第二十三話 光
紅蓮がリアナ=クリアネリリィ男爵令嬢を呑み込んだ。全身が焼け焦げた華奢な身体が倒れる。
ピクッピクッ! と指の端が震えているのでまだ死んではいないようだが、あの有様では死ぬのは時間の問題だろう。
(お嬢様は魔法を使えない。それなのに、先程放たれたのは炎属性魔法。つまり、憑依とは自身の魂を他者の魂に埋め込み、操る性質があるのね)
第一世代や第二世代がどうして人間離れした力を振るうのか、そして『自壊』がどうして起こるのかを考えればわかることだ。
魂に他者の性質を埋め込むことで引きずられるように肉体にその性質が出力される。つまりアリアの魂に『炎属性魔法の使い方という情報を持つ第二世代の女の魂』が埋め込まれれば、第一世代や第二世代と同じようにアリアの肉体で魔法を使うこともできる。
ゆえに魂が壊れれば、それに引きずられるように肉体もまた壊れる『自壊』というものも起こるのだが。
と、そこで水っぽい音が響いた。
アリアの腕が内側から弾けるように裂けていた。
(……ッッッ!?)
ネネの魂が張り裂けそうなくらい軋んだが、かろうじて怒りに思考を放棄しないよう堪える。今が正念場、ここで選択を誤ればアリアの命運もまた尽きるのだから。
アリアの腕が裂けたのはネネが『暗器』を開放する時と同じく、本来使えないはずの炎属性魔法を無理に放った反動だろう。
その反動もまた憑依が自己の魂を他者の魂へと埋め込むものだという証明になった。そうなれば心臓を貫く前に巫女服の女の生命反応が途絶した理由もわかるというものだ。
肉体が死ねば魂は霧散する。
逆に言えば魂が抜ければ肉体も死ぬのだろう。
(そういうことなら……もしも憑依魔法が発動する前にカナリアお手製の包丁を突き刺していれば、魔法の発動を阻止できていたかもしれないのに!!)
一瞬の差。
後一歩の差が勝敗を決した。
「あーあ、これだから普通の人間は脆くていけないデス」
ぷらぷらと裂けた腕を振りながらアリア(を操る第二世代の女)は言う。
「そうそう。ワタシは憑依によってアリア=スカイフォトン公爵令嬢を操っているデス。その範囲はこちらで調整できるものなんデスよ。例えば、顔だけ自由にしてやるとかデス」
途端に、であった、
邪悪に満ちた顔が、くしゃりと歪んだ。
アリア=スカイフォトン公爵令嬢、その意識が顔にだけ反映される。
「あ、ああ……わた、くし」
「お嬢様っ!?」
「わたくしっ、わたくしがネネの首にナイフを、それにリアナだって……っ!!」
「お嬢様。リアナ=クリアネリリィ男爵令嬢に関しては知りませんが、私のことであればそう気にしないでください。こんなの、大したことではありませんから」
数少ない『暗器』の中にこうして首にナイフを突き刺されても自然に会話できるくらい『誤魔化せる』ものがあってよかったとネネは口元を綻ばせてすらいた。
「必ずお救いします。ですのでもう少しだけお待ちください」
そういうことではない、のだろう。
アリアが案じているのは自分自身のことではなく、ネネやリアナのことなのだろう。
こんな状況にまでならないと受け止められない心の機微であった。いつもであれば読み違えだと断ずるような真実だった。
それでもアリアが己の命よりもネネに怪我をさせたことを気に病んでいるというのならば……、
「リアナ=クリアネリリィ男爵令嬢!! 私の怪我を治しなさい!! 怪我さえなければお嬢様の動きを止めて、憑依なんていうふざけた力をどうにかする方法を考える時間も確保できる!! だから!!」
そこで、アリアの顔が悪意に塗り潰された。
憑依によって埋め込まれた第二世代の女の顔が出る。
「へえ。頑なにあいつに治療してほしくなかったみたいなのに、どんな心境の変化デスかね。だけど、遅いデス。リアナ=クリアネリリィ男爵令嬢はすでにくたばっているのデスから!!」
だんっ!! と。
それは床に両手を叩きつける音だった。
「さっき、まで……散々嫌がっていたくせに、自分勝手なメイドさんなの……」
リアナ=クリアネリリィ男爵令嬢。
全身を炎で焼かれ、炭化している箇所だって多いだろうに、それでも自分の身体を治すことなく勢いよく立ち上がる。
優先順位。
彼女が自分よりも優先するものは一つしかない。
「それでも! 貴女に従うのがアリアさんのために繋がるとあの美人さんは言ったの!! その言葉にわたしは賭けてやるのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
大切で大好きなアリアのために。
そのためなら何だってできる。
光が、輝く。
陽光のように暖かい光がネネに向かって放たれたのだ。
ーーー☆ーーー
光属性魔法は希少魔法の一つである。
基本属性の魔法と同じく冠となる属性を操るという点は同じなので、具現化されるのは光の性質をそのまま再現したものとなる。
ただし、そこに光という現象には本来備わっていない治癒という性質が付加されるからこそ光属性魔法は希少属性とされている。
