第一話 決意
公爵家の領地にお帰りになって丸一日経っても部屋から出てこないお嬢様が心配で、叱責覚悟で鍵がかかった扉を蹴り破ると、今まさにお嬢様が首を吊るところだった。
「待って待ってお嬢様待ってえーっ!!」
「きゃっ!?」
椅子の上に立ち、ちょうど輪っかにしたロープを首にかけようとしていたお嬢様に突進する私。主人に体当たりするなどメイドとして失格も失格、即解雇されたって何の不思議もないが、そんなのどうでもいい。
二人揃って椅子から落ちるように床に転がる。私が下になるよう体勢を変えたとはいえ、もしかしたらお嬢様に怪我をさせてしまったかもしれない、とそこまで考えて背筋に悪寒が走る。
「もっ申し訳ありませんお嬢様っ。お怪我はありませんか!?」
「え、ええ……大丈夫ですわ」
半ば抱き合うような形で、お嬢様の端正な顔がすぐ近くに広がっていた。一年前、王都に向かう前は宝石のように輝いていたはずの碧眼や煌びやかに美しかった金髪はどこかくすんでいた。まるでお嬢様の心のうちを示すように。
私は真っ直ぐにお嬢様を見つめて、正直混乱して思考がまとまらないながらもどうにか口を開く。
「お嬢様、どうして首を吊ろうとしていたんですか?」
「…………、」
「学園での婚約破棄騒動が原因ですか?」
「…………、」
返事はなかったけど、女神のように整ったお嬢様のお顔が歪んだのが何よりの証明だった。
婚約破棄騒動。
これまでお嬢様は王都の王立魔法学園に通われていた。ここ一年は王都の別荘から学園に通われていたので、公爵家の領地内のお屋敷勤めである私は詳しいことはわかっていない。
だけど、王都から離れたここまで噂は流れていた。
曰く、アリア=スカイフォトン公爵令嬢──つまりはお嬢様が同級生であるクリアネリリィ男爵令嬢に執拗な嫌がらせを行っていた、だとか(クリアネリリィ男爵令嬢の物を隠したり壊したり、ドレスにわざとワインをかけたり、男爵家の生まれであることを見下して嫌味を言ったり、果ては階段から突き落とそうとした、などの嫌がらせを全てお嬢様がやったって『噂』になっていたけど、果たしてどこまでが真実なのやら)。
曰く、お嬢様の婚約者である第一王子がクリアネリリィ男爵令嬢を助けるために尽力していた、だとか(『あの』第一王子が真っ当な感覚で介入していたとも思えないし、絶対何かあるに違いない)。
曰く、長期休暇の前に行われたパーティーの場で第一王子がお嬢様のこれまでの悪事を大々的に公言し、婚約破棄を発表。ついでにクリアネリリィ男爵令嬢への謝罪を要求した、だとか(わざわざ学園主催のパーティーでそんなことする意味がわからないけど、『あの』第一王子のことだからお嬢様を苦しめるためにわざとやったのかもしれない)。
私としては嫌がらせ云々からしてお嬢様がそんなことするわけないと思っているけど、ここ一年お嬢様が王都でどう過ごされていたかは知らないんだから断言してはいけない。噂だけを聞いてとやかく言う連中と同じには成り下がりたくないしね。
だから、私が断言していいのはこれだけ。
今、お嬢様は自殺しようとするくらい追い詰められている。
私の知らないところで、大好きなお嬢様が傷つけられていたってことだけよ。
「お嬢様」
ずっと前から、それこそお嬢様が幼き頃から私は公爵家に仕えている。恐れ多くも三歳年下のお嬢様のことは本当に大切で、立場さえ違えば妹のように可愛がりたいくらいよ。
そんなお嬢様を自殺寸前にまで追い詰めた原因に猛烈な怒りが湧いてくるが、そんなものは後回しでいい。
ほんの僅かでも私が部屋に入るのが遅ければお嬢様は首を吊って死んでいたかもしれない。こうしてお嬢様を止められたのは偶然以外の何物でもないのよ。
ギリギリのところで繋がった幸運を無駄にするな。もう二度と自殺しようなどと考えないよう、お嬢様を繋ぎ止めてみせろ。
こんなのは私の我儘なのかもしれないが、大切な人に死んでほしくないと望むのは決して悪いことではないはずよ。
だから。
だけど。
「……っ……!!」
どうすれば、何と言葉をかければ死を望むほどに追い詰められたお嬢様を救えるのか、それがわからなかった。
『役目』に必要な『教育』を必要なだけ受けてきた。だけど、どんな書物にもこの状況を打破するような立ち回り方は載っていなかった。
『役目』に応じてどれだけ精鋭化して、どれだけ優れた能力を会得しているからといって、大切な人ひとり救えないんじゃ何の役にも立たないじゃない!!
「ご心配をかけてごめんなさいね、ネネ」
こんな時でもお嬢様は優しかった。
どうしようもなく無能な私を気遣うように声をかけてくださった。
いつもなら嬉しく感じるのだろうけど、今日だけはカッと頭に血がのぼるのを自覚する。
何で、私なの?
私のことなんてどうでもいい。もっとずっとご自身のことを気にかけるべきなのに!!
「ですけど、わたくしのことなんて気にする必要はありませんわ。どうぞ何も見なかったことにしてください」
ふざけないでよ。
なによ、それ……。何なのよ、それはっ!!
見なかったことにしろだって? できるわけないじゃん!!
「実はわたくし、貴女のことが……。いいえ、今となってはもう遅いですわね。さあネネ、早く立ち去ってくださいな」
「お嬢様、散財しましょう!!!!」
もう勢いのままだった。
上手い言葉の掛け方なんてさっぱりで、私にできるのは勢いよく突っ込むことだけだった。
案の定、お嬢様はキョトンとしていたけど、ここまできたらやるしかない。
お嬢様が何か言いかけていたのも聞こえていないくらい余裕なんて全然ないんだもの。今の私にできるのはがむしゃらに足掻くことだけなのよ!!
「どうせ死ぬなら最期にぱーっと楽しむべきですっ。ほら、お嬢様ってばせっかく公爵令嬢として使えるお金がたくさんあるのに、ろくに使ってないですよね? ありったけ散財して、楽しんで、それから死んだって遅くはないと思いませんか?」
「何を──」
「というわけで明日、私と一緒に街で散財しましょうっ。はい決定ーっ! 約束ですからねっ!!」
「そんな強引な──」
「まさかお嬢様ともあろうお方が約束を破るようなことありませんよね? 私、ずうーっと待ってますからね? お嬢様が死んだら、私ってば餓死するまで待ちぼうけになっちゃいますから、そのことはお忘れなくっ」
「話を──」
「はいはい話がまとまったところでお片づけしましょうっ。少なくとも明日はデートなんですから、今日はこの部屋でぐっすりすやすやおやすみしてもらわないといけませんもの」
「でっデート、ですか!?」
もう不敬も不敬、この場でメイドを辞めさせられたっておかしくない所業だけど、お優しいお嬢様のことだから無下にはできないはず。
今はまだ、先延ばしでいい。
最終的にお嬢様の自殺願望をなくすることができれば、それでいいのよ。
覚悟しておいてよ、お嬢様。
私、貴女を死なせてあげるほど優しくないんだからね。