嬢様のような普通の人間が忌避する存在なんです」
本当、何やっているんだか。
誤魔化そうと思えばどうとでもできた。他人と広く浅く付き合う方法論。『教育』で培ったものを駆使すれば『護身術として身につけていたものであり、あの時以外に誰かを殺したことはない』だとか『お嬢様をお守りするために無我夢中だった』だとか、それっぽいものを信じ込ませて、それ以上踏み込まないよう誘導することだってできたのに。
ああ、だけど、そんなことをしたら、私とお嬢様の距離は『それなり』にしかならないんだろう。
私は、期待しちゃっている。
お嬢様ならこんな私でも受け入れてくれるのではないかと。そんなことあるわけないのに。
『今まで隠してきたネネの全てをわたくしに晒してください。その上で、絶対に、わたくしは言ってやりますわ。それでも、貴女にそばにいてほしいと』という言葉に縋っているのよ。
そんなのは、私の正体を知らなかったからこそ言えたものでしかないのに。
だから、ほら、こんな醜い本質から滲む願望は簡単に砕けた。お嬢様の表情が歪んでいく。
そこに浮かぶのは、怒りだった。
だけど、あれ? これまで何食わぬ顔でお嬢様の近くに侍っていた悪党に対する怒り……じゃ、ない?
「どうしてそんな大事なことをもっと早く言ってくれなかったのですか?」
「どうしてって、こんな汚れきった本質を知られたらお嬢様に嫌われるかと──」
「ふざけるんじゃないわよっ!! ネネの人生は生まれた時から国家単位で踏み躙られてきたのですわよ? 魂を弄り、思想を埋め込み、決して裏切ることのない殺人兵器に作り替えられそうになったのですわよ!? それを、そんなっ、どう考えても一番悪いのは『本国』ではありませんか!! ふ、ふふ、戦争ですわ……。わたくしのネネを好き勝手傷つけてきた『本国』をやっつけてやります!!!!」
「おっ落ち着いてください、お嬢様!! 『本国』のことはもういいんです。『本国』がどうであれ、私の本質が変わることはないのですからっ」
「ネネ……。はぁ。確かにネネが一切悪くない、とは言いませんわ。いかなる理由があろうともその手を汚したことに変わりはないのですから」
「……っ」
「ですけど!!」
理解が、できない。
心の機微を読み取って出た答えに納得ができない。
私は人間兵器。
そうあるべしと育てられ、その通りに稼働してきた怪物。
『役目』だからとお嬢様を『賢者』の遺産の一括管理権限を獲得する生贄として蹂躙しようとした第二世代の二人組と何ら遜色ない悪意の塊でしかないのに。
「ネネはわたくしを救ってくれました!! 『本国』が埋め込んだ悪意を跳ね除け、『役目』を振り払い、わたくしのメイドとして生きたいと望んでくれたのでしょう? それが、それこそがネネの本質なのでしょう!?」
「お、じょう……さま」
「嫌うわけないじゃありませんか。わたくしに嫌われるなどとあり得ないことを考えるくらいネネを追い詰めた『本国』に怒りこそ沸いても、『役目』とやらを強要されてきたネネを嫌う理由などどこにもありません!!」
なんで、どうして?
私の本質は、奥底に眠るどうしようもなくドロドロとした『それ』は決してなくなるものではなく、一生ついて回るもので。
何をどう取り繕うともこれまでお嬢様に嘘をつき、素知らぬ顔でメイドとしてお嬢様の近くを這いずってきた裏切り者なのに。
お嬢様だって私が普通ではない、一般的に忌避するべき存在だってことくらいは理解しているはずなのに。
「隠し事はもうありませんか? でしたらしっかりと聞いてくださいよ」
わからない。
私にはお嬢様が笑顔を浮かべている理由がどうしても読み取れない。
「ネネがどんな人間であれ、それでも! 貴女にそばにいてほしいのです!! それが紛うことなきわたくしの本音ですわ!!!!」
眩い限りの好意。
こんなの、私の願望が読み違いを引き起こしているだけのはずなのに……っ!!
「ネネ」
強く、強く。
力の限り抱きしめられる。
「もう二度と離したりしないですからね」
卑怯だよ、お嬢様。
そんなこと言われたら、もう我慢できないじゃん。
「うん。……うんっ。私も、お嬢様と一緒がいいっ!!」
視界が滲む。
胸が苦しい。
気がつけば、私は生まれて初めて感情を吐き出すように声を張り上げて涙を流していた。




