第二十一話 巡り巡った果てに
「……ネネ……?」
しばらく、アリアは何が起きたのか理解できなかった。
そもそもにおいて婚約破棄から始まった一連の流れからして理解しているとは言い難い。
第一王子がアリアを婚約者に選んだのはスカイフォトン公爵家との繋がりを強固なものとするためではなく、アリア自身の魂が狙いだった。
魂は魔力の塊であり、その量を後天的に上げるには喜怒哀楽とにかく強い感情を誘発する必要がある。ゆえに他の人間と比べて膨大な魔力を持つアリアを王妃教育や婚約破棄という建前でもって虐げ、負の感情を誘発し、『賢者』の遺産の一括管理権限を手に入れる条件を満たそうと第一王子は考えた。
『賢者』と同等の魔力量を持つ者のみが遺産の全てを掌握できるという安全装置を突破できる可能性があるアリアは第一王子の企み通りに死を望むほどに負の感情を埋め込まれ、第一王子の思惑通りに魂を育てていった。
件の第一王子自体はネネが瞬殺したが、『脅威』の一角に数えられるものも確認されている『賢者』の遺産を狙う勢力は他にもあった。それが大男と巫女服の女の二人組。ネネはその正体に覚えがあるようだが、アリアは二人組について正確なところは何もわかっていない。わかっているのは彼らもまた『賢者』の遺産を狙っているということ。その悪意はアリアだけでなく、(アリアに負の感情を埋め込むために)ネネも標的と定めていた。
つまり。
だから。
アリアのそばに、ネネが転がっていた。
まるで見せつけるように、メイド服の少女は力なく倒れている。
まったくもって身動きのないその姿。
まるで死んだように──
「リアナっ!! 早く、早くネネを治してやってください!!!!」
「え、あ、でもさっき」
「いいから、早く!!」
「わっわかったの!!」
ぱぁっ、とリアナのかざした手から陽光のような暖かな輝きが迸った。光と同じ性質に治癒という性質を付随させた光属性魔法である。
「まだ、安全装置の解除には足りないのかァ」
アリアがネネより渡された黒い球体を見やった大男はそう呟き、無造作に歩を進める。
音速超過での挙動さえも成し遂げるネネを倒した怪物が、だ。
「アリアさんっ。あれっ、来ているの!!」
「それがどうしたのですか!? そんなことより早くネネを──」
そこで。
ぱんっ、と光輝くリアナの手が払われた。
そう、跳ね動いたネネの腕によって。
「ほん、とう……無茶苦茶な……。ほとんど、なくなっ……でも、音速超過が残っている、なら……ごぶばふ!?」
「ネネっ。大丈夫ですか!?」
「お、嬢様……」
今にも消えそうなほど掠れた声だった。
左足の肉が溶けるように剥がれたのは光属性魔法でほとんど治っていたが、右腕の内側から弾けるように壊れた上にへし折れた箇所はある程度しか治っておらず、左腕など未だ失われたままなのだ。
何より大男の拳をまともに受けて、肋骨や内臓がぐちゃぐちゃになっているだろうに、ネネは床に手をつき、四つん這いにも似た格好でこう言ったのだ。
「私が、時間を稼ぎます。……その間に、逃げて……ください」
「ネネ?」
「あれは、私なんかが倒せる相手では……ありません、でした。せめて、お嬢様だけでも──」
「何を言っているのですか!? ネネを置いて逃げられるわけないでしょう!?」
「ですが──」
「ですが、ではありません!! 生き残るならネネと一緒に、それが無理ならせめてネネだけでも生き残るべきなのです!! わたくしだけが生き残る道などございません!!」
「お嬢様……私には、そんな価値……」
「ネネが自分のことをどう過小評価しようとも、わたくしがネネのことを世界で一番大切に想っている事実は変わらないのでございます!!」
直後、声が挟み込まれる。
「もうそろそろ茶番は終わりでいいかァ」
大男が間合いに入る。
信じられないことだが、即死級のダメージを与えても即座に復活する不死身の化け物が無造作に迫る。
「そちらが何をどう望もうとも、末路は変わらないだろォよォ。第一世代の不良品は殺処分、アリア=スカイフォトン公爵令嬢は必要なだけ魂を増幅させてから『賢者』の遺産の一括管理権限を得る鍵として使い潰される、それ以外の道はどこにもないんだからなァ」
怪物は右拳を握りしめていた。
無敵の防御力を誇る魔獣リヴァイアサンの無属性魔法。『脅威』の一端を振るっているなどと自称する力が集う。
「ふ、ざけ……るんじゃ、ないわよ!!」
ブォンッ!! と空気を裂く音が響く。
ネネのメイド服の内側からナイフや毒針などが飛び出し、大男へと投げつけられた音である。
そんなもの、通用するわけがなかった。
無敵の防御力を誇る右拳をぶつけるまでもなかった。腕の一振りで投げられた隠し武器は弾き飛ばされた。
「させ、る……ものか。お嬢様を、あんたたちの好きになんてさせるものかあ!!」
まるで幼子が癇癪を起こしたような有様だった。がむしゃらに武器を投げる、ただそれだけ。
もう、打つ手はない。
追い詰められたのだと感じさせる姿だった。
