第十一話 急転直下
クラウスの奴がお嬢様のこと見てくれているだろうとはいえ、お嬢様から目を離して随分と遠回りしてしまったわね。
やるべきことは初めからわかっていて、でも自分では完璧に対処できず不必要に傷つけてしまうだけだと足踏みしてしまった。
だけど、そんな停滞には何の意味もない。
私はお嬢様を救いたい。幸せになってもらいたい。そのために私にできることがあるならなんだってやってやる。
みんなが私が動くべきだと背中を押してくれるのならばそうするべきで、何より私だってそうしたいと望んでいるんだから。
と、その時だった。
大通りを走っていた私にちんちくりんな銀髪の少女── 大規模魔法さえも『払う』魔剣を鍛錬可能な数少ない天才鍛冶屋のカナリアが声をかけてきたのよ。
「あ……ちょうどよかった……」
「カナリア?」
じっと何かを見極めるように私を見上げたカナリアは一つ頷き、
「もう、大丈夫そう……。なら、これ頼んでいいかな……? さっき渡し忘れていたもの……」
そう言ってカナリアは肩幅ほどある木箱を差し出してきた。
「……ご注文の品、公爵令嬢様に渡しておいて……」
ーーー☆ーーー
アリア=スカイフォトン公爵令嬢は古物商店に隣接している小屋にある竈の中で燃え盛る炎を見つめていた。
気がつけばネネはいなくなっていて、クラウスも『もう慣れたみてーだし、俺が見てなくても大丈夫だよな?』などと言って姿を消していた。
ゆえに、一人。
こうして一人でいると嫌でも王都でのことを思い出してしまう。
時系列などぐちゃぐちゃで、洪水のように荒れ狂う恐怖と絶望の記憶がアリアの魂を圧搾していく。
「う、あ……」
それでも、焼き上がった二つ目の土器を割らないよう棚に置くだけの余裕はあった。
帰ってきた直後の、衝動的に首を吊ろうとした時だったならば何も考えられず泣き叫ぶだけだっただろうに。
「……ネネ……」
メイドとしては可もなく不可もない技量の持ち主で、人付き合いも良好な、気がつけば輪の中にいるが目立つことはない少女というのがネネに対する一般的な印象だろう。
だが、アリアはこう思う。
ネネは不器用な少女なのだと。
体験コーナーとして確立するくらいには難易度を抑えているというのに古風な土器の作成がままならなかったこともそうだが、常識的な範疇から外れると途端にうまくできなくなる。
だからこそ、アリアは二つ目に手を出した。
自分で焼き上げたものをあげたいと、お揃いが欲しいと、そう望んだから。
それだけの余裕がある、とも言えるが。
「ネネ」
噛み締めるように、彼女の名を紡ぐ。
それだけで心の奥底にまで刻まれた『傷』の痛みが軽減されるようだった。
恐怖や絶望がなくなりはしないけど、突発的に死にたくなるほどではない。
「ああ、わたくしはこんなにもネネのことを──」
そこで、言葉は途切れる。
その理由は……、
ーーー☆ーーー
クラウスの古物商店は大通りから外れた、薄暗い路地にある。
儲けることが目的ではなく、古代文明に隠された秘密を探究することが目的なので『副産物』を売り払うことは重要視しておらず、立地は気にしていないということだ。
そんな古物商店に辿り着いたネネは扉に手をかけた状態で一息つく。
瞳を無機質に固めて、ゆっくりと扉を開けていく。
そこには三人の屈強な男が待っていた。
格好こそならず者のようであるが、隠そうとも隠しきれない技量がそこにはある。
騎士、それも一般のそれよりも上の者たちであろう。ネネであればそれくらいは簡単にわかる。
古物商店に踏み込んできたネネを見て、三人のうちロン毛の男が口を開く。
「よお、メイドさん。早速で悪いが、大人しくついてきてくれないか?」
「お嬢様……アリア=スカイフォトン様は?」
「はっはっ! 開口一番にそれとは職務に全うなことだ! なぁに、メイドさんの愛しいお嬢様は他の奴らが先に連れていったが、怪我なんかはさせてないから安心してくれ。まあ、それもメイドさんが素直についてきてくれるなら、という注釈つきだがな」
「クラウスは?」
「あん?」
「ここに、もう一人いたはずだけど」
「そいつに関しては知らないな。ここには公爵令嬢しかいなかったからクラウスとやらには手は出していない。目撃者は消す、なんてありきたりな展開にはなってないってことだな」
「……、嘘は言っていないようね」
ネネは木箱を脇に抱えたまま、無機質な瞳でロン毛の男を見据えていた。その瞳には僅かな怯えさえも混ざっていない。
「気味悪いな。テメェの主人拉致られたってのになんだってそんな冷静なんだか」
まあいい、と吐き捨て、ロン毛の男は手のひらをネネに向ける。
「とりあえずしばらく寝ててくれ」
瞬間、ロン毛の男の魔法が発動。
ネネの周囲の空気から酸素だけが取り除かれ、操り人形から糸を切ったように力なく崩れ落ちた。
ーーー☆ーーー
──退屈な任務ですねえ。仮にも第一王子直属の近衛騎士がやるようなことですか?