細胞分裂の促進、それが一般的な光属性魔法による治癒の原理だ。
「ふっふ」
リアナが放った渾身の光属性魔法がネネに注がれることはなかった。光属性魔法とネネの間にアリア(を操る第二世代の女)が割り込んだからだ。
間にある程度分厚い遮蔽物が挟まれば、その先に光は届かない。
「ふひゃははははは!! あの怪我で立ち上がったのは驚きだケド、所詮は無駄な足掻きデス!! まさかとは思いますケド、ワタシが妨害しないとでも思っていたデスかあ!?」
塞がる。
反動によって裂けるように壊れたアリアの腕が癒されていく。
起死回生に繋がる一手は取り上げられた。
そのはずなのに、
「もちろんあんたが妨害しないだなんて思っていなかったわよ」
「……、あ?」
何かがおかしかった。
溶けた左足の肉は少し前にリアナに治してもらっていたが、右腕は内側から弾かれるように肉が壊れた上にへし折れていて、左腕は丸々失われていて、音速超過の挙動の反動で全身の筋肉が断裂していて、何より首にナイフが突き刺さった満身創痍の少女は、しかし笑っていたのだ。
「敵が怪我を治そうとすれば妨害するのは当然の動きよね。そこまでわかっていて、どうしてもっと深く考えなかったのやら」
「な、にを」
「そういう一連の流れそのものをつくりたかった。妨害のために手っ取り早くお嬢様の身体を光属性魔法に晒すだろうその流れをね」
ーーー☆ーーー
『自壊』とは魂の崩壊に肉体が引きずられることで起こる『ファクトリー』産人間兵器特有の崩壊現象である。
一般的な光属性魔法とは細胞分裂の促進によって怪我を治す魔法である。
それでは、なぜリアナの光属性魔法はネネの溶けた左足を治すことができた? 左足の肉が溶けたのは『自壊』によるものだ。『自壊』とは魂の崩壊に肉体が引きずられることであるのだから、根本的な原因である魂をどうにかしない限りはいくら細胞分裂の促進で肉体を治しても意味はないはずだ。
つまり、前提が間違っている。
リアナの光属性魔法は細胞分裂を促進するものではない。
「気づいたのは最初にリアナ=クリアネリリィ男爵令嬢の光属性魔法を受けた時よ」
ネネは首に刺さったナイフを引き抜く。
「あの時、私の魂の崩壊は止まった。いいえ、正確には魂に埋め込まれた他の生物の性質が取り除かれた。だからこそ、他の生物の性質が埋め込まれたことで歪み、軋んでいた魂の崩壊は収まり、溶けた左足が治ったってことよ」
首から血が噴き出すが、気にすることなくネネは続ける。
「あの男爵令嬢の光属性魔法は既存のそれとは原理が異なるみたい。細胞分裂の促進なんてものではない、それこそ『元に戻す』ことで怪我を治すようなとんでもだったってことよ」
ゆえにリアナの光属性魔法は他者の生物の性質を魂に埋め込んでいる状態から異常なものを取り除き、正常な状態へと『元に戻った』。
ゆえにネネはリアナの治癒を受けるたびに他者の生物の性質という『暗器』、正常な状態では持ち得ないものを失っていた。例えば一度目の光属性魔法による治癒を受けた後の大男との戦闘で『暗器百般』などと呼ばれるくらい多彩な力をほとんど使わなかったこと。例えば大男に胸の中心を殴られ、死体のように力なく倒れた時、そう、二度目の光属性魔法による治癒を受けた際に『ほん、とう……無茶苦茶な……。ほとんど、なくなっ……でも、音速超過が残っている、なら……ごぶばふ!?』という発言があったことからも分かる通り、あの時点で音速超過の『暗器』を含めて手持ちの『暗器』はほとんどなくなり、数個しか残っていなかったのだ。
対象を『元に戻し』、もって生物だろうが無機物だろうが癒す光属性魔法。では、それを『ファクトリー』によって他の生物の性質を埋め込むようにアリアの魂へと第二世代の女という魂を埋め込んでいる状態に注げばどうなるか。
全ては『元に戻る』。
アリアの魂より異常の原因である第二世代の女の魂が追い払われる。
「はっきり言えばさっさと使いたかったものだけど、カナリアお手製の包丁と同じでネタが割れれば簡単に対処できるものだからね。大男と同じくきちんと油断させて、隙を作り、確実にぶつけさせてもらったわ。……まあ、もう聞こえてはいないだろうけど」
もしも第二世代の魂が巫女服の女の肉体の中に収まる、つまりは『元に戻って』も手遅れだろう。なぜならその肉体には魔力を『払う』カナリアお手製の魔剣が突き刺さり、肉体的な死を与えているのだから。
万が一第二世代の女が何かしらの奥の手を隠していようとも、その全てを無力化して確実な死を与える。
……全ては大男との戦闘でもそうだったように本命の武器を隠しながら演技でもって確実に『暗殺』できるよう立ち回った結果であるが、ほとんどはその場その場でのアドリブありきでもあった。それでも最後に望む結果が得られたのならばそれで十分。
「お嬢様」
ネネは言う。
『元に戻り』、もう何者にも縛られることはなくなったアリアに。
「約束通り、生きてお嬢様のおそばへ帰ってきましたよ」
そう告げるのが限界だった。
直後にネネの意識は寸断された。




