第十話 決意
『みんな』と私が知り合った経緯に特別なことは何もなかったし、『教育』で習った通りに広く浅く付き合う方法論を使ってもいない。
気がつけば、輪が広がっていた。
きっかけなんて思い出せないほど自然に、普通に、私のような歪な存在とも仲良くしてくれた。
それが、普通の人間というヤツなのよ。
広く浅く付き合う方法論とか、心の機微を読み取るとか、そんなことするまでもなく輪を広げられることを普通にできるものなのよ。
だから、気がつけば私は『役目』に関係なくみんなと付き合うようになり。
だから、気がつけばお嬢様がいなくなり、それでも『役目』からは逃れられない苦しみを、心の奥深くにまで根付いた想いを吐き出してもいいと思えていて。
だから、お嬢様がいなくなってからの一年もみんながいたから何とか持ち堪えることができたのよ。
特別な『役目』がなくとも、心の機微を読み取ることができなくとも、普通の人間であれば当然のように心の奥深くまで踏み込み、寄り添い、救うことができる。そうして私のような奴さえも支えてくれたみんななら私と違ってお嬢様のことも救ってくれる。私よりも上手に、不必要に傷つけることなくよ。
絶対に、そのはずなのに。
なのに、なのに!!
「なんでみんなお嬢様のこと救ってくれないのよ、ばかあ!!」
「あらあら」
シルフィーネ衣服店の女店長さんが柔和に微笑んでいた。まあこの人も私のお願い即答で断ってくれたんだけどね!!
「なんで? クラウスだけならともかく、カナリアも『……なんでそうなるのかな……?』とか言うし、ヘレンもディーラもアンジェリカもアーサーもオルヘニアもバジルもニュージリカもウルティカもカインもキリアもコキューンもソーサラーもタバサもツァリナもトトもナインもヌウもノースバリィもハーピィもノアもリザルもルカもティティもイーサンもロンドレットもバーサズも、他にもとにかくみんながみんな即答で私のお願い断るってなんで!? お嬢様を助けて欲しい、それだけなのに……。私のような奴さえも受け入れてくれたみんななら普通にできることなのに!!」
「ネネさんは普通というものを随分と特別視しているのねえ。あら? 普通を特別視って矛盾しているわねえ」
「店長さんっ。私、真剣なんだけど!?」
「あらそう? だけど、別に私も含めて誰もふざけてなどいないと思いますよ? 幼いご友人さんのためならいくらでも力を貸しますけど、今回に限っては私の出番はなさそうですから」
「……、クラウスみたいなこと言ってる」
でも、だからこそ、わからない。
「なんで? 私よりもみんなのほうが普通に、当たり前のように、きっかけなんてどうでも良くなるほど自然に、お嬢様の心の奥深くまで踏み込んで、寄り添って、救ってくれるはずなのに」
「それは買い被りすぎですわ。ネネさんのことですから『時間稼ぎ』とやらを頼むことで公爵令嬢様と私たちを接触させて、それをきっかけに公爵令嬢様が抱える何かに対応してもらおうと考えていたのでしょうけど……正直、少し話した程度で何かできるほど私も他のみんなも優れているわけではありません。ネネさんが言った通り、私たちは普通の人間ですから」
「そんなことないっ。だって私は、支えてもらった! お嬢様がいなくなって、それでも『役目』を振り払ってでもお嬢様のもとに駆けつけることもできなくて、悲しくて寂しくて壊れてしまいそうな時、みんながいたから持ち堪えることができた!! そうして救われた!! だから!!」
「それは、私たちの成果ではありませんわ」
「……な、にを……」
「もちろん私たちもネネさんの力になれたのでしょうけど、真なる意味でネネさんを変えたのも、救ったのも、あの公爵令嬢様でしょう? ふふっ、毎日のようにあんなにも輝いた目で公爵令嬢様の話を聞かされればそれくらいわかるというものですわ」
それは、もちろん、私が変わることができたのも救われたのも幼い頃、まだ公爵家での教育が本格的になる前のお嬢様の一言があったからよ。
だけど、それはまた別問題のはず。
だって、だって!!