──ぼやくな。スカイフォトン公爵を殺したと同時に第一王女を除く主要な連中を始末し、世間にバレないよう王国の実権を握ったとはいえあのお方の手足となるのは俺たちのみなのだ。そう、俺たちの価値を認め、残してくれるというのだ。その期待に応えるのが騎士たる者の務めだろう。
──真面目な奴やなぁ。『脅威』に怯え、媚を売るような惨めな真似をするくらいならその他大勢を犠牲にしてでも自由を謳歌したいくらい言えっての。何が古代と違って現在は国内の安全は確保されている、だ。いつ破られるかわからない箱庭の中で飼い殺しにされるなんざごめんだっての。
──何はともあれ、これで仕上げとなる。『アレ』の起動の条件を満たすためにもメイドさんにはきちんと死んでもらわないとな。
──上げて落とす、でしたっけ? 我らが第一王子様は随分とえげつないこと考えますね。
──そうかぁ? 目的のためなら手段を選ばないのは普通だっての。おっ、王都が見えてきたなぁ。それじゃあさっさとこのメイドを公爵令嬢の目の前でぶち殺して、『脅威』と対等にやり合う力を獲得……ぶ、ばっ!?
ーーー☆ーーー
赤い液体が噴き出す。
彼女の全身を染める。
そうあるべしと言わんばかりに。
「…………、」
酸素濃度の減少を感知、気絶したフリをしながらも意識を保ち、油断しきって情報を吐き出した三人の男を迅速に処理する。
ネネという人間の身体能力ではそんなこと不可能であるはずだった。
だが、現実として三人の男はそうして殺害された。それこそ至近距離より『暗殺』でもされたように。
「…………、」
赤が世界を染める。
三人が三人ともに首を断ち切られ、即死していた。
騎士の中でも上位に君臨する実力者、第一王子直属の近衛騎士たる本領を発揮する暇もなく殺されたのだ。
「…………、」
下手人たる少女の手にはナイフが握られていた。先程まで何も握っていなかったはずなのに、どこからともなく取り出して瞬く間に三人の命を奪った得物である。
No.5、あるいは『暗器百般』。
己の本質を見せつけられた心地であった。
「それでも」
だけど、少女はそこで終わらない。
上空数百メートル。王国保有の古代の遺産によって脳の機能が破損・調整されたことにより、特定の人間の命令に従うだけの操り人形となった八メートル級のワイバーン──あくまで魔法回路は持たない獣──が巨大な翼を羽ばたかせて空を飛んでいた。
そのワイバーンの背の上で男たちの死体を蹴り捨てたメイド服の少女は前方を見据える。
ワイバーンに命令を出せる人間は殺した。
ゆえに最後の命令に従ってワイバーンは目的地へと飛んでいく。
つまりは彼女やアリア=スカイフォトン公爵令嬢の誘拐を指示した黒幕の下へと。
「どれだけ醜い本質を解放することになろうとも、お嬢様だけは救ってみせる」
メイド服の少女──ネネは一度瞼を閉じて、開く。
無機質な瞳、その奥に微かな熱を滲ませて。