それでも、アリアはネネのそばを離れようとは思わなかった。生き残るならネネと一緒に。それが無理ならネネだけでも。それさえも不可能であるのならば──せめて一緒に死を迎えよう。
もうネネと離れ離れになって生きるつもりはなかった。
「哀れだなァ。哀れで仕方ないぞ、同類ィ!!」
拳が、飛ぶ。
先程ネネを圧倒した一撃が迫る。
そして。
そして。
そして。
ーーー☆ーーー
ザッッッン!!!! と。
大男の右拳が裂けた。
ーーー☆ーーー
「な、にィ──ッ!?」
最後にネネが手に取ったのは近くに落ちていた木箱だった。ネネが第一王子と激突する前に床に置いていたそれを下から上に振り上げ、右拳を迎え打ったのだ。
もちろん木箱など魔獣リヴァイアサンの性質を秘めし拳の前には無力だった。粉々に砕け、そして『中身』が無敵の性質を誇るはずの右拳を魚をおろすような気軽さで両断したのだ。
「こんな演技で油断するなんて、第二世代もちょろいものね」
驚愕に目を見開く大男。
そこまでだった。ネネは『中身』を思いきり振り切った。腕に、肩に、そして頭にまでするりと走った『中身』は鮮やかに大男を両断したのだ。
べろりと真っ二つに捌かれた腕や頭が力なく左右に広がっていく。遅れて血が噴き出す。
だが、大男には魔獣ヒュドラの再生魔法がある。そもそも無敵の防御力が突破されたこと自体が驚嘆に値することではあるが、この程度の損傷であれば問題なく塞ぐことができる……はずだというのに、だ。
大男の傷が塞がることはなかった。
ネネの類い稀な感覚は大男の生命活動の停止を感じ取っていた。
そう、一撃でもってあの不死身の第二世代を殺害してのけたのだ。
「こんなことに使ったってバレたら、カナリアに怒られるだろうなぁ」
ネネは右手に持った木箱の『中身』をくるりと回す。太陽の光を反射して『中身』は鮮やかに輝いていた。
包丁。
形こそ調理器具の一種だが、その性能は調理器具に分類するには突き抜けたものだった。
──少し前に『……ご注文の品、公爵令嬢様に渡しておいて……』とカナリアに言われてネネはその木箱を受け取っていた。
大規模魔法さえも『払う』魔剣を打つことができる数少ない鍛冶屋、そこに間違いなく最年少という冠がつくだろう天才少女であるカナリア。そんな彼女に『時間稼ぎ』の名目で注文したのはヒュドラの毒さえも『払い』、調理できる包丁であった。
もちろん意味合いとしてはヒュドラの肉に染み込んだ無属性魔法由来の毒素を『払う』包丁、というものであったが(そのレベルの魔剣を打つことができる人間も王国に十人もいないのだが)、
『この包丁……ヒュドラの肉に染み込んだ毒素はもちろん、試してないから想定の中の話ではあるけど……ヒュドラの毒そのものだって「払う」ことができるんだから……!!』
『ん? なんでそんなとんでもないものが出来上がっちゃったの!? そんなの世界中の誰にだって不可能な偉業なんだけど!?』
『……ネネが、悪いんだもん……』
『はい?』
『ネネが「さてさて、カナリアっ。うちのお嬢様はヒュドラ用の調理器具をご所望だけど、はてさてちょろっと無茶振りかなー?」なんて言うから……!! ほら、どう……!? ちゃんと用意できたよ……!!』
『いや、あの……一言一句覚えるくらい気にしていたわけ?』
『うん……!!』
『あーその、なんかごめん』
『……違う』
『ええと?』
『ここは褒める場面のはず……!!』
『あ、そうなんだ。そっかそっか。うーむ、多少は慣れたつもりだったけど、普通って難しいなぁ』
『ネネ、早く……っ!!』
『はいはい。──ごほん。魔獣の無属性魔法を「払う」包丁を打つことができるのはカナリアくらいよ。本当凄いと思うわ』
『ふふん……っ! そんなこと、あるかな……!!』
人間兵器としてのネネの側面は『こんなとんでもない魔剣、所持しているだけでも新たな闘争の火種になりかねないんじゃ?』という危惧を浮かべていたが、まあカナリアが嬉しそうだしこちらで帳尻合わせればいいか、などとネネの柔らかな本質は判断を下していた。
それが巡り巡って無敵だろうが再生だろうが関係なく、大男が纏うあらゆる無属性魔法を『払い』、無効化して、第二世代を撃破することができたのだから人生何がどう繋がるかわからないものである。
二の足で、しっかりと立つ。
最悪なことにリアナの光属性魔法である程度癒やされてしまったのでこうして動くことくらいはできる。
「まあカナリアには後で謝るとして」
ネネはアリアに視線を向ける。
何が起きたのか飲み込みきれていない──心の機微を読むに自分と一緒に死ぬつもりだったくらいに諦めていたアリアへと。
「約束したはずですよ、お嬢様。生きてお嬢様のおそばに帰ると」
「ね、ね……」
「もうちょっとだけ待っていてください。こんなくだらない闘争、終わらせてきますから」
「はい……はいっ!!」
元気が出たようだと一つ頷き、ネネは視線を最後の敵に向ける。
どんな魔剣よりも高性能な魔力『払い』の性質を宿す包丁を少し離れた位置に立つ巫女服の女に突きつけ、ネネはこう告げた。
「次はあんたの番よ。ちゃちゃっと殺してやるからその首差し出しなさい」