「ネネさんは公爵令嬢様のことが大好きなのでしょう?」
「もちろん!!」
「ならば、その想いに従って、ネネさんの心のままに行動すれば良いのです。ほんの少し話した程度の、知り合いでしかない私たちよりも、ネネさんの言葉のほうが公爵令嬢様の心に響くでしょうしね」
「……それも、クラウスが似たようなこと言ってた」
そんなわけない。
私のような歪な存在が人の心の奥深くにまで踏み込んだって完璧に対処できるとは思えない。
だって、私は人間を基本としているだけで、その内側には多種多様な情報を組み込んだ道具でしかなくて。
だって、私はNo.5と番号で識別されるだけのもので、ネネという名前は公爵家に侵入するために用意した偽造の一環でしかなくて。
だって、私は、わ、たしは……普通、じゃないから。
「ネネさん」
「んっぶ……!?」
いつのまにか近づいていた店長さんが私の頬を左右から手で挟む。真っ直ぐに私を見て、穏やかに微笑んで、包み込むように彼女は言う。
「難しく考えすぎですわ。ネネさんがどういう存在であれ、そんなものはどうでもいいのです」
「そんにゃ、こと……」
「そんなこと、ありますわよ。なぜならネネさんと一緒にいた公爵令嬢様は楽しそうにしていましたわ。ネネさんが救って欲しいと頼み込むような『何か』に苦しんでいることを感じさせないほどに、ネネさんがそばにいるだけでも公爵令嬢様は救われているはずです」
「……、本当に?」
「ええ。ですから」
頬から手を離した店長さんはそのまま私を抱きしめました。まるで泣きじゃくる幼子をあやす母親のように。
「ネネさんなら、いいえ、ネネさんだからこそできることがありますわ。それは誰かに正解を教えてもらうものでも、他の誰かが変わってあげられるものでもありません。ネネさんと公爵令嬢様、二人が培った絆からしか導き出せないものなのですから」
「……私は、普通じゃないけど、大丈夫?」
「私はその普通じゃないという発言の意味はわかりません。ですけど、ネネさんの正体が何であれ、私の大切なご友人であることには変わりありません。それは、私なんかよりもずっとずっとネネさんのことを想ってくれている公爵令嬢様だって同じだと思いますわよ?」
「そう、かな? そうだといいけど」
しばらく私は店長さんの言葉を噛み締めていました。
息を整えて、気持ちを整理して、覚悟を決めて──そうして暖かく安らかで、だけど停滞でしかない腕の中の優しい心地を振り払うように一歩離れます。
「ありがとう、店長さん。私、頑張ってみる」
随分と遠回りをしてしまったけど、もう大丈夫。
誰かに縋って、頼って、結末を委ねて、目を逸らすんじゃない。
お嬢様を救いたい。
幸せになってもらいたい。
そのために私にできることがあるなら、いいや、できるできないじゃない。成し遂げてやるのよ。
「待ってて、お嬢様! 完璧にはできないかもだけど、不必要に傷つけてしまうかもしれないけど!! それでも、私はお嬢様を救いたい、救ってみせる!!!!」
ーーー☆ーーー
メイドがシルフィーネ衣服店を飛び出してからすぐに、店内に踏み込んでくる影が一つ。
ボサボサの黒髪に気だるく澱んだ黒目、何より身につけている服が穴だらけで薄汚れていてと散々な有様である青年に女店長は微かに目を細める。
豊満極まる胸部を膝で支えて、手のひらを頬にやった年齢不詳の女店長は言う。
「クラウスさん、身なりはきちんとして欲しいと何度も申していますよね? 何ならいくつか衣服を差し上げてもよろしいのですけど?」
「別にいい……ですよ。どうせ古代文明の遺跡だなんだ漁るのに夢中ですぐ汚れるんだしな……ですよ」
「無理に敬語を使おうとしなくてもよろしいですわ」
「いやあ、俺なんかよりも一回りも二回りも年上の女性相手にいつも通りってのは──」
「そんなに年上に見せます?」
「ッ!? てっ店長さんはお若いなあ!! 敬語とか使わなくてもいいくらいに、はい!!」
「あらあら」
いつも柔和な、母性の象徴のような存在は笑顔のままなのに凄みが感じられた。それこそあのクラウスが思わず背筋を正すほどに。
そんなクラウスを前に衣服店の店長らしく流行に合わせるのではなく流行を作り出さんと言わんばかりに見慣れない、それでいて人の目を引く格好をした彼女は話題を変えるように言葉を紡ぐ。
「それよりも、何か御用でも?」
「別に。ただ、まあ、どこぞの馬鹿はどうだったかと思ってな」
「ネネさんならもう大丈夫ですわよ」
「なら、いい。俺じゃうまく背中を押してやれなかったみてーだが、店長さんがうまくやってくれたようで何よりだ」
「そうですか? クラウスさんの言葉があったからこそだと思いますけど」
「ハッ! 下手な慰めはいらねーよ」
がしがしと頭をかきながら吐き捨てるクラウス。
「しっかし、あの馬鹿も自分は普通じゃないだなんだくだらねえもんをさっさと吐き出せってんだ! ったく、何をそんな気にしてやがるんだか。てめーでてめーを責めて、傷つけたって何の解決にもならねーってのに」
「いつの日か話してくれると思いますよ。その時、そんなことを気にしていたのかと笑い飛ばしてあげればネネさんも少しは楽になるかと思いますわ。……今はまだ、伝わらないようですけどね」
「そりゃそうなんだろうが……だがなあ」
「公爵令嬢様の問題は早急に解決すべきみたいですけど、ネネさんのものはそうではなさそうです。それに、あまり追求してしまうと致命的なことになりかねませんから」
女店長だってネネが抱える『何か』について追求しようとしたことはあった。もちろん好奇心などではなく、そんなもの気にする必要はないと言ってあげるためにだ。
だけど、
『お願い。私はお嬢様にお仕えしているネネのままでいたいんだよ』
その発言の意味はわからなかった。
それでいて、この件を深く追求すれば致命的なことになると感じさせるだけのものがあった。
あの時のネネの瞳が女店長は今でも忘れられない。
深い悲しいや寂しさに満ちていたわけではない。あの時の瞳には何もなかった。無機質な石の塊が眼窩に埋まっているような、およそ感情を感じさせない肉の塊でしかなかった。
まるでネネというメイドの薄皮一枚剥いたその先、彼女の本質は『そう』であると言わんばかりに。
「急いで手を差し伸べるべき時もあれば、時間をかけて見守ってあげるべき時もあります。公爵令嬢様の場合は前者で、ネネさんの場合は後者だというだけの話ですわ」
「わかっちゃいるんだがな。ったく、あの馬鹿も馬鹿みてーに意味深なこと小出しにしやがってよ!! 俺らにゃあ見守るしかできねーってんならもうちっとうまく隠せってんだ!! くそっ、本当にできることは何もねーのか!?」
「ネネさんは普通というものを特別視していましたけど、普通でしかない私たちではできることに限りがあるのは当然ですわ。いつも通りに接してあげること、それだけでもネネさんのためになるはずです」
「チッ!! 自分の力のなさが嫌になるぜ、クソッタレ!!」




